1‐7


「……はぁ、疲れた」


 アーレンスは椅子に深く腰掛けて、目を閉じる。

 町の散策は思ったより体力を消耗するものだった。途中で、アンゼルムやテレジアが中断を持ちかけたことも、今になって理解出来る。だが、アーレンスにとっては良い経験になった。


「そうだろうな。中央であれだけの硬貨を出すバカも滅多にいない。犯罪者たちには絶好のカモに見えただろうさ」


 アンゼルムが紅茶を差し出してくれる。独特な香りのする茶葉は疲弊したアーレンスの心を癒してくれる。


「ありがとう、ゼル兄上。……まさか、あんなに狙われているだなんて考えもしなかった。どれだけ甘えてきたのかを実感した一日だったよ」


 散策中、直接狙われることこそなかったものの、意識してみれば自身に向けられている視線はかなりのものだった。いつ襲われるかを分からない、僅かとして気を抜けない状況はアーレンスを疲弊させるには十分だった。


「ふ。感覚で理解出来たなら上出来だ。お前は守りがいがある、騎士達も久々にしっかり仕事が出来て喜んでいることだろう」

「そうかな……いや、アレク兄上と比較するとそうかも……」


 形式上護衛は付けるものの、護衛の中の誰よりも強い長兄は守りがいなどないに違いない。その点アーレンスは素人よりはマシという程度で、格上相手なら自身を守れるかすら怪しいのだ。騎士達が久しぶりに仕事をこなせるという点では同意せざるを得ない。


「にしても、あの噂って本当なのかな」


 アーレンスは町で聞いた、獣人狩りの噂を思い出す。なんでもヒュームニア防衛ラインの一国であるバタールでは現在獣人排斥の動きが広まっているらしい。国が主導になっているという嘘でも真でも厄介極まりないという噂もあった。


「……さてな。だが、国が主導になっていたとしても直接戦争が出来るだけの力はないはずだ」

「でも、だからといって安心は出来ないよね。ギルドの存在もあるし」


 転生者がそれなりにいるフェレファーブルでは当然ギルドも存在していた。職業ギルドだけでなく、冒険者ギルドというものまである。冒険者ギルドは王族であるアーレンス達からすれば非常に厄介なシステムであった。旅人が依頼をこなす代わりに報酬を貰うというところまではまだいい。しかし、フェレファーブルに存在するギルドの多くは所属するもの、依頼を出すもの、両方にたいして出自を問わないものだった。そのため、犯罪行為が横行しているところも少なくはない。


「そうだな。動くとすればギルドだろう。……だが、今のお前がそこまで気にすることはない。兄上がなんとかするだろう」

「……うん」

「今のオレたちの役割はヴリエンドに赴き、パーティに参加することだ。……分かるな」

「分かる。分かるけど…………え?」


 視界の端に閃光が走る。

 疲れが溜まっているのかと思ったが、武器を手にしたアンゼルムの姿に幻覚ではなかったことを知る。すぐさまテレジアが走ってきて、無礼を詫びるより早く扉を開いた。


「アンゼルム様!」

「斥候は」

「出しております」

「詳しい状況は斥候次第だが……アレン、指揮権を譲ってもらうぞ」


 有無を言わさぬ声音でアンゼルムが告げる。首を縦に振って承諾すれば、アンゼルムはテレジアと共に状況の推測を始めた。


「あの閃光は魔法だと思うか」

「十中八九そうかと思われます。現在あれだけの威力を持つ魔道具の保持は国にしか認められておりません。更にマギアを大量消費する魔法の使用も一部を除いて禁じられています。……しかしながら、自身の保持するマギアのみであのような魔法を扱える人間がフェレファーブルには存在していますので」

「……推測で語るべきではないだろうが、可能性は高いな。バタールの情報はあるか」

「口頭で構いませんか」

「盗聴防止の魔法の使用を許可する」


 テレジアが魔法を紡ぐ。薄い膜に包み込まれるような感覚は一瞬で、すぐに何事もなかったかのように二人の会話は再開された。それはアーレンスの耳には届かなかった。兄の過保護はこのような状況でも発揮されるらしい。無力感と疎外感に口の中を噛む。その瞳の先ではどす黒い色をした煙が揺れていた。


(あの、方向は……)


 日中出会った少女が指した方向ではなかったか。

 アーレンスはそのことに気付いて窓に近付く。多くの人々が激しい閃光を目にしたのだろう。外に出ている誰もが、アーレンスのように煙が立ち上っている方向を見ていた。


「……っ……」


 体がそわそわする。

 今にも駈け出してしまいたいくらいだ。だが、アーレンスに何が出来る。状況すら呑み込めていないアーレンスに、何が。


(出来ることはあんだろ)

「……う、うぅ……だれ、だ……」


 脳内で知らないはずの男の声がする。

 やけに頭が痛い。このままでは割れてしまうのではないかと不安になってしまうほどだ。


(お前は知らないんじゃねぇ。忘れてるだけだ)


 ――二年前のことを思い出せ。奴等を自由にさせていてはお前の望む世界は何一つとして手に入らない。むしろ、奪われるだけだ。あの力に酔いしれている愚か者どもに。それで、いいのか。

 語りくる男の声を聞いてはいけない、脳はそう警鐘を鳴らしている。しかし、何故だかアーレンスは男の声を無視することが出来ずにいた。抗おうとすると、頭痛は激しさを増していく。痛みに耐えきれずに膝を付こうとすると、背後から腕が伸びて来てアーレンスの体を支えてくれた。


「アレン、大丈夫か」

「……はい」

「少し休むか」

「いえ……大丈夫です」


 何が起きているのか分からない状況で、一人だけ休むなど出来るはずもない。なにより、心の内から湧き上がってくる怒りにも似た感情が、アーレンスを素直に休ませてくれるとも思えなかった。


「そうか。なら、町に出る。関所内の騎士達と連携を取って最悪の事態に備えるぞ」

「最悪の事態って……」

「境界線の崩壊だ。それだけは避けなくてはならない。……テレジア、先行しろ」

「かしこまりました」


 アンゼルムの指示を受けたテレジアが部屋から出ていく。

 アーレンスは自身の知らないことが自身の知らないうちに進行していることを察した。今はまだ、何が起きているのかをアーレンスには教えてはくれそうにないことも。

 兄と共に部屋を出て、コンラッドの駐在騎士詰所へと向かう。騎士達は集まり、コンラッドの大使とともになにやら話しているようだった。騎士達の「ついにこの時が……」という声に、アーレンスはこの事態はある程度想定されていたものであることを知る。


(……なんで、俺は何も知らされていないだ?)


 騎士達にすら共有されている情報が、アーレンスにはされていない。そのことが無性に悔しかった。自然と力が入ってしまう拳は、兄の手によって開かれる。


りきむな。……このまま何もなく一晩過ぎれば、お前にもきちんと説明する」

「本当か?」

「ああ、約束する」


 アンゼルムは約束を守る人物だ。その彼が「約束する」と言ったのであれば、アーレンスはそれを信じることしかできない。胸中は複雑なままだが、アーレンスはまずは兄の指示に従って動くことにした。


「分かった。俺に出来ることはある?」

「テレジアや斥候の情報次第だが……恐らく、お前の力が必要になる」

「俺の? その感じだと言語翻訳のことじゃないよね?」


 アンゼルムが首肯するのを見て、アーレンスはぞっとした。これまで使うことのなかった、そして使うこともないだろうと考えていた特殊能力が必要とされている。今、この状況で。それは、アーレンスと同じ転生者が敵である可能性が高いということであった。


「……なんで……」


 ふつふつと怒りが込み上げてくる。

 これは紛れもなくアーレンス自身の感情であると理解出来た。


「アンゼルム様!」


 テレジアが戻ってくる。

 彼女は口早に状況を報告する。それはアンゼルムに舌打ちをさせるような最悪のもので。確定してしまった事実に、アーレンスの怒りは自身を焼き尽くしてしまうかのような強いものへと変わっていくのだった。

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