1‐5

 

ヒュームニア大陸とベスドゥール大陸の境界付近にある関所――通称大陸境界線に到着する。テレジアに続いて降車したアンゼルムの手を借りて、アーレンスも馬車から出る。テレジアを始めとして数人の警護だけを残し、兄達の言う不穏な動きについて調べてみることにした。

 大陸と大陸を繋ぐ関所には多くの在住者がおり、小さな町と呼んでも差し支えないほどには活気があった。人間族と獣人族が楽しそうに会話をする姿や言い争いをしている姿が目に入る。そこに種族の違いはなく、ただ単純に性格の相性だけが存在していた。その光景は、アーレンス達がいつか目指すものの一つだった。


「なんか……人が増えてるな……?」


 アーレンスが最後にベスドゥール大陸へと赴いたのは、もう二年程前のことだ。その頃はまだ関所に在中していたのは各国の大使や兵士、そしてその家族だけだったはずだ。あとは旅人が時期によって増減する程度だったように思う。しかし、僅か二年で関所は随分と様変わりしたようだった。


「土地が広くなって、より町らしくなっているな。……テレジア」

「はい。およそ二年前からでしょうか、大陸境界線に移住してくる者が種族問わず増えておりまして。今では一つの町と言っても過言ではないほど大きくなりました。アーレンス様のおかげで言語通訳が不要になりましたから、異種族交流に踏み出すものが増えたのでしょう」

「そっか、それは嬉しいな……!」


 いつか親友と語った、人間族と獣人族が共に笑い合える未来はもう近くまで来ているのかもしれない。派手な能力ではないが、アーレンスの力はやはり素晴らしいものだったのだと、そう思える。


「でも、揉め事が多いのは気になるな」


 足を前に進める度に、どこかしらで何かを言い争っているような声が聞こえてくる。その多くは人間と獣人との組み合わせで、やはりまだまだ課題が多いことも伺えた。


「それに関しては仕方がないことだろう。獣人はルーツによってもそれぞれで生活環境が違うからな。簡単に分かりあえるはずもない」

「う~差別に繋がらなければいいけどな~」


 今でも獣人族を下に見ている個人は少なくない。もちろん、逆もそうだ。簡単に溝が埋まるのであれば、過去数百年に渡って戦争があるはずもなく。


(それでも)


 大陸境界線の中だけでも。

 アーレンスはそう願わずにはいられない。

 ここが平和であるうちは、どうにでも出来る。アレクシスも、そう語っていた。しかし、境界線で戦争が始まってしまえば、あっという間に広がっていくだろうとも。だからこそ、長兄の言う不穏な動きを突き止めなければならない。アーレンスは現地に来て、ようやく事の重大さを理解する。


「……アレン!」


 考え事をして歩いていると、アンゼルムが体を引っ張る。力強さによろけるも、次兄の体に受け止められたことで地面に座り込むような事態は免れた。


「……ゼル兄上、急に……って、あ……」

「ご、ごめんなしゃ……」


 視界を左右に揺らすと、下の方に小さな獣耳が見えた。更に視線を落とせば、アーレンスの足元には小さな獣人の少女の姿があった。


「わ、俺の方こそごめんね! 怪我はないかな?」

「だいじょぶでしゅ……」


 慌ててしゃがみ込むアーレンスだったが、少女は恐怖を感じているのか、目線を合わせることなく小さな体を震わせていた。その周辺には花が散らばっている。小さな黒い手に持った籠の中身が空であることから、彼女のものであることが分かる。


「……本当にごめんね。お花、ダメにしちゃったな」

「あ……あ……っふぇ……」

(あ、これはダメだ)


 大きく見開かれた瞳は揺れている。上手く感情を表現できないだろう少女は、恐らく泣いてしまう。アーレンスはそう理解することこそ出来たが、次の行動に移ることが出来なかった。


「これは売り物か」


 硬直するアーレンスの隣にしゃがみ込んだアンゼルムは落ちた花を一つ拾ってから少女に問い掛けた。獣人の少女は小さく首を縦に動かすと、商品が全て売り物にならないことに気付いたのだろう。ついに目から涙を溢れさせた。


「アーレンス」

「……はい」


 アンゼルムに普段よりも低い声音でしっかりと名前を呼ばれ、アーレンスは姿勢を正す。


「お前の責任だぞ、どうする」


 次兄は末弟に花を向けて責任を問う。


「もちろん……全部俺が買い取るよ」


 落ちている花を全て拾うように警護の騎士に頼んでから、改めて少女に向き合う。


「この綺麗なお花、俺に全部買わせてくれる?」

「でも……おちちゃった……」

「それは気にしなくてもいいんだよ。いくらかな?」


 遠慮がちに両手を広げる少女に硬貨を渡す。まじまじと硬貨を見た少女は首を傾げた。


「……? おおいよ?」

「迷惑料……えっと、ごめんねの気持ちってことで」

「……あ、ありがとう」


 ふにゃりと笑う少女の姿を見て、アーレンスはほっと胸を撫で下ろす。兄の助け船がなければ、きっと少女は大声で泣き叫んでいたことだろう。


「誰でもいい。この少女を送っていけ」


 アンゼルムの指示に、近くにいた若手の騎士が対応する。騎士に住居の場所を尋ねられた少女は関所の外を指差した。


「アンゼルム様、どうされますか?」


 あまり多くの騎士を連れて来ているわけではない。護衛が減ってしまうことを懸念したテレジアがアンゼルムに指示を仰ぐ。


「オレは言ったはずだ、送っていけと」

「……分かりました」


 アンゼルムの言葉にテレジアは引き下がる。

 再度指示を受けた騎士は少女の手を取って、彼女と共にベスドゥール大陸の方へと向かっていく。


「……ばいばい」


 小さな黒い手を一生懸命に振る少女にアーレンスは顔をほころばせた。そうして、彼女が無事に帰るべき場所へと辿りつけるようにという祈りも込めて、手を振り返した。


「……さて、アレン」

「な、なんでしょうか」

「反省会だな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る