1‐4
あっという間に出発の日がやってくる。
ヴリエンドは隣国だが、人間とは違う獣人という種族が多く暮らしている場所である。そのため、準備は念入りにする必要があった。
獣人といっても一括りにすることはできない。兎に狐、狼に獅子など、ルーツも様々な上に、獣よりの姿をしたものもいれば人間に近い姿をしているものもいる。また、人間とは使用する言葉も異なっているので、本来であれば通訳が必要になる。しかしながら、アーレンスには転生者として与えられた特殊能力があった。自身のマギアを利用することで、自動的に言語翻訳がなされるという、外交には持ってこいの能力である。更に幸いなことに、アーレンスに与えられたマギアは膨大だった。故に、アーレンスの力をマギアに呼応する宝石などに封じ込めることで簡易的な翻訳機を作製することもできた。定期的にマギアを込める必要があるため、アーレンス自身は派手な魔法などを使うことは出来ないが、その甲斐もあってか険悪だった獣人族との関係は少しずつではあるが良い方向へと進んでいる。少なくとも、コンラッドとヴリエンドの間では。
「ライオット~俺がいなくても寂しがるなよ~」
アーレンスは出発前に愛しの白獅子を抱きしめる。贈り主に似たのかクールなライオットは鬱陶しいとでも言いたげな表情をしていた。
「アレン、そろそろ出るぞ」
「……うん、分かった。じゃあな、ライオット」
軽く撫でれば、白獅子はあくびをしながら主を見やる。
「いつ見ても、あの男に似ているな」
弟を迎えに来たアンゼルムがそう零す。アーレンスは次兄の言葉に同意を示しながら、用意されているだろう馬車の元まで歩く。
「おや、準備はいいのかな」
馬車の傍にはアレクシスとアンナマリーの姿が見えた。彼等はアーレンスを視界に入れると駆け寄ってきて、あれやこれやと注意事項のようなものを語る。連絡は頻繁にすること、一人でなんとかしようとしないこと、怪しい者には心を許さないことなど、今からアーレンスがするのはおつかいかなにかかと錯覚してしまうようなそれらに苦笑いするしかない。
「公務自体はこれまでも行ってきましたから、そう心配しなくても……」
「そうは言うけどね、アーレンス。今回は少し意地悪をしてしまった自覚があるからね、心配にもなってしまうんだよ。……アンゼルム、『もしも』の時は切り上げるように。これはお願いじゃない、命令だからね」
「……それは状況次第だろ。ま、兄上が優秀な補佐官殿を貸してくれたんだ、兄上の想定通りに動くだろうさ」
「また貴方はそのような物言いをして。……アンゼルム、いざという時には貴方がアーレンスの盾になるのよ。分かっているのでしょうね?」
「言われなくてもな。……本当、兄上と姉上は言うことが似ている」
「ふふ、そうは言うけれどお前も意思は同じだろうに」
「……んんっ! ご兄弟仲睦まじいのは非常によろしいことですが、そろそろお時間です」
いつまでも会話を続けそうな四兄弟に、アンゼルムの言う優秀な補佐官――アレクシスの側近の一人がストップを掛ける。会話が止まったことを確認した彼女は馬車の扉を開いて、アンゼルムとアーレンスに乗車するように促した。
「テレジア、弟達をよろしくね」
「命に代えましても、必ず連れて帰ります。……騎兵隊! 移動始め!」
アーレンス達が馬車に乗り込んだことを確認すると、テレジアは馬に乗った兵士達に号令を掛ける。その声とともに、馬車列の先頭に位置する騎兵隊が移動を開始する。彼等との距離がある程度開いたことが確認できたのだろう、少し間を置いてアーレンス達を乗せた馬車も動き出す。
「アーレンス様、アンゼルム様。どうぞ、アレクシス様やアンナマリー様にお手を振ってくださいませ」
「オレはいらないだろ」
「そうおっしゃらずに。言い方に棘はありますが、アレクシス様は皆様のことが可愛くて仕方がないのですよ」
そんな会話を耳に、アーレンスは兄と姉に手を振る。小さくなっていく彼等が完全に見えなくなってから、アーレンスは馬車内の椅子にしっかりと腰を付けた。
「アンゼルム様とは何度かご一緒したことがありますが、アーレンス様とは初めてになりますね。改めて、自己紹介をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
アーレンスが落ち着くのを見計らって、テレジアが声を掛けてくる。彼女の名前は聞いたことがあったが、こうして会うのは確かに初めてだった。
「うん、お願いしようかな」
「では、僭越ながら。改めまして、テレジア・グリスレーと申します。普段はアレクシス様の下で諜報や戦闘指揮を中心に活動させていただいています」
洗練された振る舞いは、テレジアが諜報や戦闘指揮などを中心に行動しているようには微塵も感じさせない。むしろ、華奢な見た目もあってか、アーレンスはどこかの貴族のお嬢様でもおかしくはないようにすら感じる。そんなアーレンスの考えを読み取ったのか、アンゼルムが口を開く。
「油断するな、アレン。テレジアは兄上の剣を弾くほどの腕を持つ」
「えっ!?」
アンゼルムの言葉に、アーレンスはテレジアを凝視する。長兄の剣の腕はコンラッドの中でもトップクラスのものだ。国主催の武闘大会、武器種不問部門に勝手に参加した挙句に優勝して国中の力自慢を泣かせたことは伝説になっている。同じように武闘大会の全部門で優勝をかっさらったあらゆる武器の使い手であるアンゼルムですら、未だにアレクシスには勝てたことがないと聞いている。しかし、彼女はアレクシスやアンゼルムよりも頭一つ分小さな体かつ華奢な体格で、あの長兄の剣を弾いたという。
「あれは運が良かっただけです。あの方は負けず嫌いですから、きちんと後日やり返されましたよ」
「いや、それでも……。俺、正直国の中で強いのは兄上達だと思っていたので……驚きです」
アンゼルムの手前、素直に褒めてもいいものか逡巡したアーレンスだったが、そもそも言い出したのは兄である。が、次兄は次兄で面倒なことを思い出し、嘘ではないがほんの僅かに誇張した意見を入れつつ、テレジアの武勇伝に対する感想を述べることにした。
「そのように言っていただけると嬉しいですね。道中並びに公務中は、私が誠心誠意お守り致しますのでご安心ください。……もちろん、アンゼルム様もですよ」
「オレはいい。アレン、テレジアは政治に関しても強い。外交で不安を感じたときも相談するといい」
「え、あ、うん」
「なんだ?」
「……や、ゼル兄上が素直に人を褒めるのは珍しくて?」
滅多にない出来事にアーレンスは混乱する。なにせ、アンゼルムは弟が誰かを褒めただけで機嫌を損ねてしまうのだ。アーレンスにとって一番であるために、自ら率先して執事の仕事を奪い騎士の仕事奪い、弟の傍にいる権利を獲得してきた。人の仕事を奪うな、長兄に何度叱られてもアーレンスの横は譲ろうとしなかったと姉から聞いている。そんな彼が素直に誰かを認めることがあることに、アーレンスは目を丸くするしかなかった。
「テレジアは兄上の側仕えだからな」
「えぇ、それどういう……うわっ!?」
馬車が大きく揺れて、アーレンスはバランスを崩した。そんな弟を兄が支えてくれる。
「ありがとう、ゼル兄上」
「大陸境界線は地形が悪いからな。気を付けろ」
「うん。……でも、こんなに揺れていたっけ?」
アーレンスの記憶の中では、ここまで酷くはなかったはずだ。決して良好な道ではなかったものの、何度も何度も大きく跳ねるような悪路と言い切れる道でもなかった。
「兄上が、近頃不穏な動きがあると言っていただろう」
「関係があるんだ?」
「ある。境界関所に行けば話が聞けるだろう。アレンの耳で聞いてみるといい」
そう言うと、アンゼルムはテレジアに目配せをする。それにつられてアーレンスも彼女を見るが、テレジアはただ微笑むだけだった。
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