1‐3
不機嫌な次兄を連れて、長兄の執務室へと向かう。
病に伏せている父王の代理を務める彼は常に忙しい。というのは、アレクシスの側近から聞いたことである。周囲の疲弊具合からしても、そのことは事実なのだろう。しかし、アーレンスには素直に信じられないことであった。朝食の時間に遅れたことは一度としてもなく、執務の合間に弟に構いに来ることも毎日のことである。そんなアレクシスが、執務に追われるような忙しい毎日を送っているとは、アーレンスには思えなかった。こうして、長兄の仕事場へと来るまでは。
「うわ……人の入れ替わりが激しい……」
「見てるだけで気分悪くなるな」
部屋に入りたくとも入れずに、部屋を出たり入ったりする人々を呆然と眺める。その誰もが忙しなく、二人は自分達が場違いであるような気がしていた。
「……ああ、アンゼルム様、アーレンス様! お待ちしておりました!」
アレクシスの側近の一人が二人に気付くと、執務室付近にいた人々を解散させる。だが、集まった人々からは当然不満が出る。その声は中にも届いているのだろう。自身が弟たちと会話をする間の対応は側近に任せるという声に、突然任されてしまった彼等は頭を抱えている。アーレンスは心の中で同情した。
「さ、アンゼルムもアーレンスも入っておいで」
長兄が招く声に、アーレンスとアンゼルムは執務室へと入る。部屋の中には数えるのも嫌になるような量の書類が綺麗に積まれていた。
「忙しそうだな」
「今日は特別そうかもね」
「すみません。先程の連絡も邪魔だったのでは……?」
「大丈夫だよ、さっきまでは休憩だったからね。つい時間を忘れてゆっくりしてしまったせいで、今少しだけ慌ただしいだけだよ。……さて、あまり皆を待たせるわけにもいかない。本題に入ろうか」
それまで柔らかだったアレクシスの雰囲気が緊張感を帯びたものに変化する。アーレンスもアンゼルムも姿勢を正して、アレクシスの言葉を待つ。
「隣国で少し不穏な気配があってね。様子を見て来てほしいんだ」
「アレンに行かせるのか」
「今のアーレンスの適性を見たいんだ。王族としての責務を果たせそうにないのであれば今後はないから安心していいよ」
「危険は」
「ないわけがないだろう? でも、お前が盾になるからアーレンスに傷がつくことはないはずだよね?」
「……チッ」
アレクシスの言葉にアンゼルムが舌打ちをする。重要な話をしている最中にその態度はどうなのかと思うアーレンスだが、次兄の気持ちも分からなくはない。長兄の言葉には棘がある。本人は意識してやっているのかは定かではないが、それは小さく、けれど確実に痛みを与えてくるようなものが多い。
「アレク兄上、今回は様子を見に行くだけですか?」
「ふふ、アーレンスは可愛いね。様子を見て来てほしいってことは情報を集めてきてほしいってことだよ」
「……す、すみません」
にこにこと笑顔で言うアレクシスに、アーレンスは恥ずかしさが込み上げてくる。そんな弟の姿に次兄が反論をする。
「情報収集だったら斥候を出せばいい。王族のする仕事か、それは」
アンゼルムの言葉に、アレクシスは笑顔のまま答える。
「王族にしか出来ない場所での情報収集があるだろう?」
そう言って、一枚の封筒が差し出される。金色の封蝋に描かれているものは獣人族が多く暮らすベスドゥール大陸にある一国、ヴリエンドの国章だった。
「隣国ってヴリエンドの方かよ」
封蝋の印を見て、アンゼルムは安堵したような表情になる。
「ふふ、流石にバタールには行かせないよ。今はね」
「どういう……?」
兄達の会話をアーレンスは理解することが出来なかった。首を傾げる弟に、兄二人は今知る必要はないことだと語る。納得がいかないアーレンスだが、この様子では教えてもらえないだろうことは知っている。大人しく話の続きを聞くことにした。
「十日後に、ヴリエンド城でパーティが開かれるそうだよ。アーレンスには国の代表として、アンゼルムにはその護衛として、参加してもらいたい」
「え……?」
アーレンスは思考が固まるのを感じた。アーレンスが代表で、アンゼルムは護衛だと、聞き間違いでなければアレクシスはそう言った。確かに普段からアーレンスはアンゼルムに護衛として傍にいてもらっている。身の回りのことをやってもらうことだってある。だが、今回のこととは話が別だ。これまでアーレンスが公務を行う際には兄や姉の同行者という形ばかりだった。必要最低限の公務のみを行い、後は邪魔にならないようにアンゼルムと共に大人しく控えておく。それが、これまでだった。しかし、今回はアーレンスが代表だという。兄であるアンゼルムを差し置いて。
「甘やかしすぎたな」
「ふふ、流石に反省するべきかな。……アーレンス」
言葉にはせずとも表情がありありと感情を語っていたのだろう。兄二人は顔を見合わせて苦笑する。そして、アレクシスが諭すように口を開いた。
「お前はあまり気にならないから忘れているのかもしれないけれど、アンゼルムの髪や瞳の色は私たちより薄いんだよ。生まれ持ったもので優劣を決めるのは愚かなことだ。でもね、この世界にはそういう愚か者の方が多いんだ。悲しいことにね。だから、外では愚者に合わせなければならない。不必要に敵を作ってしまわないようにね」
そうだ、そうだった。
アーレンスは思い出す。アンゼルムが、どれだけ陰で嘲笑われてきたのかを。優秀な兄や姉と比較をしてきたのは何も次兄自身だけではない。むしろ、逆だった。周囲が比較をするからこそアンゼルムだって。
「オレに気を遣わなくていい。オレは王子という役割よりも騎士という役割のほうが合っている。……お前としては、オレを盾に出来ないから不安かもしれないが」
「……なっ! 失礼な!」
「ふん、そうとしか聞こえなかった」
アーレンスの複雑な心境を知ってか知らずか、アンゼルムは煽るようなことを言う。むっとした末弟に微笑む次兄の表情は案外穏やかなものだった。
「俺だってコンラッドの王子だ。ちゃんと役割はこなしてみせる。……それで、アレク兄上。俺たちはパーティに参加するだけでいいんですか?」
「うん、基本はね。ヴリエンドの王族主催のパーティで迂闊な発言をするような愚か者は流石にいないと信じたいところだし……得られるものはそうないと思っているよ。ただ、そういうものを意識して行動するということも、この先は大切になってくるからね。なんでもいい、私に報告できそうなことがないかを探してみてくれるかな」
「ふん、甘すぎるんじゃないのか」
「それはお互い様だよ。……では、二人とも。明日からは出発に向けての準備をするように。連れて行く人間は早めに決めてくれると助かるかな」
そう言うと長兄は積まれた書類に手を伸ばす。話はこれで終わりらしい。アンゼルムとともに執務室を後にした。
(……忙しくなりそうだ)
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