1‐2
朝食を終え、簡単な剣の稽古を行う。
騎士達に交じって剣を握る姿は、他の王族から見たら異様な光景なのかもしれない。しかし、コンラッドの王族にとっては騎士達と共に稽古を行うことは日課だった。日頃から騎士とコミュニケーションを取っておかなければ有事の際に連携など取れるはずもないからだ。
というのも、多種多様な種族が住まうフェレファーブルだが、種族ごとに好んで身を置く環境が異なっている。だが、その中でも人間族と獣人族は好む環境が似ていた。似てしまった。広大な大陸を巡って争い、ようやく大陸を半々に分けたかと思えば、今度は相手の領土を侵略しようと戦争を仕掛けるなど、とにかく土地を巡っての争いが絶えなかった。
そんな状況であれば、領土防衛のために大陸の境界付近に国が置かれることは致し方のないことだっただろう。人間側は獣人側の保有する大陸との境界に三つの国を設立した。人間側が所有する大陸――ヒュームニア大陸の盾となる三国はヒュームニア防衛ラインと称され、コンラッドはその内の一国であった。そのため、王族であれど、有事の際には先頭に立つ必要がある。大切なのは国の存続ではなく、人間が所有する土地を奪われないことだ――というのは、今となっては古き教えだが。それでも、何もないとは言い切れない。敵だと思っていた国が味方になり、味方だと思っていた国が敵になることもあるかもしれないのだから。
「……っく!」
キィンと金属が弾かれる音と共にアーレンスは尻もちをついた。彼の額にはうっすらと汗が滲んでいる。対して、剣の師でもあるアンゼルムは汗一つない涼やかな顔をしていた。アーレンスは密かに唇を噛む。
転生者であるアーレンスだが、剣の才能はからっきしであった。彼に混じっている記憶の中では転生者というものは素晴らしく秀でた力を持っていることが多い。記憶の中だけではない。フェレファーブルという世界に住まう者の認識も同じだ。
フェレファーブルには『転生者』というものが世間に認知されている。女神の祝福の証である不思議な痣を持ち、強大な力や特殊な能力を所持していることが多い。認知されるようになったきっかけとしては過去の大戦での活躍などが大きいらしく、歴史書によると数百年前から存在は認識されていたようだ。
そんな転生者の一人であるアーレンスにも当然痣は存在している。特殊能力と呼ばれるものだって、保有している。しかし、今のところ役に立っている能力は異種族の言語であっても理解出来るというものだけで。正直アーレンスは物足りなさを感じていた。もっとも、外交には非常に役に立っているので音として発することはないが。
「大丈夫か、アレン」
アンゼルムが差し出した手を掴んで立ち上がる。アーレンスの手とは異なって、たこの多いごつごつとした手は彼のこれまでを表していた。
(……そうそう都合良く強くなれるわけないよな)
アーレンスは自身の感情を恥じる。
才能の有無はもちろんあるだろう。だが、それだけで本業である騎士達を押しのけてアーレンスの護衛を務めることなど出来るはずもない。必要以上に剣に接しないアーレンスが、転生者だからという理由だけで兄に勝てるわけもなかった。
「……大丈夫。ゼル兄上は強いな」
「アレンを守るためだからな、当然だ」
近くにいた騎士から差し出されたタオルで汗を拭いながら、次兄とともに騎士達の様子を見学する。剣に槍に弓にと、騎士によって使用する武器は違えど、どの騎士達もアーレンスより遥かに優れた技術を持っていることは簡単に見抜けた。
アーレンス自身の感情か、それとも前世の人格の感情かは分からないが、そのことに少しだけ悔しさを感じつつも、それで良いのだとも感じている。楽して強くなりたい、その感情は悪いものではないはずだ。多くのひとは楽をしたいと思うものであるし、アーレンス自身もどちらかと言えばその類の人間である。けれど、こうして日々努力している人々を見ると、それが報われない世界は悲しいとも思う。だから、アーレンスは転生者として所謂チート能力に値するものがないことに僅かな不満は抱えつつも、自身が能力に奢るような性格でないことを内心で誇らしく思うのだった。
「でも、俺ももう少し強くならないとな~」
「そうだな。今のアレンでは騎士達の足手纏いになってしまう。向上心があるのはいいことだ。だが、あまり無理をする必要はない。向き不向きはあるからな」
そう言って次兄が目を伏せる姿は長兄によく似ていた。
***
稽古を終えた兄弟は長姉のいる執務室へと向かう。
今朝アンナマリーが話していた通信魔具を受け取りに行くためだ。
(ようやくだ……!)
アーレンスは内心はしゃいでいた。
これで兄姉達のせいで自身が説教されることも減ると。
何故だか分からないが、仕事を放り投げて弟に構いに来る兄姉達のお目付け役は彼等ではなくアーレンスに注意をする。心配性の主達には何を言っても無駄であることを従者である彼等は十分に理解しているからだとは思うのだが、それでも毎回のように小言を聞かされてはうんざりもするだろう。だが、ようやくそれから解放されるのだ。はしゃぐなという方が無理だろう。
「嬉しそうね、アーレンス」
「それはそうですよ、姉上。これで、いつでも姉上達と会話が出来るんですから」
「オレの分もあるのか」
「あるわ。とはいえ、大抵アーレンスの傍にいる貴方に必要だとは思えないのだけれど」
首を傾げるアンナマリーに、アンゼルムはむっとする。
「はぐれた時に必要だろう。アレンは突然いなくなることも少なくはないからな」
失礼な。
アーレンスは反論したい気持ちを胸の中に留めた。彼としては突然いなくなっているつもりはなく、むしろ普段から兄姉達の監視が厳しいだけだと思っている。だが、アーレンスの抱える問題を考えると過保護になってしまうのは仕方がないことも理解できる。故にアーレンスは心の中でのみ兄の言葉に反発してみせた。
「どのように使う」
「あ、俺も気になります」
「ふふ、ではお兄様に繋いでみましょうか」
どうやらアレクシスには先に通信魔具が手渡されているようだ。チュートリアルは彼と会話をすることらしい。アンナマリーに手渡された魔具は小さなガラケーのような形をしていた。これは単純にアーレンスの記憶にある通話機器の中で一番形を表現しやすいという理由だ。スマホでない理由は、タッチ式よりキーボード式のほうが製作しやすいのではというアーレンスなりの配慮だった。
「機器ごとに登録番号を振っているわ。お兄様の番号は……」
アレクシスに与えられた機器の番号を入力し、指定されたボタンを押す。すると、コール音らしきものが流れる。だが、アーレンスはコール音の存在は教えていない。驚いてアンナマリーを見る。
「ふふ、製作を共にした者が音を入れた方が繋がるまでの待ち時間に退屈しなくて済むという案を出してくれたの。本当はアーレンスの声にしようかと思ったのだけれど……貴方の驚く顔を見たくて黙っていたのよ」
「そうだったんですね」
通話待ちの間に自身の声を延々と聞かされるなんて堪ったものではない。間一髪で地獄を回避できたことにアーレンスは胸を撫で下ろし、隣にいる次兄が長姉の考えを肯定する前に質問を投げ掛けた。
「ということは、この音が鳴っている間はまだ通話出来ないということですか?」
「ええ、相手が応答しない限りは繋がらないのよ。だから、貴方に何かあったらすぐに分かるということね」
「なるほど、それは便利だな」
「たまたま手が塞がっているときだってあると思うんですが……」
とはいえ、余程のことがない限りは応答するだろうことは、アーレンスにも分かっている。そうしなければ兄姉は確実にアーレンスの元を訪れることは想像に難くないからだ。頻繁に来るだろう連絡は、製作を依頼した時点で覚悟をしている。
「あ、繋がりましたよ」
画面が不思議な光を放つと、真っ暗だったところに長兄の姿が映し出される。
『その声はアーレンスだね。ふふ、待っていたよ』
「顔見て会話も出来るのか」
『そうみたいだね。アーレンスの顔を見ながら会話をして、ついでに仕事も終わらせることが出来るだなんて……アンナマリー、本当によくやってくれた』
「ふふ、ありがとうございます。魔具の発案をしてくれたアーレンスと、製作に協力してくれた技術者の皆のおかげです」
『彼らにも後で改めて礼をしなくてはいけないね』
アーレンスは驚きで口を挟めずにいた。
魔法がある世界といえ、魔法の源――マギアを大量に使用する魔具の使用は禁じられている。故に、音声通話以外の機能を求めるのは難しいだろうと思っていた。実際に、初めて通信魔具の話をしたときにはアンナマリーも短距離の音声通話が限界だろうと言っていたのだ。なのに、姉はそれを超えるものを作り上げた。魔法に頼り切っていた世界で、魔法にあまり頼らない魔具を。
「すごいです……すごいですよ、姉上!」
その事実をようやく呑み込んだ、アーレンスは手を叩いて喜んだ。
混濁した記憶の中にあるものがコンラッドに増えていくことへの喜びと、それを形にしてくれる天才が自身の姉であることへの喜びが、アーレンスを跳ねさせた。
「ふふ、それだけ喜んでもらえるなら苦労も報われるわね。……これほど喜んでもらえるのは水源浄化式の浴槽と水洗式の雪隠を作製したとき以来かしら?」
「姉上には感謝してもしきれません……。風呂とトイレは本当に死活問題でしたので……」
アーレンスは深く深く頭を下げる。
隣でアンゼルムが不機嫌になるのが分かったが、これに関しては大目に見てもらいたい。前世の人格が温泉などの風呂をこよなく愛していたことやそもそも綺麗好きであったこともあって、記憶を取り戻してしまったアーレンスにとってコンラッドで生きていくくらいであれば死を選ぶほうがマシだった。それまでは何も思うことなく生活していたはずのアーレンスが、そう感じてしまう程度には彼の中には強く前世の記憶が混ざってしまっている。そんな不安定な弟のために様々なことを工面してくれた姉には一生頭が上がらないなと、改めてアーレンスは思うのだった。
『その費用を捻出したのは誰かな』
「アレク兄上です! 兄上にも感謝してます!」
『ふふ、よろしい。……ところで、アンナマリー』
「はい?」
『これは音声の大きさは変えられないのかな? こちらに響く音の大きさでは大事な話は出来そうにないから、小さくできたら嬉しいのだけれど』
アレクシスが困ったように笑う。それにアンナマリーは首を振る。
「申し訳ありません。音の調整は上手くいかず……現状は日常的な会話のみに留めていただけると」
『そう。なら、今後に期待しようかな。……アンゼルム、アーレンス。私の部屋へ来てもらえるかな』
「なんの用だよ」
『この魔具を使って話せることではないから来て欲しいんだよ。あと、アーレンスの顔も見たいしね。……なるべく早く来てくれると助かるな』
そう言うとアレクシスは一方的に通話を終えた。
「兄上は自由過ぎる。そもそもアレンの顔は朝も今も見ただろうが」
「ま、まぁまぁ。兄上も忙しいんだから……」
苛立つアンゼルムを宥めつつ、アンナマリーの執務室を後にしようとする。
「次期製作品では音量の調節や盗聴防止の機能を組み込めるようにするわね」
どうやら苛立っていたのは次兄だけではなかったらしい。
声に振り返ると、長姉の背後には髪色と同じくらい真っ赤に燃えるオーラが見えたような気がして、アーレンスは慌ててアンゼルムの背を押した。
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