1章:王子様は転生者

1‐1

「おはよう、今日も元気か~?」


 声を掛ければ、白い獣がくぁ~とあくびをしてみせた。可愛らしいペットの表情に癒されながら、獣の朝食の準備に取り掛かる。


「アーレンス様! またお一人で行動して!」


 生肉や生野菜をバケツに放り込んでいれば、スカートの裾を汚したメイドが走ってくる。その姿にアーレンスと呼ばれた赤い髪を持った少年は溜息を吐いて、彼女の方へと向き合った。


「いくらペットだからとはいえ、猛獣に接するときは護衛をとあれほど……!」

「心配は分かる。兄上達に比べれば、俺の武力は頼りにならないからな。けれど、流石の俺だって暴れるライオットを鎮めるくらいは出来るぞ? な~ライオット~?」


 白きたてがみを持った美しき獅子――ライオットに同意を求めて声を掛ければ、心外だとでも言うかのようにグルルと喉を鳴らされる。その様子に、隣国にいるはずの親友の姿が重なって思わず笑みを浮かべた。


「そういう問題ではありません」


 そんな主人の意見を従者はきっぱりと切り捨てる。


「はいはい、分かってるよ。俺だって皆に心配させたいわけじゃないんだから。でもさ~」

「でも、ではありません。そもそも、迎えに来たのが私であることに感謝していただきたいところなんですよ。朝食の間に現れないアーレンス様を本来迎えに来ようとしていたのは、アレクシス様だったのですから」

「あぁ、それは……うん、本当に悪かった」


 メイドの言葉は容易に現場の様子を想像させた。それを諫める側の立場は非常に苦労した――いや、現在進行形でしているかもしれないことも。


「でしたら、お早めにお戻りください。皆様お揃いですよ」


 呆れた様子のメイドに、本来は主であるはずのアーレンスは従うしかない。愛する獅子に手早く餌をやると、駆け足で朝食室へと向かう。

 目的地が近付くにつれて、複数の男女の声がするようになる。自身の名を呼ぶ声に、それを宥める声が聞こえて、アーレンスは足を動かす速度を上げた。本来であれば走るような場所ではないのだが、それを咎めるものはいない。何故ならば――。


「アーレンス!」

「無事だな、良かった」

「まったく。一人で行動してはダメと、あれほど言ったでしょう?」


 この過保護な兄姉達を止められるのはアーレンスだけなのだから。


 ***


「本日も皆が揃って朝食をいただけることに感謝を」

「「「感謝を」」」


 兄弟が揃って食事を出来ることへの感謝を、天にグラスを捧げることで示す。生物にとって必要不可欠である水を、天にいるという創世神並びにそれに連なる女神達へと差し出すことで彼等への敬意の証とするのだ。もうすっかりと習慣になったものだが、それでもアーレンスにとって「いただきます」と述べずに始まる食事に未だに慣れるものではなかった。


「アーレンス、今日の調子はどうだい? 記憶の混濁は?」


 というのも、アーレンスは『転生者』というものだったからだ。

 様々な種族が存在する世界――フェレファーブルにある、人間が多く住んでいるヒュームニア大陸の端にある、さして大きくはないコンラッドという国の第三王子としてアーレンスは誕生した。齢七つになるまでは自身が転生者としての自覚もないままに。

 しかし、アーレンスは突如として記憶を取り戻してしまった。今思い出してもきっかけになるようなものは何もない。それでも、アーレンスの前世の記憶は蘇ってしまった。兄や姉に囲まれて育った彼は、比較的人格が形成されるのが早かった。それ故に、前世の膨大な記憶が突然脳内に溢れ出したことによる弊害はとても大きかったのだ。記憶の混濁によって錯乱し、一時期は兄姉の記憶すらもなくなってしまうほどに。


「今日はとても調子が良いですよ。記憶の混濁も……多分、ありません」


 今でも記憶が混濁することはあるらしい。らしいというのは、記憶も人格もすっかり混じり合ってしまって、どの状態を混濁と言うべきか、アーレンス自身には分からないからだ。


「多分、か。不安になる言葉だね」


 コンラッドの第一王子である長兄――アレクシスは、悲し気に目を伏せた。彼は兄弟の中で一番アーレンスに対して過保護だった。末弟の姿が見えないだけで、長兄の集中力は切れてしまう。アーレンスが不安定であった時期には、アレクシスもかなりのものであった。常に傍にいることが当然といった様子で、公務などで離れる必要があった際には無理やり引きはがそうとする従者達に対して暴れて抵抗する始末。今でこそ、公務など重要な事柄に関しては我慢できるようになったものの、やはり城内にいる間は気を抜くとアーレンスを探しに動いてしまうようで、よくメイドや執事に連れ戻されている姿を目撃する。


「そんなお兄様に朗報がありますわ」


 呆れた様子で口を開いたのは、第一王女である長姉のアンナマリーだ。彼女は兄弟の中では過保護度は低い。しかし、それでも長兄や次兄に比べると、というだけの話である。


「朗報? 何かな?」

「ふふふ、聞いて驚いてくださいな。なんと、離れていてもアーレンスと会話が出来る魔具の試作品が完成しましたの」

「おや、それは……非常に喜ばしい話だね」


 得意げに話すアンナマリーに対して、アレクシスも顔をほころばせる。どういうものなのかを問う長兄に、長姉は簡単に説明を行う。


(まぁ、要は携帯電話みたいなもんだよな)


 フェレファーブルという世界には剣も魔法も当然のように存在している。前世の記憶を取り戻したばかりのアーレンスには単語の意味こそ理解できても、現実として受け入れることは容易ではなかった。剣や魔法があったとて、便利さは現代――前世の記憶の中の方が上だったからだ。記憶を取り戻して間もない頃に「なんでだよっ!?」と何かに対してキレてしまったことは、未だに覚えている。

 というのも、フェレファーブルという世界は過去に何度も人間と異種族間とで争いが起きていた。その際に魔法というものは非常に役に立った。敵を森ごと焼き払うことも出来たし、敵を氷漬けにして足を、命を、とめることも出来た。だが、どの種族も魔法に頼り過ぎてしまった。その結果、魔法の源となるマギアというものが世界から減少してしまったことで、これまで使えていた便利な魔具の多くは使用できなくなってしまった。通信魔具もその一つだ。現在は各国ともマギアの回復のために、一定量を超える魔具の使用や、一部の人間以外の魔法の使用が禁じられてしまっている。だからこそ、剣や魔法が存在する世界であるにも関わらず、記憶を取り戻してしまったアーレンスにとっては非常に不便な世界に感じられた。


「過去に存在したものに比べると不便かもしれません。顔を見て会話することは、まだできませんから。しかし、極少量のマギアで、フェレファーブルのどこにいても会話が可能というのは……我ながら素晴らしい発明だと思います」

「本当に素晴らしいよ、アンナマリー。お前のおかげで、いつでもアーレンスと会話が出来るようになるんだろう? 何か褒美を与えなくてはね」


 誇らしげに話すアンナマリーを、アレクシスは褒め称えている。そんな長兄長姉を横目に、次兄であるアンゼルムがアーレンスに声を掛けてくる。


「どういう仕組みだ」

「俺も分かんない。こんなのが欲しいなって話をしたら姉上がいつの間にか設計図を作ってたしさ」


 不便で不衛生な環境に耐えられずに発狂するアーレンスが望むものを、アンナマリーは全て与えた。購出来るものは購入し、人を使って解決することには惜しみなく人員を導入し、ないものであれば自らが設計し作り上げてくれた。アンナマリーがいなければ、アーレンスは未だに環境に馴染むことが出来ずに年中発狂していたことだろう。なにせ、コンラッドでは風呂は十日に一度か二度程度、トイレだっていわゆるぼっとんと呼ばれるようなもの――よりももっと酷かったかもしれない――であった。街中だってそうだ。中央こそ綺麗だが、少し外れるとそこら中にゴミが溢れていて悪臭がどこからか漂ってきていた。発狂したアーレンスがゴミ回収かつ街中清掃を始めてしまって国民を困らせてしまったのは、今となっては良い思い出かもしれない。


「相変わらずだな、姉上も」

「あはは、ねー。でも、おかげで俺の精神状況も安定してるから姉上には感謝しかないよ」

「オレには」

「ん?」

「オレには感謝はないのか」


 ――始まった。

 アーレンスは内心で大きな溜息を吐く。もっとも、こうなってしまうと知っていながら次兄の前で長姉のことを褒めたアーレンスの自業自得ではあるのだが。


「ゼル兄上にも感謝しかないよ。いつも俺の護衛をしてくれてありがとう」

「ふん、当然のことだ。オレにも劣る騎士にアレンの護衛など任せられん」


 当然だ、とは言いつつも、アンゼルムはどこか嬉しそうだ。だが、それも致し方ないことだった。次兄であるアンゼルムの上には、文武両道かつ品行方正な次期国王の兄と、学に秀でているだけでなく技術者としても天才と称される姉がいる。アンゼルムも王族である以上、平均以上の知力を持っているのだが、いかんせん上二人が優秀過ぎた。また、コンラッドの王族は緋色の髪と天を連想させる青色の瞳を持って生まれるのだが、アンゼルムは一人だけ色素が薄く生まれてしまった。それも彼にとって劣等感を強く抱かせる要因になってしまった。

 そんな中、記憶を取り戻して発狂中――恐らくは前世の人格が優位になっている時――に、アーレンスはアンゼルムになにやら色々と声を掛けたらしい。アーレンスの記憶にはなく、アンゼルムもそのことは把握している。しかし、余程心を動かす言葉を掛けたらしく、以来アンゼルムはアーレンスに感謝されることや褒められることに重きを置くようになってしまった。その結果、剣術を始めとするあらゆる武術の才を持った次兄は数年前から末弟の護衛として行動している。

 アーレンスとしては兄が従者のように傍に控えていることに抵抗がないわけではない。ないのだが、自身の隣にいるために執事の役割すらこなしてみせる努力家な次兄にたいへん甘やかされてしまったアーレンスは、今更一人で身の回りのことをやってのける自信がなかった。今日だって早起き出来たのは偶然で、いつもはアンゼルムに優しく起こされているくらいなのだから。


「いつもありがとう。本当に感謝してるんだ、ゼル兄上にはさ」

「知っている。……が、勝手に行動するな。せめて声を掛けろ」

「うん、そうするよ」


 少し面倒だと思うことも多い兄や姉だが、それはアーレンスのことを大切に思うが故だと知っている。だから、アーレンスは今日もこうして四人で朝食を取れることに心の中で感謝するのだった。


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