第38話 賢者と無神論者


 その晩、眠れなかったので一人で屋上に行く。


 しばらくして、小春もやってきた。


「おまえも眠れないのか?」

「いやまぁ、眠いんですけど」

「眠いんかい!」


 脊髄反射的なツッコミ。こいつとはお笑いのコンビでも組めそうだな。


「だって、先輩に言っておきたいことがあって」

「さっきの話し合いのときに言えばよかったじゃん」

「そういう話じゃなくて、信乃ちゃんのことですよ」

「ああ、そのことか」


 本人の前では言いにくいことか。


「どういうつもりだ? って思ってますよね」


 そりゃそうだ。俺は彼女の同行には否定的だったからな。


「おまえはエスパーか?」

「わたしは『今の先輩』のことなら詳しいですよ」

「今限定かよ」

「昔はミステリアス……ん? 違いますね。不可解でしたから。先輩は」

「悪かったな」

「信乃ちゃんのことですが」


 ようやく本題か。


「で?」

「肉親同士の別れはつらいものです。できればあの二人は一緒にいさせてあげたいなっていう、わたしの趣味の問題です」

「趣味か」


 悪い趣味ではない。


「わたし、かわいい子が好きですから」

「そうだな。道世のことも気に入ってるもんな。可愛がりすぎて壊すなよ」

「そんなぁ、サイコパスじゃないんですから」

「実際壊れかけてるじゃねーか」


 最近の道世は中二病的な性格は控え目になり、小春の玩具となりつつあった。


「ええ、からかうとかわいいですよね」

「いじめっ子じゃねーかよ」

「先輩も時々やってますよ」

「お、おう」


 まあ、あの純粋過ぎる性格は、ついついいろいろ構いたくなってしまう。


「信乃ちゃんと親帆さんの姉妹関係見てて羨ましいなって思いましたし、いいなぁって憧れました」

「だから、あの二人を引き離すようなことはしたくなかったのか?」

「そうです」

「じゃあ、しかたないな」

「ありがとうございます。先輩に怒られるかと思いましたよ。余計なことするなって」

「ダウト! 俺がそういうことは言わないってわかってて、ああいうことしたんだろうが」


 小春はぺろっと舌を出して笑う。


「バレちゃいました」

「おまえの事も、だいたいわかるようになってきたよ」

「わーい、相思相愛ですね」

「相愛じゃねーよ相殺だ」

「ははは、オヤジギャグですね。そういえば先輩、中身おっさんでしたっけ」


 俺の渾身のネタをスルーしやがった。


「もう戻れ、眠いんだろ?」

「はい、そうですね。では、おやすみなさい」


 小春は満足げに帰っていく。俺の方はというと、眠気が益々吹っ飛んでしまっていた。

 しばらくすると背後に人の気配を感じる。


「よお、親友」


 むっちゃんが俺の背後から声をかけてきた。


「おまえとは近所の友達であって、親友になった覚えはないんだが」


 小春にからかわれて機嫌はよくないので、目の前の旧友に当たる。


「眠れないのか?」

「そういう定番の台詞には答えられない」

「なに拗ねてるんだ?」

「いろいろありすぎて疲れたんだよ」

「ここに来るまでにもいろいろあったんだっけ?」

「異世界の話はもうしねーぞ」

「そういや、二人だけで話すのは久々だな。再会してからも常に誰かがいたし」

「おまえは親帆さんとイチャイチャしてればいいんだよ」

「なんだ嫉妬か? 親帆はやらんぞ」

「興味ないって」

「そうか? いや、フセっちには二人も候補がいたか」


 誰のことを言っているのかは想像がつく。軽く流しておくか。


「小春はただの後輩、道世はただの弟子だぞ」

「それにしちゃ、さっきはいい雰囲気だったじゃないか」


 こいつ、小春とのやりとりを聞いていたのか?


「お互いにその気はねーよ」

「おまえ、女の子の扱いが酷いんじゃね?」

「いいんだよ。それよりも、なんか用があったんじゃないのか?」

「ああ、信乃のことで礼を言いにきた。ありがとな」

「さっきの小春とのやりとりを聞いてたんだろ? だったら小春にも礼を言っておけ」

「すでに言ってるよ」

「そうか」

「そうだよ。それよりもふせっちは丸くなったな、昔だったら絶対に不機嫌オーラ出してたからな」

「そうか?」

「キッチとよく喧嘩してたじゃん」

「キッチかぁ。そういやそうだな」

「俺がよく止めに入ってたんだぞ」

「覚えてるよ」

「……」


 むっちゃんの顔が急に深刻になる。


「どうした?」

「そのことでも話があるんだよ」

「話?」

「おまえ『オーガヘッド』って聞いたことがあるか?」

「いや。なんだそれ?」

「佐原の辺りにいるグールの親玉だ」

「それがどうしたんだよ」

「『オーガヘッド』の変異前の本名がわかったらしいんだ」

「本名?」

「鬼頭竜一だ」

「キッチか?」



**



 その夜、夢を見た。


 いや、これは夢ではない。過去の記憶だ。


「賢者シカガ、僕を覚えていますか?」


 ここは城内で催された戦勝パーティー。魔王討伐を祝うものだ。


 そんな中、会場の隅で一人寂しく酒をあおる彼に、俺と行動を共にしていた英雄ヒデオが話しかける。


 深紅のフードを深く被り、リリア姫からもらったとされる儀式用の杖を手放さない賢者シカガ。老け顔ではあるが、年齢的には俺たちとあまり変わらないと聞いていた。


「フン。勇者のヒデオか。なんの用だ?」


 皆がお祝いムードだというのに、彼だけは機嫌が悪そうにしている。


「いちおう礼を言おうと思いましてね。あなたの軍略のおかげで魔王を倒すことができたのですから」

「それは本心じゃないだろ? キミはこの世界の人間じゃない。魔王が倒されようがどうでもいいはずだ」

「魔王討伐はこの世界に人々の悲願ではないのですか?」

「今しているのはキミの話じゃないのか?」

「僕は、この世界の人々が喜ぶのがとても嬉しいですよ」

「この世界? 姫が喜べばいいんだろ?」

「……」


 英雄の顔が一瞬歪む。


「まあいいさ。社交辞令が済んだのなら、もう用はないだろ?」

「いや、用件はこれからですね」

「話があるなら早く済ませてくれないかね」

「ファロウズの防衛のさいに、なぜミリンダ村の人たちを見捨てた?」


 英雄が言っているのは、魔王軍侵攻のさいに戦力を都市ファロウズに集中させた。だが、別進路を移動中の魔族にミリンダ村は壊滅させられた。


「ファロウズの戦いはギリギリだった。もしミリンダ村に戦力を割いていたら守りきれなかっただろう」

「両方救う方法を考えるべきだろう?」

「そんな方法があるなら、キミが行動に移すべきだったろう?」

「僕には敵の七将の討伐という目的があった」

「べつに、キミがあの村を守れとは言っていないよ。私を上回る『素晴らしい策略』があったのなら、それを披露すればよかっただけだが」

「……」

 

 英雄は言葉に詰まると「もういい!」と捨て台詞を吐いて去っていく。


 あとに残されるのは俺。


「勇者パーティーの無神論者エイシエストか。キミも何か言いたいことがあるのか?」


 彼は俺を無神論者エイシエストと呼ぶ。それは同族嫌悪の裏返しだろう。自分も神を信じないくせに……。


「そうだな、ナリウザの戦いで俺たち勇者パーティーを捨て駒にしたのは驚いたが」


 俺は英雄のように、彼に対して理不尽な怒りは感じていない。


「あれくらいキミらの戦力なら余裕だろう?」

「ドラゴンが二体もいたんだぞ」

「余裕だったろうが」

「それなりに苦戦したよ」

「でも、犠牲者はゼロだったはず」

「そうだな。倒せない敵ではなかった。だが、そのせいでガガスの人たちを助けられなかった」


 本来なら、ワイバーンに襲われたガガス村への救援に行く予定だった。だが、突如現れたドラゴン退治を指示される。


「ドラゴンを野放しにしておいたら、その100倍もの民が犠牲になっていた」


 俺は英雄とは違うから、そのことでシカガを責めたりはしない。


「そこは否定しないよ。けど、俺たちがドラゴンにやられていたら魔王すら倒せなかったぞ」


 単純に、大事な王女が所属する勇者パーティーを、勝てるかもわからない戦いにぶつけたことに驚いているだけだ。


「言ったろ。キミたちの戦力を把握したうえでドラゴンにぶつけたんだ」

「本人たちでも、勝てるかどうかわからなかったんだぞ」


 前衛の英雄は何度瀕死の重傷を負ったか。


「私はありとあらゆる情報を網羅している。結果がどうなるかはわかりきっていたからな。勝てる確信があった」


 本人ですらわからなかったことを把握しているのは、ある意味凄いことではある。


「たいしたものだよ。だがな、ガガス村には俺が世話になったヘレンがいた」


 俺が世話になった人だ。ワイバーンの群れに襲われ、奮闘したが力尽きて戦死したとのことだった。


「かつての仲間を助けられなかったことを後悔しているのか?」

「理屈ではわかっているよ。数十人の人間と数千人の人間を天秤にかけたのなら、俺だって数千人の人間を救うことを考える」


 それでも知り合いを失うのはつらい。


「やはりキミは私と似ているな。神が本当にいたとしたら、俺たちは地獄へと墜とされるだろう」

「やめてくれ。冷徹な軍師さまに似てるなんておこがましい」


 俺は最大限の嫌味を言う。


「そうか? そっくりじゃないか。神を信じないこと、実は腹黒いこと、もう一つは……」


 賢者シカガは、会場の中心で笑顔で皆と会話を楽しむリリア姫へと向けられていた。彼が姫に惚れていたことを俺は知っている。


「失恋者同士で傷を舐めあう気はないぞ」


 彼と俺が似ているのは否定しない。だからこそ、俺はこいつが苦手なのだ。


「そうだな。キミと話していても楽しくはない」

「もう会うこともないだろうが、達者でな。姫の願いを叶えられたのは、あんたのおかげでもある」

「そうか? それは最大の賛辞だな。無神論者エイシエスト、私はまたどこかで会えることを願っているよ」


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