第10話 冒険前夜
その晩、俺と小春はマンションの屋上階の一室へと泊まることとなる。
小春はベッドのある部屋で寝かせた。部屋の扉に鍵もついていたので、本人も安心するだろうとそちらを譲ったのだ。
俺は、一人でリビングのソファへと寝ることになる。
現実世界へと帰還して久しぶりの夜。疲れもあって、すぐに眠りに落ちた。
だが、長い間『異世界』で暮らしていた感覚は抜けない。熟睡までとはいかず、浅い眠りで周りの危険を察知することだけは本能的に身についてしまっていたのだろう。
「……っ!」
人の気配で目を覚ます。咄嗟に目蓋を開き、辺りを確認。そして戦闘態勢に入る。
「……すみません。起こしてしまいましたか」
そこにいたのは小春だった。まあ、部屋に二人しかいないのだから、彼女の気配がするのは当たり前だろう。むしろ、ゾンビでなくて良かったと胸をなで下ろす。
「眠れないのか?」
「……眠れないというか、一人で真っ暗な部屋で寝るのって久しぶりなんですよ。それこそ、この世界がまだ平和な頃に自分の家で寝てたのが最後ですか」
「そういやシェルターで寝起きしていたんだったな」
「ええ、広い部屋に大勢で雑魚寝ってのがほとんどでしたからね。常に誰かの寝息が聞こえる状態だったんです」
「雑魚寝は経験があるよ。まあ、俺の場合は屋根もなかったけどな」
異世界では、仲間と野宿なんて当たり前だったかな。
「もうそれに慣れつつあったのに、今日久しぶりに一人になったら眠れないというか……不安になってきちゃって」
彼女の少し怯えた表情を見れば、それは窺える。こんな終末世界で一人いる恐怖は、俺が散々異世界で経験してきたことと重なってしまう。
「その気持ちは少しわかるよ。俺も昔、真っ暗な夜に一人で野宿してたときは、めちゃくちゃ緊張して不安に押し潰されそうになったから。まあ、結局一睡もできなかったけどな」
「先輩にもそういう時があったんですね」
「眠れないなら話でもするか?」
「ははは……お願いします」
俺はソファーから起き上がって、本来の座り方に腰を落ち着ける。そして、その空いた隣のスペースに小春が座った。
「といっても、異世界の話はもうすでにしたからなぁ……」
「リリアさんの話がもっと聞きたいです」
「へ?」
その名前は不意打ちだ。
「だって、先輩の片思いの相手なんですよね?」
心への鋭いボディブローだ。
こいつ、俺のあの話からそこまで推測していたとは……こうなったら黙秘するしかない。
「お、俺に答える義務はない」
「あはは、普通に否定すればいいのに、そんな反応だと素直に勘ぐっちゃいますよ」
素直に勘ぐるってどんな日本語だよ……って、まあ、隙を見せた俺が悪いのか。いや、小春のほうが悪い。
「ゲスだなぁ」
「わたしはゲスですよ」
ドヤ顔で言ってくる小春の顔がおかしくて、思わず吹き出してしまう。
「……っぷ」
「もう、なに笑ってるんですかぁ」
「そういや、俺、小春って、怒ってる顔しか記憶になかったんだよなぁ」
同じ部活の先輩後輩だったけど、まったく気が合わなかったのである。
「それ、お互いさまですよ。先輩、いつも気難しい顔していましたよね?」
「そうか?」
「そうです」
「じゃあ、お互い様だな」
そう言ってさらに笑う。
「もう……先輩、ズルいな。昔と全然違うし、優しいし、ギャップが凄すぎます……」
小春は顔を逸らしそう告げると、ぼそりとした声で「だから付いてきたんですけどね」とこぼした。
「ギャップ萌えってやつか?」
「先輩に萌え要素はないですよ」
「そうか? まあ、中身はおっさんだからなぁ」
「異世界のお話も訊きたかったですけど、まあ、先輩がそう言うなら、しかたないですね」
「何が、しかたないだよ」
俺は拗ねたように、冗談っぽく反応する。
「ここは部活の時みたいに創作論でも語り合いますか?」
「俺、もう書いてないぞ」
異世界に転移して10年以上、PCやスマホに向かって小説を書くなんてことはしていなかった。それどころか、毎日が物語の世界みたいなものだったからなぁ。
「じゃあ、せっかくゾンビの世界にいるんですから、ゾンビ作品の『あるある』でも上げてきますか」
「せっかくってなんだよ。まあいいけど」
「ゾンビあるある『その一』。ゾンビよりも人間の方が脅威」
ノリノリの小春は、人差し指を一本立てるとドヤ顔でそう言った。
「まあ、そうだな。後半になるとゾンビは簡単に倒せるけど、メンドクサイ人間関係が枷になって、物語が進行しない」
シリーズものだと、それで見る気力がなくなってくる。
「そうなんですよ。その方が面白くなるってのはわかりますが、ストーリーが停滞してストレスがものすごく溜まるんですよね」
「個々の人間関係だけじゃなくて、派閥間の争いになるからな。対ゾンビじゃなくて、対人間だから、戦争ものになっちゃうんだよ」
結局、ゾンビより人間の方が怖かったってパターンだ。
「そうです。それの弊害として、登場人物が多すぎて覚えられないってのもあります」
「あー、ゾンビドラマのシーズン区切りのやつで、間が空くと次シーズンの最初に出てきた登場人物が「誰だっけ?」ってのがよくあるよな」
日本人の俺には、海外の俳優の顔が覚えられない。というか、見分けられない場合も多い。
「ああ、それってあのシリーズですよね。『ウォーなんとか』って。あれって、せっかく仲間になった重要人物を簡単に死なせますからね」
「そうそう、『なんとかデッド』だ。人死にはリアリティを出すには欠かせないんだろうな」
「けど、悲しいです。わたしは誰も死なない物語が観たかったです」
「それ、面白くなるのか?」
「面白くするのが物語制作者の腕じゃないですか。人死にで感動させようなんて、ただの手抜きですよ」
「……」
そういや、大昔にそんな感じでお手軽な感動を書いたこともあったっけ。心が痛い。
その後も、小春との『ゾンビあるある話』は盛り上がる。それは、彼女が寝落ちするまで続いた。
今、スヤスヤ寝息を立てて彼女は眠っている。安心しきった寝顔。俺はため息を吐くと立ち上がって、予備の毛布をかけてやった。
◇◇
昔の小春のことを思い出す。
あれは、入部してきた小春が、初めて俺に話しかけてきたときだっけ。
「先輩は、どんなお話を書かれるんですか?」
「あ?」
イキってた俺は、面倒くさそうに振り返る。
「それとも先輩は読む方だけですか?」
彼女はさらに質問をしてくる。単純に好奇心だったのだろう。無邪気な微笑みが、なぜか気に障った。
「もちろん書くよ。おまえはどんなのを書くんだ?」
初めにこちらに質問されたというのに、それを無視して逆に聞き返すというワガママっぷり。この頃の俺って恥ずかしい奴だよなぁ。
「わたしはファンタジーですよ。ほら、剣と魔法の世界の」
小春は自分の話題なので、一瞬楽しそうに語り始めるが、昔のダメな俺はそれを台無しにする。
「トールキンの指輪物語とか、ああいう本格ファンタジーか?」
「いえ、ラノベのもっと親しみやすいやつで」
「くだらねえな」
「え?」
「薄っぺらい世界感なんだろ?」
この時の俺って、今思えば悪役キャラだよなぁ。いや、もっと雑魚キャラか。
「何言ってるんですか、先輩」
「言葉の通りだよ。ラノベなんて、一番くだらないものだと思ってるよ」
「先輩がラノベを嫌うのは勝手ですが、決めつけはよくないんじゃないですか? ラノベにだって、よく練られた世界感の作品はたくさんありますよ。先輩もちゃんと読んでみればわかるはずです」
「は? そんな時間ねえよ。俺は読みたいものにしか時間を割かないし、書きたいものしか書かねえって」
若さゆえの無知と自己陶酔。本当に思い出すだけで恥ずかしい記憶。
「そうですか。先輩がどういう人かわかりました。失礼します」
ムッとした顔のまま、別の部員のところへ行き、そこで話を咲かせる。そもそも、俺以外の部員は人当たりの良い奴が多いからな。
それからの彼女とは、ほとんど言葉を交わさなかったと思う
だから改めて思う。
どう考えたって、こいつが俺に好意を持つはずが無い。なのに、無防備に寝顔を晒している今のこの状態は異常だ。
「……」
考えていても仕方が無い。
「俺も寝るか」
足を伸ばして寝ることはできないが、座った状態で眠るなんて異世界ではよくやっていたことだからな。
さあ、明日から現実世界での冒険の始まりだ。隣にリリア姫はいないが、小春なら退屈しない旅仲間になるだろう。
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