第4話 謎の文字


 目の前の少女に問いかけられて12年前の記憶が甦る。そういや、彼女は俺の後輩だ。どうりで見覚えのある顔だった。


「あれ? たしか同じ部活の……八田やただっけ?」


 彼女は俺の後輩だ。


 俺が所属していたのは文芸部。ただし、それほど後輩たちと交流があったわけではないが。


「はい。文芸部の八田やた小春こはるです……というか、親が離婚して母方に付いたので、今は『コウサカ』……『クレナイ』に『さか』で『紅坂コウサカ』って苗字なんですけどね」

「じゃあ、紅坂って呼んだ方がいいか?」

「紅坂って苗字も慣れてないんで、小春こはるでいいですよ。今はみんなにそう呼んでもらってますから」

「まあ、そういう事情なら仕方ないな」


 昔の俺だったら、女の子の名前読みなんて恥ずかしくてできなかっただろう。が、異世界では苗字がない人も多かったから、あまり抵抗がない。


「ていうか、先輩どこ行ってたんですか? 去年の夏休みに行方不明になって、みんな心配してたんですよ!」


 急に小春こはるが、怒り出したような表情になる。


「ああ……えーと、深い事情があって」


 異世界に召喚されてたなんて、説明しても信じてもらえるかどうか……。


「どんな事情なんですか?!」


 小春こはるが俺を、怒ったように問い詰める。


「まあ、アレだ。自分探しの旅みたいなもので」


 それで誤魔化せないってのはわかっているのだが……。


「……それ本当ですか?」


 ジト目で俺を見る彼女の顔がちょっと怖い。


「俺には俺の事情があるんだよ。小春こはるには関係ないだろ」

「そりゃそうですけど……でも、先輩がいなくなったあと、大騒ぎだったんですから」


 何も言わずに忽然と姿を消すって、神隠しのようなものだからな。そもそも家出をするような理由もない。だから、大騒ぎだったってのは、ある程度予想は付く。


「悪いな」

「いえ、わたしは先輩の身内の人間ではありませんから、そこまで責める資格はないんですけど」


 と、今度は肩を落とし、自省するかのように少し俯く。この子は、くるくるとよく表情の変わること。


 そういや、部活ではあんまり接点はなかったんだよなぁ……一度創作論みたいな話で盛り上がる……いや、喧嘩になったことがあったっけ。


「いいよ。周りが騒ぐのは仕方が無い」

「すみません。助けられたというのに、こんな生意気なこと言っちゃって。助けてくれてありがとうございました」


 小春こはるは深々と頭を下げる。そして、ぱっと顔を上げると、俺に迫る勢いで近づいて続けざまにこう告げる。


「というか、あのゾンビたちを倒した火の玉はなんですか? まるで魔法みたいじゃないですか」

「……」


 やっぱ見られたよな。ちょっと自分の行動が軽率だったと反省する。


 俺の能力は他人に利用されやすいってのは理解している。だから、本来は使う場所を考えるべきだった。


「あれって、先輩が嫌っていたファンタジーものの定番ですよね。『ゲームみたいな魔法なんてナンセンスだ』って、先輩の持論じゃありませんでしたっけ」

「……」


 うん。言った覚えはある。高二病だった俺は、創作論でリアリティのない『ゲームみたいな世界』を否定していた。異世界転生なんて、もってのほか。もっとも卑下する物語だったと思う。


「先輩、『ファイアボール』って呪文を唱えてませんでした?」

「……聞こえてた?」


 中二病ばりのノリノリで魔法発動させていたもんな。聞こえていたとしたら、これほど恥ずかしいことはないだろう。


「ええ、わたし耳はいい方なんで」

「とりあえず、魔法のことは黙っててくれないか?」

「魔法だって認めるんですね?」

「えーと、まあ、魔法だな」


 あれを現代の物理法則で説明できるわけがない。だから、俺は降参する。


「すごいです! 先輩。どうやって魔法を習得したんですか? まさか異世界に召喚されて戻ってきたとかじゃないですよね」


 意外と鋭いなこの子。いや、発想が中二病的か。でも、否定できないのがつらいところ。


「……」

「え? 冗談でなく、本当に」


 否定しなかったことで彼女は確信したのだろう。


「……うん、まあな。というか、こんなデタラメなこと信じるのか?」


 高二病の俺は、異世界で12年も暮らして、過去の存在となった。異世界転生? いいじゃないか。リアリティがない? いや、実際に行ってきたのだから、それは現実だ。


「それ以外で、あの魔法みたいな超常現象を説明できるわけないじゃないですか」


 そういえば、彼女は俺とは正反対に『異世界もの』が大好きなタイプだったっけ。


「とにかく、このことは秘密だぞ。どこかの組織に所属して自分の行動が縛られるのは嫌だからさ」


 そうしたら、絶対に対ゾンビとの戦闘に借り出されて、自由が奪われるだけだ。俺は楽に暮らしたいだけだ。


 そう。


 せっかくだからスローライフでも目指してみるか。


「そりゃ、秘密にしますけど」


 その時、彼女の左手の甲に何か模様のようなものが赤く浮かび上がっているのに気づく。


「あれ? それって入れ墨?」


 それは文字であった。日本語でも英語でもなく、この世界のどの国の言葉でもない。でも、それを俺は知っている。読めてしまう。


「え? 入れ墨なんか……って、なんですかこれ? 入れ墨どころか、こんな趣味の悪いペイントなんかした覚えありませんて」

「ちょっと見せてくれないか」


 そう言って彼女の左手を軽く握ると、こちらに引き寄せる。


 そこに浮かび上がる文字は『ミリャール』と発音する。ラミネ王国の公用語であるラマスカル語だ。俺が飛ばされた異世界の国の文字がなぜ?


 日本語に訳すなら「悌」……かな。つまり、兄や年長者によく従うという意味を持つ。それがなぜ彼女の手に?


 ペンで描かれたような文字ではない、赤文字なのに不思議な金色の光を放っている。


 気になってその文字に触れる……と。


 ふいに記憶が流れ込んできた。




◇◇◇◇



 ぼんやりと浮かぶのは懐かしい顔。


 異世界に召喚されたはいいが、俺自身は能力が平凡で戦力にならなかった。それを鍛えるために、冒険者パーティーへと預けられたときの記憶だ。


「すみません……身体が動かなくて」


 初めての戦闘で、俺は何もできずに棒立ちとなっていた。


 異世界に召喚されたものの、チートな力は得られず、能力的にも平凡なものなのだから当たり前である。単純に俺は、勇者である安永英雄の召喚の巻き添えだったらしい。


 強さが絶対の世界において、元のひねくれた性格はほとんど消え去っていた。自信の喪失と自己嫌悪が原因だろう。


 それでもなんとか頑張れたのは、片思いの相手でもあるリリア姫のおかげだろう。


「怖いのか?」


 そんな俺に声をかけてくれたのは仲間の一人。赤毛の女戦士で、名をヘレンという。


 右目に傷がある筋肉質の大女だ。たしか、狐族という種族だったと思う。獣のような耳と尻尾を持つ人種だ。


「……はい、情けない話ですが」

「怖いのは仕方ないよ。誰だって死ぬのは嫌だ」

「え?」


 意外な言葉をかけられる。目の前にいるのは屈強な戦士だというのに。


「でもな、戦わなければ無条件で死が待つだけだ」

「……」


 それはしごく当たり前の事。


「そんなルーキーにこれをやるよ」


 それは金色の指輪。


 宝石はついておらず、幅10ミリ以上もある太めのリングだ。内側には発動のための魔力回路である術式が刻まれている。


「これは?」

「ヴァジュラの指輪だよ。一定時間、物理的な攻撃力を無効化するものだ。一撃をくらってもダメージはない」

「すごい効果ですね。防具なんかいりませんね」

「そこまで強力じゃねーよ。前衛が使うにはやや心許ないって」

「そうなんですか……」


 チートな魔法具と思っていたので、ややテンションが下がる。


「そもそもこれは防具として使うんじゃない」

「じゃあ何のために?」

「お守りだよ」

「お守りですか?」


 相手の言っている意味を掴みかねる。


「敵から先制攻撃もらっても冷静でいるためのな」


 そりゃそうか。戦いで腰が引けるのは自身が痛みを伴ったダメージを受けるからだ。痛みを感じないゲームとかなら、ガンガン攻められるもんなぁ。


「敵の攻撃にビビるなってことですか?」

「そういうことだ。戦いってのは駆け引きだからな。冷静になれなきゃ負けだ」

「つまり痛みを無効にすることで『考える時間を作れ』ってことですね」

「そうだ。そうすれば状況を把握できるようになる。まあ、お守りみたいなものだ」

「これは大事なものじゃないのですか?」


 後衛の俺なんかより、前衛のヘレンの方が必要な気がする。


「バカだな、ルーキー。あたしゃ、こんなものに頼らなくても最初の一撃を躱せるよ」

「すごいなぁ」

「おまえにも、それができるように鍛えてやるからな。覚悟しろ」

「……う、うん」

「ああ、それにテイムのスキルも付いているから、おまえの戦闘を手伝ってくれる相棒を見つけることもできるぞ」


 そのヘレンには、かなりしごかれた覚えがある。


 そしてヴァジュラの指輪は、俺が聖衣蒸着ホーリー・クロスを習得するそのときまで、かなり世話になったマジックアイテムの一つだった。


 なぜこんな記憶が?


 そう思っていると、だんだんと現実世界に戻される。



◇◇◇◇

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