19
ルルが泣いている。
表情はなく、ただただ、涙を流している。
しかし、その瞳だけは強い決意の光を湛えていた。
手に持ったナイフを、うっ血するほどに強く握りしめて、大きく振りかぶる。
振り下ろす瞬間、瞼が固まったように目を開いたままのルル。
噴き出す血。絶命する瞬間の痙攣。そして、恨むようなその視線を。
そのすべてをルルは見ていた。
俺はそのルルを、ただ見ていた。
こうなった理由は、一時間ほど前に遡る。
「明日から二日間、皆さんには森での合宿を行ってもらいます」
生徒の前に立ったナユタ先生は言う。
各々違いはあれど、それを聞いている生徒たちはどこか興奮気味だ。俺の隣で聞いているルルも例外ではない。
「課題と、道具については明日の朝に支給します。時間に遅れないように」
「「「「「「「「「「「「「「「「はいっ」」」」」」」」」」」」」」」」」
「結構。それでは、本日の授業について説明します。皆さんには、今から、魔物を殺してもらいます」
魔物を殺す。その言葉を聞いた生徒たちの様子は極端に二つに分かれた。
今更? と首を傾げたそうにする者と、顔を歪めて明確な忌避感を表す者。
ルルは、後者だった。
「私たちは召喚術士です。魔物とともに生き、戦い、死ぬ存在です。では、死ぬときは誰に殺されるのでしょう?」
問いかけに、顔を歪めた者たちは息を呑んだように固まる。
「時間。それもあるでしょう。天寿を全うできるのであれば、多くの場合において幸せなことです。
人間。人は時に争います。些細ないざこざで帰らなくなった命が山ほどあるのが現実です。
そして、魔物。この世界でもっとも人類種を多く殺してきたのは魔物です。そう、あなた方の隣にいるのと、同じ存在です」
ルルの手が俺の服のすそをつかんだ。無意識なのだろう。視線は釘付けになったかのように、ナユタ先生から離せないでいる。
「明日からの合宿では、野生の魔物との戦闘を行う機会もあるでしょう。そうなったとき、迷わないために、今日ここで線引きをしてもらいます」
その言葉の先を想像してしまったのだろう生徒たちは、余裕の表情をしていた者も全員が一斉に、顔をこわばらせた。
「同じ魔物でも、助ける命と、奪う命。そんなエゴに塗れた取捨選択の一歩目を、今日の授業では踏み出してもらいます」
出席番号順に生徒たちが呼ばれ、小ぶりのナイフがナユタ先生から手渡されると、森の中からフラフラと魔物が一匹だけ出てくる。明らかに足取りのおかしいその魔物を、自身の使い魔によって、取り押さえさせた後、生徒自身が手に持ったナイフでとどめを刺すのだった。
目を瞑り、短く息を吐いてから、一突きにする者。
取り押さえる自身の使い魔に、ちらりと視線を向けてから、逸らして刺す者。
ごめんなさいと繰り返し、呟きながら刺す者。
中には、半狂乱で滅多刺しにしてナユタ先生に静止される者もいた。
それを視ていたルルの、顔色はみるみる青くなっていった。
(ルル……、その大丈夫か?)
「だい、じょうぶです。ゾンさんに、やらせたことをわたしが、やらないのは、おかしなこと、ですから」
明らかに、大丈夫ではない。
決意に塗り固められた表情が、今は見ていて、痛々しい。
「13番、ルルさん。前へ」
呼ばれて、ルルの肩がビクリと大きく跳ねる。それから、ぎこちない、動きで前へと歩みでる。
雑に血を拭っただけのナイフをルルに持たせたあと、ナユタ先生が俺を睨みながら言った。
「間違えても、あなたが止めを刺さないように」
チッ。俺の考えはお見通しらしい。
そして、ルルの番が始まった。
森の中から現れたのは、一匹の茶色い角の生えたウサギだった。
フラフラとした足取りで進むと、俺たちの前にたどり着く前に倒れてしまう。それをナユタ先生は、耳をつかんで俺たちの足元に放り投げた。
「念のため取り押さえておいてください」
土ぼこりの付いたウサギの首を、押さえつける。このまま体重を乗せれば折ることは容易い。
でも、とルルを見る。
ナイフを両手で持ったルルは、さっきまでの怯えた表情とは一転、感情の抜け落ちたような顔をしていた。
「ゾ、ゾンさん……」
(こんなこと、早く終わらせちまおう)
これが、最初で最後だ。
今後、ルルにこういうことはさせない。
何度も深呼吸をして、その度に目の端に溜まった涙が大きくなっていくのを見れば、向いていないことは明らかだ。向いていないなら、やらなくていい。その分、俺がやる。
時間が経つにつれて、ウサギの魔物が徐々に活力を取り戻して暴れ始める。それを見てルルの覚悟が揺らぐかもと思ったが、そんなことは無く、握りしめたナイフを持ってゆっくりと近づいてくる。
一歩、また一歩と歩くたびに、涙の水滴が揺れて溢れていく。
震える手でナイフを逆手に持ち帰ると、大きく頭上まで掲げて、振り下ろした。
「ゾンさん、わたし、冒険者になれるんでしょうか?」
ベッドの上に座ったルルがポツリと零す。
授業が終わってから、食事のときも、風呂から上がってからも、ぼんやりとした様子だったので、突然、正気に戻ったような言葉に驚いた。
(どうして、そう思った?)
「冒険者じゃなくてもよかったんです、どこか遠いところに行ければ、それで」
(そうか)
別に驚かない。薄々、そうだろうなとは思っていた。
ルルの冒険者になりたいという考えは、昨日今日のものではないのだろう。でも、そこには何一つとして、行動が伴っていなかった。
冒険者というのは外で働く仕事なのに、日中引きこもってばかりいる。だから、体力が少ない。
魔力が少ないから符術というのは分かる。でも、それが金銭的に無理なら、別の、それこそ剣でも練習するべきだった。
「魔力が少ないせいで魔術が使えなくてもバカにされないで、黒髪でも嫌な目で見られないで、友達がいて、家族がいて、美味しいご飯が毎日食べられて、たまに旅行とかして、知らないことを勉強して……全部は無理でも、二つ三つくらいなら、冒険者になれば叶うと思ったんです。別に、学園長先生みたいに、英雄とか呼ばれなくてもいいんです」
いじけたように、膝を抱えてルルが言った。
「やっぱり、無理なんですよ」
(無理じゃない)
その言葉を間髪を入れずに、否定する。
(俺がいるのに、無理だとか言わないでくれ)
正直、ショックだった。
冒険者じゃなくても、別の仕事をしたいと言ってくれれば手伝う。
模擬戦のときだって、力を示した。
今までだって、ルルを一番に思って行動してきた。
(ルルでできないんだったら、俺がやるから。諦めないで、俺を信じて欲しい)
ルルが自分自身のことを信じられなくても、俺のことだけは信じてほしい。
「でも、わたし、冒険者には」
(冒険がしたくて、遠くに行ってみてたくて、冒険者になるのは変なことなのか?)
「ち、がいます……」
(だったら、冒険者になろう。それでいろんなとこ行って、美味しいもの食べて、英雄になって、友達いっぱい作ろう)
「ふふっ、欲張り過ぎませんか」
笑った。やった!
(いいんだよ、欲張りで。俺が全部、叶えるから)
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