古代の王 イメージとの乖離
以前、書いたように自分は現時点においては”トンデモ説”の一種である飛騨王朝説を支持している。といっても、自分は歴史学者でも考古学者でもなく、単に「その方が面白いから」程度の理由で支持に回っているわけなのだが、鬼界カルデラ噴火以後の列島において、飛騨~諏訪あたりのどこかには一大集落がある方が自然であるし、それが関東や東北の勢力と並立しないわけでもない。
寒冷期に入っていく紀元前2000年頃までの間には、中部、関東、東北、これらの地にはある程度の規模の共同体が成立していたはずであり、当時の気温、生活状況から推察するに、飛騨がその一つである事は不思議ではない。
しかし、”王朝”とはいっても、現在、我々が想像するような王国ではないだろう。私のような不勉強な人間は王朝と聞くと、つい中央集権的で官僚がいるあの構造を想起してしまうが、そんなものはこの時代にありえない。
稲などの栽培がまだ進んでおらず、長距離を移動して税を納める事がほぼ不可能であるという点は忘れてはならない。当然ながら、貨幣は普及しておらず、税を納めるとしても現物限定であり、これでは中央に権力を集める事は不可能である。
例えば、フランク王国では王が全国を廻り、税を『現地で消費する』という徴税法を取っていたという。
『中世ヨーロッパの巡航王権』岡地稔
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.nanzan.ac.jp/item/202211/Archeia17-3_Okachi.pdf
(テストは持ち込み可だったはず。本当にありがとうございました)
この巡行には徴税の他、現地民に王の権威を知らしめるという目的もあったとされる。実際、ある程度、広範囲の領土を治める場合、王の姿を見た事ない人ばかりでは忠誠心もへったくれもないだろう。
飛騨王朝なるものが実在したとして、王様の権威をどうやって遠隔地までしらしめるか。馬のない時代に山だらけの列島巡業はいささか難しいだろう。シャーマン的な性格を持つ王ならば、徴税などはなく、各地の村々のアドバイザー的存在に過ぎなかったと考える方が自然である。我々がイメージするような中央集権国家の王という感じではなく、宗教的権威のみのもっと権力の弱い存在、それが実体となるのではなかろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます