神武はなぜ日本統一など考えたのか

 前項では、古代王朝の王は大した権力者ではない、くらいの事を書いたわけであるが、そういった原始的国家しかなかった日本列島に、なぜ、大和王権というものが成立したのか、という事は軽く考察、整理しておきたいと思う。


 縄文中期まではその気候から高地に住んでいた狩猟採集系の部族も、末期に向かうにつれて平野部へ移住していったものとみられる。


 稲作はその寒冷化と共に普及していき、徐々に弥生時代へと移行していく。


 記紀を基準にすれば紀元前7世紀弥生時代(おそらくこれはないとは思うが)、崇神天皇建国説であれば3世紀古墳時代、正確な事は分からないにせよ、おそらくはこの間のどこかで大和政権が誕生することになるわけだが、皇室の祖、また豪族たちは一体、なんでまた統一政権などを作ろうと思ったのだろうか。


 それは単に支配欲や権力欲といった、単純な欲望から興した事業ではないと考えている。誤解が生じないよう念のため書くが、欲深い事はいけない、などという仏教的な善悪の感覚で言っているわけではない。話はもっと単純である。遠征統一事業は非常にリスク、難度が高く、欲のみを原動力とするには弱すぎると思うのだ。


 考古学や歴史学の研究者たちは当然だが、年月をかけて吸収してきた知識量がある。自分もその点において彼らをリスペクトしているわけだが、彼らのおそらく、ほぼ全員に決定的に欠けているものがある。


 それは集団で何かを争った経験、時には暴力を含む経験である。

 歴史学者たちは為政者というのは、放っておけば自然と戦争や征服行為を行うと考えているようだが、自分は戦争、あるいは戦闘というのは、そこまで無計画なものではないと考えている。


 ここで一見、無関係に思われるかもしれない話をしよう。私は不良全盛期の生まれではないが、比較的……というか、結構荒れている地域で育った。なので、私の周囲にはそういう少年たちがたくさんいたのであるが、彼らが世間から誤解されがちな点がある。


 世間は彼らの事を乱暴者とみなしているが、自分達ではそう思っていない。むしろ基本的にはどんなヤンキーでも無用な喧嘩は避けたいと思っている。傍からは無軌道に見える荒くれものであっても、本人にとって必要だと思うから暴力的な行為に及ぶのであって、必要がなければ喧嘩はしない。平和な地域で育った者との違いは、単に最終的な解決手段に「暴力」を選択肢として持っているかいないかだけの違いである。


 『ドラゴンボール』の孫悟空のように、純粋に戦闘行為が好きだというヤンキーはまず存在しない。そういったアスリート志向の人間はヤンキーではなく空手やボクシングをやる。これなら喧嘩に負けて歯を失う事もなければ、彼女をレイプされる事もない。


 ルールのない実力勝負であれば、何が起こるか分からず、見込まれるリターンに対してリスクが大きい。あまり一般には理解されないかもしれないが、ヤンキー同士の抗争は、突発的なものを除けば、チーム内で事前にやるかやらないかの合意形成がなされる事が多い。


 リーダー格の者は、基本的には好戦的であるように見せかけるものの、やっても得がない場合は、今回はやめとこうぜ、という意見が必ず出る。必要があればいつでもやるが、必要がないならやらない、これが基本姿勢であり、度を越して好戦的な者はリーダーにはなれないか、周囲の恐怖を利用してリーダーになったとしても、その政権は短期で終わる。


 その昔、都会の暴走族は各地の小チームを束ねて連合化していたようだが、あれはその方がトラブルが少なくなるからだと思われる。

 リーダー同士の勝負の結果、または大勢やOBの推薦に応じて、連合の総長が決まるようだが、最初に序列を決めておき、無用なトラブルを避けるのが目的である。そうしなければ、報復の連続で死人が出る。


 不良やヤンキーというのは、別に犯罪を目的とする集団ではなく、単に価値観が近い者達のサークルみたいなものなので、一般社会と同じく、トラブルメーカーは鬱陶しがられる。


 彼らが最初に威圧、恫喝といった手段を用いるのはそのためである。相手が退くならそれでよし。問答無用で鼻を殴りつけたり、ナイフを突き出す方が効果的にも関わらず、「やんのか、オラァ!」みたいな不毛なやり取りがあるのは、「本当はやりたくないんだけどな……」の裏返しである。


 さて、こんな話をして何が言いたいのかというと、征服行為というのは、その計画が遠大であるほど本能的に行われるものではなく、十分なリターンが見込める、あるいはそうしなくてはならないほどの事態だから実行に移されるのだ、ということである。



 日本統一事業は、一体、リスクとリターンが見合っているのだろうか?

 記紀によれば、天孫降臨の地である高千穂を出立した神武軍は、筑紫で1年、安芸で7年、吉備で8年と、最低でも16年もの歳月をかけて東征していく。

 紀元前334年に始まるアレキサンダー東征は、神武東征よりも広範囲を攻略したにも関わらず、11年しかかけていない。


 11年しか、と書いたものの11年だって普通なら考えられない長期である。アレキサンダーは東征開始時22歳、主な副官たちは彼より年長であり、既に所帯を持っていた者も多い(大王自身は遠征の途中で結婚している)。彼らはファランクスと呼ばれる重装歩兵部隊を主力としながらも、さながら騎馬民族のように家族を引き連れて行軍している。これほど無理な遠征をしたのは、財政的問題からであろうとする説がある。


 アレキサンダーの東方遠征については、アレキサンダーの東西融和の夢とか、暗殺された父王フィリッポスの悲願だとか言われているが、その無理な行軍の仕方を考えると、「必要に迫られて仕方なく」というのが実情なのではないかと考えている。


 人間、やらなくてもいい事にやる気は出ない。ちょっと頑張ればイケる!という話ならまだしも、10年以上、戦争しながらめっちゃ遠く行きます、なんて言われたら、自分なら仮病を使って、軍を抜ける。いや、最初はワクワクして遠征するかもしれないが、何年かしたら帰って休みたい。


 記録にも残っているが、マケドニア軍の財政事情は火の車だったようで、大王自身、その資金確保には四苦八苦している様が記録されている。マケドニアは元々裕福な土地ではない。そして、フィリッポスの時代に急速に成長した国であり、周辺部族の有力者を国家中枢に取り込みながら、つまり火種を内に秘めながら、運営されていた。そんな中で父王の暗殺を受けて、急遽、王位を継いだアレキンダーには貴族達の散財を引き締める事などできなかっただろう。戦争による利益を確保し続けなければ、国家運営もままならず、とにかく行軍を続けるしかないような自転車操業状態だったのではないかと考えている。だからこそ、大王が死んだ途端にディアドコイ戦争が勃発する。自分に古代マケドニア人の性格など分かるはずもないが、それでもある程度でも安定していれば、あのような分裂にはならないのではないかと思うのである。



 少しマケドニアについての話が長くなった。

 神武東征が仮に最短16年で大和入りし、ナガスネヒコもさっさと降参したとする。それでも、遠征開始時に22歳だった者は38歳、仮に神武や側近たちが17歳くらいから開始したとしても33歳である。


 この頃、日本はまだ馬がいない時代と言われているが、どうだろうか。いたかいないかでも話は大きく変わってくる。


 いたならば、家族や財産を抱えたまま行軍する騎馬民族方式の行軍も可能になる。しかし、その場合でも相当数の馬の確保が必要で、日本の土地事情を考えると、馬だけでなく、牛も必要になるだろう。

 それだけの数の牛馬を確保するのは当時では難しかったのではないかと思うが、仮にできたとすれば、軍事面のアドバンテージは非常に大きいだろう。


 もし、馬無しであれば、家族や、財産を持ち運びながら行軍していくというのは殆ど無理だと思われる。となると、軍のみで遠征して行くことになるが、これほど長期にわたる遠征で兵士に里心がつかないとは思えない。ところどころで嫁や愛人を作ったとしてもである。ニニギやイワレヒコがいくら、やるぞー!と言ったって、さすがに限度というものがあるだろうし、短期の少数戦ならいざ知らず、長期のプロジェクトを気合でなんとかしようとするような集団は弱い。


 ただ、ところどころで長期滞在をしているので、この間に一般兵が一時帰国する事はあったかもしれない。その場合は交代で補充できる予備兵力が本国にあったということになる。

 また、一旦、制圧した土地が再び反旗を翻さないとも限らないので、大和平定までに軍を割きながら行軍するとなると、これまた多大な予備兵力が必要となる。


 また、兵糧の問題もある。軍、それも地の利のある敵軍に対して、確実に優位が取れるだけの軍勢を長期にわたって食わせ続けるだけの食糧、また、生活物資の補給は欠かせない。もし、現地調達を続ければ、大いに恨みを買うことになり、統一後に反乱の種になるだろう。


 しかし、本国から兵糧を輸送してもらう場合、今度は文字と最低限の算数を扱う能力が必要になる。でなければ、いつ、どこに、どれほどの量を、どうやって運ぶのかという命令の伝達ができない。

 そして、それは素人には不可能で、軍吏としての教育を受けた者でないと十分な仕事ができないだろう。地図の作成も不可欠だったはずである。




 遠征中の本国の経営はどうなのだろうか?

 ニニギ~イワレヒコは王なのだろうか?


 王であったなら、天孫降臨~神武東征は親征ということになるが、その間、本国を空けっぱなしにしていたことになる。他国からの侵略、高官の裏切りがあれば、補給が断たれて大惨事となる。


 王ではなく将軍という立場なら長期遠征も理解できなくはないが、ならば、なぜ神武が初代天皇となったのか。ニニギが王子で、その子孫が王になるというのが遠征前からの既定路線だったのだろうか。




 ここまでつらつらと書いただけで、相当な難事業だったのではないかと思うのだが、諸問題をクリアして、それでも統一政権を樹立しなければならない理由は何だったのだろうか。


 最初にも書いたように、私は征服欲が動機ではないと思う。自身の欲のために無理な計画を断行するリーダーは必ず殺されるだろうし、数々の問題を乗り越えてもなお、版図を拡げたいという欲が強い”征服王”であったとしたら、大和平定後の東国遠征にもっと積極的に取り組むのではないかと思うからである。


 おそらく大和政権も、アレキサンダーの東征と同じく、必要に迫られて作られたのではないかと思う。

 では、何が彼らをそれほどに駆り立てたのか。

 おそらく、であるが、秦、漢といった中国大陸に生まれた巨大国家への恐怖である。


 それまではいわば内輪揉め状態であった中国が巨大国家となった。しかも、その成立過程において、時には小国を丸ごと滅ぼすような苛烈なジェノサイドをも行った。討ち取った兵の首を繋げて数珠上にして掲げたり、串刺しにした敵兵をのぼりのように見せびらかしたりと、狂気の沙汰である。こういった過激な戦乱の末に生まれた巨大国家は周辺国に強い恐怖心を抱かせたはずである。


 こういった背景から日本統一へと踏み出したのではないかと考える。


 

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