スズメ①




「あー、へんなのがいるーー」



 

 何かな?




「デブってて、ハゲてて、いつもプープーおならばっかりしてるひと。誰なのー?」




 誰なのかな?




「ねぇねぇ、お母さん。誰なのーー?」




 ヤレヤレ、気持ちよく寝入っていたというのに娘に起こされてしまった。

 午睡から目覚め薄目を開けると、まだ小学生に上がったばかりだろうか。幼き娘が何やら喚いている。

 私は居間で寝転がり、いびきを欠いていたようだった。

 何かやけに現実感のある夢を見ていた気もするが、眠りが深かった為かよく思い出せない。

 えっと、今日は‥‥いつだったかな?



          ⚪︎



「嘘つき! 絶対、連れて行ってくれるって言った!」


 

 幼き娘がずっと癇癪を起こしている。

 ヤレヤレ、娘には困ったものだな。

 疲れているんだ。休日のお父さんを起こすんじゃないよ。

 


「お〜き〜て〜!」



 そう引っ張るな。娘よ。

 ‥‥思い出した。今日は日曜日で、つまり楽しい寝て曜日だったはず。

 だったらお父さんは居間でゴロゴロする日だろう。

 そんなに引っ張ってお父さんを困らせんるじゃない。



「ヤーダ〜、お〜き〜て〜!」



 困った困った。

 娘には困った。本当にこま‥‥‥‥。

 んー、眠い。お休みなさい。



「キリンさん、みーたーい〜!」


 

 首をなが〜くして待ってるね。スヤスヤ‥。



「ゾウさん、みーた〜い〜!」



 お鼻をぶるんぶる回して待ってるよ。スヤスヤスヤ‥‥。



「ラッコさん、み〜た〜い〜〜」



 おや、お昼寝中かな?



          ⚪︎



 ぐえっ。


 娘は押しても引いても私が起きないと分かると、ダイビングを決行してきた。まだ小学校に入ったばかりの小さな身体とは言え、娘に思っ切り乗っかられてはたまらない。少々ダメージが入る。しかし娘はまだまだ軽い。大柄な私の目を覚まさせるまでには至らなかった。


 という事で、すやすや‥。

 おやすみなさい。 

 


「ヤーダ、行く、ヤ〜〜ダ」



 娘は私の腹にしがみついて離れない。

 よほど動物園に行きたかったのだろう。


 ––––‥‥‥動物園?

    ああ、そうだった。


 今日は娘を動物園に連れてゆく約束をしていたのだったな。

 


「あーん、アーン」



 誰が娘をこんな泣かせたのだろう。まったく酷いことをするね。起きたらお父さんが叱ってあげよう。では、おやすみ。


 ––––‥‥そう言えば、スズメはこういう風に泣く子だったな。


 と言いつつ、眠気まなこで薄目を開き、娘を覗き見る。

 ずいぶん酷い顔をしている。娘の泣き顔をいつも見ているはずの私だったが、何故かこの泣き顔がひどく懐かしいものに感じられた。



「アーーン。どうしていっつも約束破るの。アーン、あーん」



 いやさ。違うんだ。お父さんだってお前と動物園に行きたかったさ。すっごく楽しみだったんだよ。本当だよ。でもね。お父さんにはお前を育てる為にお仕事というものがあってね。たまにだけれどね。お父さんも嫌なんだけど。接待というものがあるのだよ。すっごく嫌なんだけどね。しょうがないよね。昨日も仕事終わりに、どうしても同僚たちと夜釣りに行かなくてはいけないという接待があってね。仕方なかったんだよ。お前を育てるためには、時にお父さんはお前との約束よりも嫌な事を優先させなければいけない事があるんだ。

 ごめんね。お父さんは仕事ばっかりで。

 動物園はまた今度行くからね。



「‥‥‥‥‥‥‥‥スピー、スピー」



 娘は私に抱きついたまま、いつの間にか泣き疲れて眠ってしまったようだった。

 心地よい風が吹き込んでくる。この家の午後の居間は、風通しがよく、程よく日光が入り込んできて気持ちがいい。

 家の外では妻のよく通る大きな声が聞こえてくる。またご近所の方と話し込んでいるのだろう。

 こうして眠気を感じながら休日の時間は静かに過ぎてゆく。

 私は腹の上で眠る娘の背中をポンポンとゆっくり叩きながら、そんな穏やかな時間を楽しんでいた。



          ⚪︎



 『今日は楽しい寝て曜日のウタ』



 今日は楽しい寝て曜日

 お父さんと一緒に寝よう


 君が夢見るのはジャングルジム

 ビルよりも高く登って てっぺんだ

 お次はブランコから羽ばたいて

 飛んだ 飛んだぞ 空中遊泳

 お空の小鳥さんたちに挨拶だね


 そんなにお父さんの手を引っ張って

 次は何処へ行くのかな?

 君のことが大好きなお父さんは

 今日は一日中 一緒に遊んであげるからね


 ヤッタネ

 ゾウさんがお鼻で 

 君を背中に乗せてくれたよ

 さあ、お父さんと一緒に夢の国の動物園へ出発だ

 

 お友達のキリンさんに会いに行こう

 コアラさんは食事中だね

 ワニさんも、トラさんも、ペンギンさんも

 君を待ってるよ

 

 でも ここは夢の国の動物園

 ティラノザウルスくんが吠えてるね

 あれはキリンさんじゃないよ

 ブラキオサウルスさんて、言うんだよ

 それであれはツチノコ、あれはネッシー

 夫婦のドラゴンもお空で遊んでるね

 あれ? あそこで手を振ってくれているのは宇宙人さんかな?


 どうしたの?

 誰を探しているの?


 大丈夫 迷子になんてなってないよ

 お父さんは、ほら

 ずっと君の手を握っているよ


 もう遊び疲れたの?

 じゃあ、お父さんのところへおいで

 お父さんが抱きしめてあげよう


 今日は楽しい寝て曜日

 お父さんと一緒に眠ろう



          ⚪︎




 娘の寝息がだんだんと静かなものになってゆく。私の腹の上ですっかり寝入ってしまったようだ。

 このまま一緒に夕方まで眠ろうというところで、先ほどから外で井戸端会議をやっていた妻が家に戻って来た。家から出る前に掃除途中だったようで、掃除機をかけ始める。隣の部屋から音が聞こえていたが、私たちの眠るこの居間へも掃除機を引っ提げてやって来た。

 妻は邪魔臭いとばかりに掃除機の先で私を押し出す。私はゴロゴロと転がりながら、部屋の端へ移動する。

 娘も慣れたもので、私の上に引っ付いたまま、一緒に器用に転がってゆく。

 妻は手際良く部屋の半分を片付け終えると、部屋の端に寝転がっていた私たちを掃除機の先で突っつきだす。

 私は再び部屋の反対側の端まで転がっていった。娘も小判鮫のように眠ったままくっついてる。

 しかし今度は転がる回転数が合わなかった為に、私は仰向けにならず、うつ伏せの姿勢になり端にたどり着いた。そして娘の方は私とは上下逆さまにひっくり返り、ちょうど私の尻に顔をうつ伏にしている体勢になった。



 ブーーっ!



 あっ、出ちった。

 娘が尻に顔を付けているにも関わらず、豪快にこいてしまった。

 するとすぐに娘はムックリと私の尻から顔を上げる。

 泣き疲れの顔やら怒りやらが混じった実に不細工で不機嫌な顔をしている。

 そして母親が家に戻って来て、台所の方へいるのを確認すると、一目散に駆けて行った。

 そうして妻に大声で話しかける。



「ねぇねぇ、おかーさん。粗大ゴミの日、今日じゃなかったのー!」



 私は娘の教育に不安を思った。







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