やっぱり最後は冷たいものを

ただ単においしそうなごはんを書きたかった。

とある夏の日のシュヴァルツ家。


***



「暑くね?」

「暑いね?」


 突っ伏した机は伏した当初こそ冷たさも感じられたが、既に体温で温まってしまっている。

 うだるような暑さ、という表現すら生温い。




 数十年に一度といわれるエーテルの過剰活動


大自然の脅威を知らしめるサイクルは劇的な熱波を引き起こし、今年、ジェネシティは異常ともいえる猛暑にみまわれた。


 積み上がった氷がバランスを崩し、ガラス製のグラスを叩く音。一緒に注がれていたレモン水はとうの昔に無くなっている。グラスの表面を滑る水滴がテーブルに小さな水溜まりを広げていく様子を眺め、双子は同時に力無い声で呟いた。


 別に、互いに返答を求めたわけではない。肯定が返ってきても否定が返ってきても、自身が感じている暑さが変わる事なんてないのだ。


 しばらくの沈黙。再びグラスが小さく音を立てた。


「もうお昼だよ、どうする?」

「まじかよ、正直全く食う気起きねーわ」

「あたしも作る気起きない」

「でもチビたちは絶対ぇ食うだろ。あんだけ元気なんだぞ」


 体を起こす気力はなく、ヴェルは頬を机に押しつけたまま目線だけを窓の外に向ける。

 そこでは、この暑さをものともせずにはしゃぎ回る弟妹きょうだいたちの姿があった。



 父の趣味であるガーデニング用のスプリンクラから勢いよく噴出する水を浴びながら、全身ずぶ濡れできゃらきゃら楽しそうな笑い声を上げている。

 自分たちとて元気であれば一緒に水遊びをしたって良いのだが……いかんせん、昨日は補習で夜遅くまでしごかれていた。貴重な夏休みが1日でも潰れてしまったのは言わずもがな、この暑さで寝不足はひたすら堪える。

 しかも誂えたかのように空調用の魔道具は魔力切れを起こしていた。


 ヴェルは今になって自分の不真面目を呪っていたし、シリスに至ってはペア課題だったので半ばとばっちりである。


 兎にも角にも、いくら限界だと訴えようがもう直ぐ「お腹が空いた」と訴えてくるであろう弟妹きょうだいたちの空腹は長子である2人が満たさねばならない。忙しい両親には夏休みが存在しないし、そもそもそれがシュヴァルツ家のルールなのである。


「仕方ない。可愛い下の子たちのためにも、お姉ちゃん頑張ろうかな」

「さすが姉ちゃん。頼りになるよな」

「ヴェルにはあたしたちのご飯作ってもらうから。あの子たちは味が濃くても食べられるだろうけど、あたし今さっぱりしたものしか食べたくないし」

「えぇー……」


 不満を隠すこともなくヴェルに対し、シリスは素知らぬ顔でエプロンを棚から取り出すと1つを彼に手渡した。嫌な顔はすれど、ヴェルはおとなしくそれを受け取る。


 自分だけなら食べないという選択をするのだが、姉自身の昼食を人質に取られては従う他ない。彼はどこまでも家族に弱いのだ。







 冷蔵庫を開けると心地よい冷気がするりと腹から足元へ滑り落ちた。この暑さである、庫内に体を捩じ込んで物理的に冷やしたい、という気持ちが湧き起こらない事もないが、2人の図体では土台無理な話である。


「鶏肉と……玉ねぎ、トマト、ナス、パプリカ、レモン。あと何でかレタスが2枚とヨーグルトだけ残ってる」

「思ったより少ないな。そういや、昨日母さんがミックスポタージュ作ったもんな」

「闇鍋ジュースの間違いでしょ」


 2人して庫内の寂しさに溜息をついた。


 彼らの両親は料理が苦手だ。母親に至っては苦手どころか壊滅的にできないと言っていい。早く帰宅できた日には張り切って手料理を振る舞おうとするのだが、いかんせん、レシピ通りに作ることができない。


 昨日なんて、ポタージュを作るはずが「いろんな栄養を入れたほうがいいでしょ」と、のたまって冷蔵庫にあるものを片っ端からミキサーにぶちこんでいた。無論、完成したとやらは混沌の海を顕現させたかのような代物だ。アレを文句も言わずに平らげるのは父くらいのものである。だからこそ、双子が必死になって調理スキルを身につけなければいけなかった話なのだが───閑話休題。




 冷蔵庫に残ったものを調味料とともにサッと取り出し、直ぐに扉を閉めた。動力である魔力を充填するのも安くはないのだ。


「それじゃあ、始めますか!」

「シリス、何作んの?」

「秘密。ヴェルは?」

「秘密」


 冷えた空気を浴びて気力が戻ってきた。今のうちに作らねば。

 声に出さずとも思いは同じ。2人は手早くエプロンを身につけると、それぞれ材料を手に取った。






「肉、どれくらい使う?」


 鶏肉を一口大に切り分けるシリスの手元を覗き込んだヴェルが問う。


「あの子たちの食べる分を考えると……これくらい?」

「残った分も同じくらいの大きさに切って俺にくれる?」

「ん、ボウルに入れとくね」

「レタスは大して残ってないから俺が使うからな」


 料理が出来ないのに意気込みだけは強い母の要望で大きく作ったらしいL字型のペニンシュラキッチンは、2人で使ってもまだ余裕がある大きさだ。


 シンク下のスペースから何やらフライパンをガチャガチャ言わせて取り出すヴェルを横目に、シリスはパプリカの種を丁寧に取って細切りにした。自分とヴェルだけであればあまり気にしないのだが、種が入っていたら絶対に食べないというこだわりたい年頃の妹がいるので仕方がない。



 パプリカの下処理が終わったところでバターを鍋に投入した。弱火でゆっくりと熱を加え、急いで一口大に切ったナスを肉と一緒に投下する。

 わずかに漂い始めていた香りが、ジュッという音とともに一気に広がった。ナスの変色を防ぐ方法をシリスは調べたことがないので、いつもこんな力技でやっている。ヴェルによく「雑だ」と怒られてしまうのだが、幸いなことにちょうど彼は自分の作業に集中しているようだった。手早く炒めて肉とナスを取り出す。


「ヴェル、今から玉ねぎ切るけどいい?」

「なんか水張った器を近くに置いとくと良いらしいぞ」

「本当ぉ?」


 涙が出ない方法とやらはいくつかあるらしいが、シリスが知っている中で効果があったものはゼロだ。

 今日もまた沁みる目を涙で濡らしながら、みじん切りにした玉ねぎとパプリカを残るバターで炒める。玉ねぎが飴色になったところで肉とナス、水を入れて火がしっかり通るまで煮るのだ。暑い上に火を使ってさらに暑いが、バターや肉の香ばしさに出来上がりへの期待の方が強くなってきた。


「あ、なんかスパイスのいい匂いする」

「だろ。こんなクソ暑い日はちょっとくらい辛いもん食った方が元気出るじゃん」

「ディクは逆に死にそう」


 まだ冗談を言う元気だって残っている。


 シリスは肉がしっかり煮えたことを確認して火を止めた。ぐつぐつという音とともに踊っていた具材が静かに鍋底に沈んでいく。戸棚から取り出したルーを割り入れれて混ぜれば、ヴェルの方から漂ったのとはまた違うスパイスの香りが徐々に立ち昇ってきた。


「カレー?」

「正解、夏野菜のバターチキンカレー」



 ただし、子どもが食べるので甘口だ。


 ついでに、隠し味にヨーグルトを少々。


 味見と称してひと掬いだけ口に含むと、辛味を極限に抑えたカレー味の中にバターのコクが溶け込んでいた。嫌味のない程度にヨーグルトの酸味が舌先に感じられ、味は濃くてもしつこくはない。これはこれで上手くいったと自負できるが、野菜や肉との最終的なバランスは個人の好みによるところも大きいので、あとは各々の反応を待つのみである。


「いい感じ。あとはトマト切って上に盛り付けたら完成!そっちは?」

「ん、もう出来る」

「じゃあお皿でも準備しようかな。ヴェルのはどれが必要?」

「右端の棚の3段目にあるやつ」

「あれね、はいはい」


 カレー用の器と一緒に用意を始めると、外から聞こえていた賑やかさが段々と近付いて来たことに気が付いた。どうやら開け放たれた窓から漏れた匂いは、ヴェルやシリスがわざわざ声を張り上げずとも彼らを呼び戻してくれたらしい。


「いい匂い!カレー?」

「お腹空いてきたぁ。もうぺこぺこ」


 ちょうど壁掛け時計が頂点を指し、正午を告げる鳥の鳴き声が12回。その合間に空腹を訴える声が次々とダイニングへと入ってくる。


 予測したとおりの流れに、双子は顔を見合わせて苦笑を漏らした。全く、素直で可愛い弟妹きょうだいたちだ。


「ほら、先に着替えて手を洗っておいで!できた子からついであげるから」

「ヴェル兄、僕、トマト要らない」

「残念、俺じゃなくてシリスに言うべきだったなー」


 文句を言い始めた末弟を抱えて洗面台へ向かうヴェルの背を見送って、シリスは後でこっそり食べに来るだろう反抗期の実妹の一皿だけをしっかりと取り分けておいた。








「いただきます!」


 口々に元気のいい挨拶をし、スプーンで大きく掬ったひとくちを口いっぱいに頬張る。


「おいしー!」

「おいひぃ!」

「そこ!こっそり隣にトマト渡さない!」


 各々好き嫌いはあるものの、概ね喜んでいる弟妹きょうだいたちは夢中でカレーをかき込んでいる。作ったものをおいしいと食べてもらえるのは、それはもう冥利に尽きるというものだ。


 ひとくちを欲張りすぎて汚れた妹の唇周りを拭いながら、シリスは思わず緩む口元を抑えられなかった。これだから、元気がなくても面倒でもちゃんとしたご飯を作ることをやめられないのだ。




 さて、と全員が食べる姿を確認してから彼女も自らの前に置かれた器に向き直る。


 双子の前にはガラスの器。そこに櫛形に切ったトマトと黄色のパプリカ、スライスした玉ねぎ、それとレタスの上に赤みのあるソースの絡んだチキンが彩りよく盛られている。その下に見えるのは麺だ。

 そういえば棚の隅に乾麺も残っていたはずだったので、それだろう。余り物とは思えないような見栄えだ。こういうところはシリスよりもヴェルの方が何倍も丁寧だった。


「これ、もしかしてレモンの皮?」


 フォークで持ち上げると、レモンの爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。よくよく見れば、細かな粒々が麺に絡んでいる。

 透明な黄金こがね色のスープによく絡めて、まずは麺だけを口へ運ぶ。予想していたレモンの酸味は風味程度で、メインの酸味は酢だった。魚介のダシがほんのりと塩味を効かせて、シリスがリクエストしていたとおりサッパリとした口当たりだった。よく冷えたスープと冷たい麺は喉越しもよく、極め付けはほろ苦いレモンの皮の後味だ。


「ん〜〜〜!!」

「美味いだろ?」


 得意げな顔でヴェルが聞く。シリスは間髪入れず何度も首を縦に振った。


 コレは小さい子にはあまり好まれない味だろう。なにしろ、苦みもあれば酸味も強い。それでも上手くまとめるのはヴェルの技量というところか。

 清涼感のある味は彼女の好みの真ん中を貫いていた。トマトやパプリカ、玉ねぎと一緒に食べると、それぞれの酸味や甘みが加わって少し違う風味を楽しめる。


「これは?」

「まあ、食ってみろって」


 レタスの上に乗せられたチキンにフォークを刺す。赤い見た目といい、先ほど香ったスパイスといい、辛いのは間違いないだろう。

 恐る恐る小さめにかぶり付けば、舌にぴりりとした刺激が伝わる───が、酸味が辛味を中和していて思った以上には辛くない。スパイスの香りを丁度良く楽しめる程度にまろやかな辛さだった。多分これはヨーグルトを使っている。おそらく、きっと。


 麺でさっぱりした後に、優しい辛さ。永久機関が生まれそうだ。


「ヴェルさぁ、もう今度からあたしの代わりにメインでご飯作ってよ」

「やだよ、こういうのはたまに作るから良いんだろ?」


 ぐうの音も出ない正論にシリスは押し黙った。確かに年がら年中このクオリティを維持しようと思えば、料理が趣味ではない限り面倒臭そうではある。

 そう思えば、たまにしか食べられない弟の料理が少し勿体なく思える。


「冷たいうちに食えよな」


 そんなシリスの心中を察してか、ヴェルが意地悪そうに笑った。


「……食べる」


 どこか彼が嬉しそうな顔をしているのは、シリスが弟妹きょうだいたちに感じたのと同じ気持ちを感じているからだろうか。


 暑くて食欲もあまり湧かなかったはずの怠さも何処へやら。カレーは勿論のこと、2人の前の器もスープも残さずすっかり空になっていた。


「ごちそうさまでした」


 満足そうな声。

 満ち足りた表情をした子どもたちは率先して食器をシンクへ持っていくと、しっかりと水で濯ぎ洗いをしてから積み上げた。

 そういうところは両親の教育の賜物だ。


「もいっかい遊んでくる!」

「私もー!」

「ちょっと!?また洗濯回さなきゃいけないっしょ!?」


 シリスの静止も聞かず、甲高い声をあげて次々と外に飛び出していく弟妹きょうだいたち。いくら元気でも暑いものは暑いのだと言わんばかりに、外から勢いよくスプリンクラが再稼働する音が聞こえた。


 楽しく遊んでくれるのは良いことだ。良いことなのだが、シリスからは深いため息が漏れた。


「はぁ……」

「仕方ないだろ、1番上のセロですら12だぞ?12のチビなんてこんなもんだろ」

「わかっちゃいるけどさぁ。あたし2回もこの炎天下に出て干すのヤだから、今から出る洗濯は全部父さんと母さんに明日お任せする」

「そうしろそうしろ」


 手伝う気がないのか、そもそもヴェルもこんな太陽がギラつく中で外に出たくはないのだろう。一緒にやるという言葉は一切出ない。


 美味しいごはんのおかげで、気力はそれなりに保てている。今のうちに嫌なことは済ませてしまおうと、思い腰を上げねダイニングから出ようとしたシリスの前へ不意に黒い影が立ち塞がった。


「あ、レイテイ」


 現れたのは絶賛反抗期中の実妹だった。

 この暑い中、黒染めした髪に加えて熱を吸収する黒い服を全身に纏いながらも涼しい顔をしている。

 彼女は、シリスをじっと見つめたかと思えば手元の袋を差し出した。


「ん」

「なに、これ?」

「アイス。カレー作ったの姉貴だろ?」


 それだけを言うと、シリスの手に袋を押し付けてシンクへと向かう。空になった皿を他のものと一緒にさっさと洗って、あっという間にレイテイはダイニングから出て行ってしまった。


 その間、わずか2、3分。


 2人が呆気に取られている間に、廊下を遠ざかる足音も聞こえなくなってしまった。


「……この暑い中、買いに行ってくれたってこと?」

「……俺のは?」


 呆れと喜びを浮かべるシリスに対し、目線さえ向けられることなかったヴェルが悲壮感たっぷりに呟く。

 役割分担で自分が作ることになった手前、少し弟が哀れに思えたシリスはせめて半分でも分けられるなら、と袋を開ける。


「あ、ヴェル」

「なんだよ」

「拗ねないでよ、ほら」


 わかりやすく不貞腐れるヴェルの前に、シリスが渡されたアイスを差し出す。ご丁寧に保冷の魔道具と一緒に入っていたそれは、真ん中で半分に割って食べるタイプの棒アイスだった。

 途端にヴェルの目が光を取り戻す。


「良かったじゃん。忘れられてないってさ」

「……うん」

「じゃあ、これ食べたら洗濯物さっさと干しに行こ」

「それは手伝わなきゃダメなのかよ……」


 勿論。

 にこやかにそう頷いて、シリスは割った半分のアイスに齧り付く。



 舌の上で解けていくそれは、冷たく弾けるソーダの味がした。

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