クインテットの始まりは、 -1-

幼馴染組が全員知り合ったときのこと。ディクシア視点。

ディクシアの過去話『知識の代償』と少しだけ繋がる。



***


「お前、めちゃくちゃスゲェな」


 読んでいた本から視線を上げれば、人懐こい顔が僕を見ていた。机に手をかけ、その上に顎を置いた仕草は───金色の毛並みの犬のようにも見える。

 翡翠色の瞳を輝かせる彼はたしか、さっき初めて実技を共にしたばかりの……。


「ヴェル・シュヴァルツ?」

「おう!ちゃんと覚えてくれてんじゃん」


 歯を見せながら屈託なく笑う顔は、なんとも言えないほどに眩しかった。






 養成所へ入って半年過ぎた頃。


 自惚れではないが、自分の容姿が他人より優れていることは知っていた。見目が良いと褒めそやされていた母に似ていると言われ続けてきたから。


 だから最初は男女問わずにしつこいほどにヒトが寄ってきた。

 なんなら、不本意だけれど女子と間違えられることもそれなりにあった。


 姦しい女子は苦手だったから、当たり障りのないように伝えつつも誤解だけは解いておく。


 出来るだけ他人と軋轢は生まないように。


 そうやっているうちに、女子は僕の顔色を窺って露骨には近付いてこなくなった。男子は言わずもがな、僕が女の子じゃないと分かれば離れていくのも早かった。


 僕の周りも落ち着き、たいして親しい友人ができるわけでもなく、1人で静かに読書でもして過ごすことが多くなったそんな頃のことだった。









「ディクシアだったよな?あんなでっけー魔術打てんだな!」


 先日から、実技のカリキュラムには単独で鏡像を倒すものから、同期と協力をして少し強力な鏡像を倒すものが追加された。


 とはいっても、養成所に入ってまだ半年の子どもが相手にできるものだ。戦闘が苦手な同期はそれなりに苦戦していたが、少なくとも僕は苦労することもなかった。

 その要因のひとつが、今回ペアになったヴェル・シュヴァルツの存在だ。


「君も、状況判断が上手かったよね。おかげでとてもやりやすかったよ」

「へへっ、合わせんのは慣れてんだ。っても、魔術使う奴とペア組むのは初めてだったんだけどさ。初めがお前で良かったよ」

「光栄だね」


 いつもと同じく当たり障りなく微笑む。

 ヴェルは立ち上がり、そこで話も終わって彼もまた他の同期と同じように離れていくものだと思っていた。

 しかし一向に机から離れていく様子がない。僕を見下ろしながらにっこり笑う彼の髪が、窓から差し込む陽に照らされてキラキラと光っていた。


 眩しい。

 まるで太陽そのものみたいだ。


「あそこまでちゃんと魔術使えるようになるまで、けっこー頑張ったんだろ?お前本当にすげぇよ」

「……え?」

「あれ、違った?もしかして頑張らなくても、センスとかでやれるタイプ?」


 彼が不思議そうに首を傾げて大きな瞳を瞬かせた。


「い、いや。たしかに僕なりに、色々努力はしているけれど……」

「だよな!だって終わったあとも……なんつーの?反芻?してたじゃん。魔術のタイミングがどうとか、操作性がどうとか呟いてたし」


 そうだったのか。自分では気が付かなかった。無意識に呟いていたのだろうか?ぶつぶつと言っているところを他人に見られたと思うと、少しだけ恥ずかしさが込み上げる。

 だけどそれはそれとして、僕が努力をしているという結論に至った彼に驚きを隠せなかった。


  




 今まで僕のことをそうやって見てくれたヒトに出会ったことがなかったから。




 母は僕がを望んでいた。だから努力する姿を他人には見せないように必死だった。


 そつなくこなせば、誰しもがそれを当たり前のように認識する。学んだことをどれだけ上手く扱っても「それは天賦の才なのだ」と周りは言ったし、僕もあえて否定はしなかった。



 なのに、出会って間もないただの同期の彼が、僕の努力を察してくれた事があまりにも衝撃で。

 上手い言葉を返せずに戸惑う僕を見て、彼はまた笑った。笑顔の多いやつだな、と思った。


「なぁ、良かったらディクって呼んでいい?」

「あ、ああ。うん」

「じゃあディク、一緒に昼メシ食いに行かね?」


 疑問の形をとっているが、それは半ば決定に近い。回り込んで僕の片手を取る強引さは、今まで味わったことのないものだったけれど───けれど、不思議と嫌な感じは全くなかった。




 今でも思い出す、あの日が僕の人生に於いて転換点だったのではないかと。








 ───そういえば、あの頃のヴェルは今よりももっと素直で捻くれていなくて……。シリスに近い性格をしていた気がする。















 正直にいうと、他人と接するというのはもっとハードルが高くて面倒なことだと思っていた。いや、彼らの気質が運良く僕の性質に合ってたというだけかもしれない。


 とにかく、1人きりだった僕の養成所生活は一気に4人に膨れ上がり、ただのルーティンで本を読むだけだった休憩時間は会話が絶えないものとなった。


 ……主に喋るのは騒がしい双子ばかりだったけれど。


「そういえば、お母さんのことは大丈夫なの?」


 シリスがサンドイッチを頬張りながら聞いてくる。


 養成所に3箇所ある屋外演習場は十分な広さもあり、昼食時には中庭の代わりなんかに使える。設置されたベンチも、子ども4人が座ってまだ少し余裕のある大きさだ。


 そのひとつ、見落とされがちな隅っこのベンチに並んで座り、昼食を摂るのが最近の日課だった。


「なんとかね」


 僕とは反対隣、1番遠くに座るシリスに頷いてみせる。彼女の声はよく通るから、少しくらい離れていても困ることはない。


「もっと効率よく内容を頭に叩き込めば、今までと同じ量程度の読書なんてそれなりにこなせるものさ」

「……さっすが、天才というか……」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

「や、褒め言葉だけど!?」


 それくらい分かってる。ただ、そんな飾り気ない言葉で嬉しくなってしまう自分がちょっと恥ずかしくて、皮肉っぽくなってしまうのも仕方がないだろう。

 といっても、自分がこれだけ他人に対して刺々しくなってしまうなんて知ったのも最近のことだ。


 





 ヴェルに初めて昼食へ誘われた日、辿り着いたこの場所にいたのは彼に瓜二つの顔をした男子と、目つき悪くこちらを睨む男子だった。

 深く考えずに彼について行った僕の戸惑いは、今でもよく思い出せる。正直、ついて行かなければ良かったかもしれないと一瞬だけ思ってしまった。


 恐る恐る話し始めてすぐにそんな気持ちは霧散したのだけれど。───ついでに、睨まれていたわけではないことも、ヴェルによく似た"彼"が"彼女"だということも、すぐに分かったのだけれど。


 後者に至っては、握手直前でヴェルが「俺と似てるけど、シリスは女だから」なんて言うものだから、思わず伸ばした手を叩き落としてしまった。

 いくら女性が苦手といえ、初対面に失礼なことをしてしまったと謝り倒す僕に彼女が言った言葉といえば、


『気にしないでよ。あたしだって蝶々は触れるけど蛾はダメだもん』


 ……なんて、独特のフォローだった。


『別に触んなくったって友だちにはなれるじゃん。よろしく!』


 そうやって笑った顔がヴェルと全く同じで。

 我ながら、単純だがすぐに絆されてしまったのだ。









「それにしても、相変わらずお前んとこの母さん無茶言うよな。1日に読む本の量にノルマがあるとかさぁ」

「まぁ……でも、読むの自体は苦痛じゃないんだ。新しい発見があるのは楽しいことだからね」

「わっかんねぇー」


 シリスの隣で、ヴェルが苦々しい顔をした。

 彼は学ぶことを心から嫌うタイプらしい。興味があることは自分から知識を求めに行くから、根っから嫌いというわけではなさそうだが。

 さらにその隣、僕の左隣ではクロスタがヴェルの言葉に頷きながら食後のお菓子を食べていた。刺激の強い香辛料の香りが、正直目に痛い。


「でも、僕がそうやって努力したおかげで一緒に過ごす時間が持ててるんだ。君たちだって嬉しいだろう?」

「ディクも言うようになったよな……」

「誰かさんたちのお陰でね」


 胸を張って笑ってみせると、ヴェルは呆れたように鼻を鳴らした。



 母からの過度な期待と要望は養成所に入ったとて変わることなく続いていた。


 最初は友人との時間の兼ね合いを上手く取れずに、母のヒステリーが一時的に酷くなった時期もあった。今までは母の望むだけの知識を覚えるために、休憩時間も昼食時間も全て使っていたから。


 どんな時にでも片手から本を手放さない僕の切羽詰まった様子に、彼らも思うところがあったのだろう。

 付き合いを続けているうちに、話さざるを得なくなった家庭の事情。

 僕の話に憤慨してくれた、そのとき───今まで心の中に重くのしかかっていたモノがひとつ、ころりと落ちてしまった感覚はよく覚えている。


 誰かに話すこともなかった家のこと。

 そもそも、話せるほど親しい他人もいなかったから。


 僕の家が、不干渉過ぎる父が、過干渉過ぎる母が、可笑しいのだと口に出して言われた瞬間、不謹慎にも安心してしまったのだ。


 僕自身が誰かに「それは可笑しいのだ」と、言って欲しかったと気付いたのはその時だ。当たり前のように繰り返されていたけれど、それが普通なのだと信じたくなかったから。



 ……そのまま、思わず今まで蓄積したモノが涙になってみんなの前で号泣してしまったことは、友人以外には秘密の話だ。




 兎にも角にも、僕はまたがむしゃらに努力した。

 母に反抗までする気力はなかったし、僕まであのヒトに背を向けてしまっては次こそ本当に壊れてしまうと思ったから。これでも母に対する愛情はあったのだ。


 だからといって、初めて得た居場所を失いたくもなかった。

 守護者に身分なんてほとんどないようなモノだけど、曲がりなりにも僕の家は執行部───本部中枢の関係者だ。母がそれを盾に何か出来るほど腐った権力ではないが、友人の不利益になる可能性は少しでも無くしておきなかった。



 その結果が今。

 友人との時間を優先しながらその他の時間を効率よく使って母の要望をこなす、という生活だった。

 最初こそ無理が祟って養成所内で倒れるなんて事もあったが、忘れたい話なのでこれも割愛だ。珍しく彼らに説教もされたし、楽しい記憶でもない。

 少なくとも今は上手くやれているのだから思い出すだけ無駄な話だ。






「そういやディク、これ」


 タイミングを見計らってか、僕が昼食を食べ終わってからヴェルがポケットから紙片を取り出した。


 差し出されたそれは丁寧に折りたたまれていて、何の紙なのか普通なら分からないだろう。けれど、僕は一目見てそれが何なのかすぐに理解した。


「……本当に、見つけてくれたんだ」

「殆どクロの母さんのお陰だけどな」

「ん」


 ヴェルから受け取った紙を、クロスタが僕に回す。それを開くと、やはり僕の思った通り簡素な絵地図が描かれていた。


「……ふふ、虫がのたうちまわった跡みたいだ」

「ぶっとばすぞ」


 思わず笑うと、ヴェルが歯を剥き出して唸った。言うだけで、そんなことする気もないくせに。


 子どもが描いたことがすぐ分かるようなガタガタの線に、6歳が描くにしてはあまりに下手くそな家の絵。だけど大体それがどの場所を示してるかわかるように、細かな部分には文字で説明が付け足されている。

 赤丸を付けて『ココ!』と書かれた場所は少し離れた所だけれど、行って帰ってくるには昼間だけで十分すぎるような場所だった。


「まさか、クロのお母様の知り合いだとは思ってなかったよ」

「客だ」

「よく本人だってわかったよね、特徴だって少ししか分からないのに」

「世間話で……いろいろ喋って、らしい」


 首を横に振りながら、相変わらず簡潔な言葉で返事をするクロスタ。無愛想に見えるけど、わざわざ親に上手く言ってまで調べてくれた事は素直に嬉しい。


 友人たちがわざわざ調べてくれたのだから、僕も彼らの好意に報いるべく覚悟を決めなければ。最近、母の体力もめっきり減って寝込みがちになっている今が好機だろうか。


 "そこ"に行く算段を立てる中、ヴェルが無遠慮に紙を奪っていった。


「あ……!」

「なーに悩んでんだよ。思い立ったが吉日とか言うじゃん」

「明日ちょうど休みなんだし、10時とかどう?あたしたちも予定ないし、夕方になる前に十分帰れると思うよ」

「いいじゃん、それにしよ」


 僕の意見なんて聞かないまま、あれよあれよという間に予定が立てられ絵地図には更なる文字が書き加えられていく。

 絵はお世辞にも上手いとは言えないのに、文字だけは綺麗なのだ。この双子は。


「クロも来るだろ?」

「ああ」


 尋ねるというよりは確認の形をしたヴェルの問いに、クロスタも躊躇いなく頷いた。

 置いてけぼりの僕の耳に、遠くから別グループ同士の呼び声が届く。どうやら、もう昼食よ時間も終わりらしい。


「き、君たちも来るのかい……!?」


 せめてなにか言おうと吐き出した僕の言葉は何と間抜けなものだろう。

 キョトンとした顔の双子が顔を見合わせる。

 そして、そのまま眩しく輝かんばかりの満面の笑みで答えたのだった。


「当たり前だろ」

「当たり前っしょ」


 何が「当たり前」なんだ、このちゃらんぽらんたちは。


 困ってしまってクロスタに助けを求めるも、涼しい顔の彼は僕の視線を受けてゆっくりと首を横に振った。

 言外に諦めろ、と諭されて僕は痛む頭を抱えた。



 なんだってに友人を連れて行かねばならないんだ。

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