俳句のコツ その2




 前回、三つのコツに触れました。今回は四つめから触れてゆきます。


 ◇


 ⚫︎四つ、意味が伝わるように書く。

 これは当たり前のようで意外と難しかったりします。伝わらない俳句になる理由は、主に四つあります。


 一つ、正しい日本語を使わない。

 二つ、身勝手な比喩や造語を使う。

 三つ、格好をつけてしまう。

 四つ、共通認識を履き違えている。


 では説明します。


 一つ、正しい日本語を使おう。

 これは小説も同じですね。正しい文章で意味がわかるように書いてくれないとチンプンカンプンです。なので、可能な限り丁寧に伝えましょう。言うべき事をちゃんといい、無駄なことは省く。それをたった一七音でやるから、俳句は難しいのです。


 二つ、身勝手な比喩や造語を使わない。

 比喩や造語は、身勝手にやってしまうと伝わりません。上手くいけば効果的ですが、伝わらないと謎なだけです。擬人化も同じです。「これぐらい伝わるだろう」とノリでやって、結局は伝わらない。そういう表現をしていませんか?

 要は、伝わるか伝わらないかです。

 比喩や造語を使ってもすんなり伝わって、感動出来るかできないかが重要になります。バランス感覚が問われます。が、バランス感覚があるつもりになるのは危険です。常に自問してください。

 比喩を使う時は、比喩を使っていることがわかるようにする手もあります。

 〇〇の如し、とか、〇〇のごと、といった表現ですね。如しを使わない場合も、まずは伝えることを大切にしましょう。


 三つ、無駄に格好をつけない。

 これは、俳句初心者が陥りがちな落とし穴だったりします。

 俳句というと、

 〇〇や

 〇〇の如

 〇〇かな

 このように、いかにも俳句っぽい言い回しをしなければならない。みたいな思い込みから、変な言い回しをしてしまう人がたまにいます。

 実際、俳句には特殊な言い回しがありますが、ちゃんと勉強しないと身につきません。勉強不足な段階で、正しく理解せず使ってしまうと変な日本語になってしまいます。ここらへんの表現については僕も勉強不足です。でも、無理に格好をつけた表現にする必要はありません。

 わからなければ、わかる言葉で素直に伝えましょう。その方が、ずっと良い俳句になります。特殊な言い回しは、多くの場合、言葉を一七音に収める為に苦肉の策で生まれた表現だったりします。一七音に収まるのであれば、普通の言い回しで構わないのです。

 格好をつけるよりも読者に親切であること。それが良い俳句への第一歩かもしれません。

 ※伝わる俳句になっているかいないかは、解説抜きでも伝わる俳句になっているか? で判断すると良いでしょう。コンテストで解説文が評価の対象外な理由を考えましょう。


 四つ、共通認識を意識しよう。

 共通認識だと思っていることが、実はぜんぜん共通認識ではない。みたいなことはよくあります。

 例えば、ネットスラングです。

 ネットスラングとか同世代で流行っている泡沫言語は、多くの場合、狭いコミューンの中だけで通用する特殊な表現だったりします。

 例えば、俳句で「www」と書いて「草生える」とルビを打ったとします。もうね、ちんぷんかんぷんです。

「草生えるってなんだよ!?」

 一般的理解ではここからです。書いた本人は草生えるで説明したつもりなんです。でも、大衆には伝わりません。

「お前らの世代の狭いコミューンで、しかも仮想空間で通用するだけの泡沫言語じゃねえか。それは共通認識じゃねえぞ、履き違えるな!」

 みたいに怒られかねません。仲間内で通じても、必ずしも世間の共通認識ではないのです。勿論、俳句では学術的な単語や、専門職でしか使われないような珍しい言葉が使われることもあります。ですが、それらは時の洗礼を受けて生き残り、市民権を獲得している言葉なのです。


 ◇


 ⚫︎五つ、季語の必然性を高める。

 〝季語の必然性〟を高めるのは、結構難しい要素だったりします。季語の必然性とは、のことです。

 例を挙げて説明します。

 

 七夕の

 夜空に溶ける

 ジャズピアノ


 こういった俳句があったとします。では、この俳句の季語を変えてみましょう。


 雪原の

 夜空に溶ける

 ジャズピアノ


 もう、お分かりだと思います。季語を取り替えても成立してしまっているのです。つまり、! みたいな問題が発生してしまっているのです。こういうのを「季語が動く」、というらしいです。

 で、詠みなおした俳句です。


 ラジオから

 夕暉せっきに溶ける

 ジャズピアノ


 あんまり変わらなくない? みたいに思った貴方! 説明します。

 こっちの句では、ジャズは、ラジオから流れております。その時にリクエストされた曲であることが強調されている、実体験であることを匂わせているのです。そして、ラジオでは、いついかなる時も同じ曲が流れてくる訳ではありません。その時、その瞬間の鮮度を上げる働きをしてくれているのです。


 僕も度々、季語の必然性問題についてはやらかしております。季語の必然性を高めるのは難しいですから。でも、一つだけ、確実に季語の必然性を高める方法があります。

 の俳句を詠むことです。


 例一


 夕桜

 湖面の空の色に似て


 この俳句では季語のことしか言ってません。マジックアワーの湖面に映る空と、桜の花びらの淡い紅色が似ている、と描写しているだけです。


 例二


 でかすぎて

 犬吠えまくる

 鯉のぼり


 この句も同じです。季語である鯉のぼりが、どんな鯉のぼりなのか? ということしか言っていません。

 季語特化型の俳句の有利な点は、とにかく俳句の完成度が高くなることです。俳句において季語への尊重は、それ程までに重要な要素だといえます。

 但し、季語特化型には落とし穴もあります。季語を説明するだけの俳句になる危険があるからです。長くなるので、季語を説明するだけの俳句については次回で解説します。


 ◇


 ⚫︎六つ、説明しない。描写する。

 この要素は、三つめの「皆まで言わない」と似ている点が多いです。

 俳句には、落とし穴的な単語があります。いかにも詩的に飾る系の言葉です。


 舞う、想う、夢、好き、静か、華やか、美しい、寂しい、美味しい、愛しい、可愛い、辛い、悲しい、嬉しい、楽しい、等々……。


 舞うとか想うとか、いかにも詩的な感じがしますよね。ですが、俳句では陳腐になってしまう場合が多いです。なので、俳句ではこれらの単語は嫌われます。悲しさや美しさを説明する単語に過ぎないからです。

 誰かを想うこと、舞う美しさ、寂しさや愛、そういったものは具体的描写によって「感じさせる」ものなのです。

 悲しみを表す時は悲しみを感じさせるを描写し、静けさを表す時は、描写によって静けさを感じさせます。感情を説明せず、観念は避けろということです。


 古池や

 蛙飛び込む

 水の音


 これは松尾芭蕉の最も有名な俳句ですが、この俳句が評価される最大の理由は、説明せず描写している点にあります。「静けさ」という言葉を使わずに、静けさを表現をしているからです。


 例一

 さようなら

 落ち葉舞い散り

 君想う


 これは失敗の例です。観念だらけです。


 例二

 去る靴が

 落ち葉踏む

 追えなくて

 

 注意点に留意したらこのようになります。

 どちらが「君を想っている」気持ちが強く伝わるでしょう? どちらが具体的イメージが浮かび、且つ詩的でしょうか?

 詩は、いかにも詩的っぽい言葉を使わなくても、具体的描写をすることによって詩性を発揮する。ということです。

 これは、引き算の文章に特化した小説にも通ずる点ですね。詩も、俳句も、奥が深いですね。


 あ、しつこいようですが鵜呑みは禁止です。あくまでも、僕が朧げに見えてきたことに過ぎないので。



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