第3話 燃ゆ

「じゃ、じゃあ……キッチン借りるね」


 そう言ってスクールバッグを床に置いて、僕んちのキッチンでブラウスを腕まくりし始めた冴山さん。

 前髪は決して上げないのかと思っていたら、胸ポケットから取り出したヘアピンで暖簾でもまくるように耳に掛けて固定し始めていた。

 おお……さすがに料理を作るときは、ってことか。


「あ、あんまり見ないで……」


 恥ずかしそうに縮こまる冴山さんであった。

 可愛い。

 でも見られたくないらしいので僕は目を背けておくことにした。


「……どうして目元を晒したくないのか聞いても?」

「そ、それは単純に……隠れてる方が落ち着く、から……」


 まあ、分からんでもない。

 たとえば某感染症が流行していた時期、マスクで常に顔の半分が覆われている状況が心理的に落ち着く感覚が僕にはあった。

 お世辞にもイケメンじゃないから、顔を半分覆い隠すことで強気になれるというか、なんか不思議と胸を張って歩けたんだよな。

 恐らく冴山さんは、その長い前髪が僕にとってのマスクなんだろう。

 可愛いから隠す必要なんてないと思うが、そこはまあ人それぞれだし。


「に、肉じゃがでいいっ!?」

「あ、うん……」


 冴山さんのテンション、相変わらず安定せず情緒が行方不明。

 普段1人で過ごすことが多いから正しい声量が迷子になっているんだと思う。

 分かる、分かるよ……僕も1日喋らずにコンビニとか行くと、ホットスナックなんかを頼むときに小声過ぎて聞き返されたり、逆にデカ過ぎて店員さんを圧倒してしまう場合がある。

 陰キャぼっちの声量は常に一定ではない。これマメな。


 さておき、肉じゃがを作れる程度の食材が冷蔵庫に残っていて良かった。

 1人暮らしなりに夜の自炊はしていたんだ、クオリティーはさておいて。


「や、野菜は小っちゃく切った方がいい? それとも……」

「あ、じゃあ大きめで」

「うん……」


 そんなリクエストまで聞いてくれるの素敵。


 にしても、冴山さんがウチに居るのは不思議な気分だ。

 今朝までなんの関わりもなかったのに、いきなりこうなるんだから人生って分からないもんだ。


「そういえば、冴山さんってなんで僕のことを観察していたんだ?」

「――ふぇっ!?」


 ……すごく可愛い仰天リアクションが聞こえてきた。


「か、観察って……?」

「いやほら……冴山さんって僕が1人暮らしなことを当ててみせただろ? 普段から僕のことを見ていた結果っぽいし、なんでそもそも見ていたのかなと」


 すごく気になっている。


「そ、それは……気になっていた、から……」


 気になっていた……?


「わ……私と同じようにずっと1人で過ごしている人が居るから、どういう人なんだろうって……」


 あぁビックリした……好意を持たれているのかと思ってしまった。

 さすがに自意識過剰だったか。


「ご、ごめんなさい……私みたいなクソ陰キャがジロジロと見ちゃって……」

「だ、大丈夫だから自虐するのやめよう」


 冴山さんがクソ陰キャだったら僕はそれ以下の何かだ。


「――ど、どうぞ……」


 やがて肉じゃがが完成したようで、同じタイミングで炊き上がった白米と一緒に食卓へと並べられる。

 旨そう。


「……時雨菌、いっぱい入ってるから覚悟してね……」


 闇を感じる自虐をよそに、気付けば前髪が元に戻されていて隙の無さも感じる。

 しかもなんか隣に座ってきたし、椅子ごと身体をくっ付けてくるし、距離感が……。


 ……まぁとにかく、気にせずいただこう。

 僕は早速箸を持って肉じゃがに手を付けた。

 そして頬張ってみると、


「うま……」


 しょっぱいというよりは、甘みを感じる味付けで、それが僕の舌に合う。

 ジャガイモのほろほろ感が良いし、僕が作ったら硬いゴムみたいな食感になる牛肉が柔らかいままなのも凄い。


「美味しいよ、冴山さん」

「ふへへ……」


 前髪に隠れた顔面のうち、口元だけがニヤッと三日月状に開いていた。

 怖いしクセが強いけど、嬉しそうで良かった。


「ま、また来てもいい……?」


 冴山さん自身は家に昨日の残りがあるとかで、肉じゃがは食べずにやがておいとまする時間を迎えた。

 僕が玄関に見送りに出るとそう尋ねられ、僕は「もちろん」と頷いた。


「僕らはもう、その……友達だと思うし、気軽に来てもらえれば」

「う、うん……洗濯物の干し方とかやっぱり雑だと思うから、今度はそのへん、正してあげるね……」


 細かいところを見られていたようだ。

 ううむ、なんとも恥ずかしい限り。


「じゃ、じゃあ芳野くん、またね……」

「あ、うん……近いだろうけど、帰り気を付けて。なんだか外がうるさいし」


 さっきから消防車的なサイレンがうーうー鳴っている。

 どこかで火事でもあったんだろうか。

 そんな風に考えながら冴山さんを見送った10分後――


「よ、芳野くん……っ」

「え……どうした? 何か忘れ物?」

 

 インターホンが鳴ったので出てみたら、なぜか冴山さんが舞い戻ってきていた。

 前髪を多少乱してかすかに綺麗な瞳を覗かせながら、冴山さんは直後に結構衝撃的なひと言を口に出してきたのである。


「あ、あのね……住んでるマンション燃えてた……」


 え……。

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