第2話 恵み?の雨
「……降ってきたか」
下校のために昇降口を出ようとした僕は、急に降り始めた土砂降りの雨に顔をしかめることになっていた。
6月という季節柄、雨が振りやすいのは分かる。
けど僕が見た天気予報だと今日は晴れ100パーを謳っていたのに。
小学生が靴を飛ばしてお天気占いでもやった方が当たるんじゃないのかもう。
それはそうと……どうするべきか。
駅まで走り抜けるには距離があり過ぎる。
どう頑張っても5分は走らないといけないからずぶ濡れ確定。
それはキツい。
弱まるのを待つのが賢明だろうか。
でも雨雲レーダーを確認してみると、今後30分は強いのが降り続くっぽい。
30分も待つなら、ずぶ濡れの方がマシかもしれない。
――つんつん。
僕の背中に二度の慎ましい衝撃が届いたのは、僕が意を決して飛び出そうとする寸前のことだった。
「……冴山さん?」
振り返った僕の視界が捉えたのは、黒髪ロングヘアのスタイル抜群目隠れ女子だった。
僕が勝手に制定した隠れモテランキング第1位・冴山時雨その人である。
「あ、あの……芳野くん……っ」
僕の背中を突っついてきた冴山さんは、振り返った僕に対してワタワタしていた。
可愛い。
けどなんの用だろう。
そう考えながら冴山さんの手をふと捉えた瞬間、折り畳み傘が持たれていることに気付く。
そして、
「……よ、良かったら傘入ってくっ!?」
人との接し方を忘れて久しいようなテンションで、そんなお誘いを掛けられた。
僕は目を見張らざるを得ない。
だって冴山さんが誰かにこんな積極性を見せるところを初めて見た。
しかもその対象が僕だ。
すごい体験をしている気がする。
「……い、いいのか?」
思わず尋ね返すと、冴山さんは照れ臭そうな雰囲気で傘を展開し始める。
「り……利用してる駅、同じだし……芳野くんがイヤじゃないなら全然。……助けてもらったお礼も、まだだから……」
「あぁ、えっと……お礼なんて、別にいいんだけどな」
それが目的で助けたわけじゃないし、気を遣わせたくもないのが僕としての心情だったりする。
「でもそれだと……私の気が済まない、から」
そう紡ぐか細く可愛い声にはそこはかとない熱量を感じた。
「……分かった。じゃあお言葉に甘えとく」
せっかくの申し出を拒否するのは失礼だと思ってのことだ。
きっと冴山さんなりに勇気を出しての行動だと思うし。
「じゃ、じゃあ行こ?」
静かな号令と共に冴山さんが歩き出した。
僕も隣に並ぶ形で校庭を踏み締め始める。
……思えば相合い傘か。
変に囃し立てられたりしないだろうかと気になったが、周りも「雨かよクソー」だのなんだの騒いでいるから、僕らの組み合わせに気付く余裕はなさそうだった。僕らの影の薄さも手伝ってのことだろうか。
恥ずかしながら、女子に縁の無い僕はこれが初めての相合い傘だった。
しかも冴山さんの傘はそんなに大きくなくて、冴山さんが僕のことを濡らさないように間合いを詰めている状況なこともあって、ぎゅうぎゅう。
肩が触れ合うし、良い匂いがする。
落ち着けるわけがなく、そわそわしながらの雨中行脚が続く。
「……芳野くんって、1人暮らし……で合ってる?」
「え」
いきなりの話題に驚いたのもそうだけど、実際に合っているからなお驚いた。
ろくに関わりのなかった冴山さんが僕のプライベート(両親が海外出張中ゆえの実家1人暮らし)を知るはずがないのに。
「……いつもよれよれのYシャツだったり、お昼ご飯もずっとコンビニのパンやおにぎりだから、多分そういうところに力が入れられない生活環境なんだろう、って思っていたの……で、そうなると虐待か1人暮らしの二択だけど、問題なく学校に来ているところを見るに前者はないから、後者かなって……」
饒舌に語られたそれは、名探偵ばりの洞察力を思わせた。
なんで僕のことを観察していたのかはさておくとして……、
「……いつも読んでる本って、ひょっとして推理モノ?」
今の論理的思考を鑑みてそう思った。
「う、うん……いつか完全犯罪するのが、夢」
「……やめなさい」
「じょ、冗談だから……」
「だよな……」
「ふふ」
どこか楽しげに笑う冴山さんだった。
冗談を……言える子だったんだな。
こういう一面を見ると、コミュニケーションが嫌いなわけじゃなさそうだ。
恐らく、限りなく人を選ぶんだろう。
僕もそうだから分かる。信頼出来る相手じゃないとウンともスンとも言わない借りてきた猫になる。
冴山さんもきっと、そうなんだと思う。
※
やがて駅に着いた僕らは同じ方向の電車に乗って、降車駅も同じだった。
登校のときにいつもホームで見かけるし、住んでる街が一緒なのは知っていた。
けど下校も一緒なのは今日が初めてだから、新鮮な気分だ。
「冴山さんってこの街育ち?」
「う、ううん……進学でこっちに」
雨が上がった歩道を、住宅街めがけて歩く。
聞けば、冴山さんはマンションで1人暮らし中だとか。
家事をこなす冴山さんは想像しづらくて、色々と興味が湧いてくる。
「冴山さんにご飯作って欲しいな」
「え」
「あ、いや……聞き流してくれ」
今のはつい本心が漏れ出てしまったんだ。
ヤバい、きっとキモがられたに違いない。
「……お邪魔してもいい?」
ところが、冴山さんの二の句はそれだった。
え……?
「……お、お邪魔してもいいなら、ご飯作るけど……」
「ホントに……?」
「……うん……私みたいなクソ陰キャの料理で良ければ、全然……」
クソ陰キャて……。
自虐にもほどがあるけど、とにかくその申し出にはビックリだ。
「……ホントにいいのか?」
「うん……マンションに直帰しても、その……寂しいだけ、だから」
ああ、意外にも……1人が好きそうに見えて、冴山さんは寂しがり屋であるらしい。それはなんだかギャップがあって、可愛いことのように思えた。
「だから……お邪魔させてもらえたら、私としても嬉しい、かな」
かすかに見える前髪越しの瞳が、上目遣いに僕を捉えていることに気付く。
これに魅了されない男は多分居ない……そう思った。
「じゃあ、えっと……冴山さんがホントにいいなら、是非お邪魔してくれれば」
「うん……そうするね」
予想だにしないお宅訪問。
今にして思えば、これが僕の私生活が侵食され始める第一歩だったんだ。
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