第42話
「思想でゴリゴリの奴も厄介だが、何の背景もない奴も同じく厄介だ。いつどんな理由で裏切るか分からんからな」
中佐が机に頬杖を突く。空いた手で机をトントン叩きながら、言葉を続けていく。
「さっき反乱扇動と言ったがな、実際そう疑う連中もいるんだ。中尉にはそれだけの力がある」
「そんなことは」
「あるんだ。ただ帝国から離反せよと命じただけでは聞かないだろうが、そうだな…。この戦争の発端になった暗殺は帝国が仕組んだものだと噂を流し、連合王国出身の兵士達を疑心暗鬼に陥らせたらどうだ?噂の出所は聖女と崇められる人物。兵卒はすんなり信用するだろうな。ザクセン家との関係を知っている層も深読みして同調しそうだ」
「それは…」
「ヤンセン中隊の連中と中尉の従卒なら信じると思わんか?こんな事態を招いた諸悪の根源を断とうと言われたら?」
ユーリアは…私の言葉なら信じるかもしれない。ヤンセン中尉はどうだろう。正直なところ、この戦争に参加している皆の気持ちなんて想像もつかない。……いや待てよ?それ以前に?
「……帝国が暗殺に関わっているんですか?」
「帝国は暗殺などという卑劣な真似はせんぞ」
ホイアー中佐がさっきの言葉を繰り返す。なんか怪しい。
「何か裏があったりしますか?」
「少なくとも暗殺の実行犯と帝国の間には繋がりは無い。どう調べても共和国との関係しか出てこない、とだけ言っておく」
めちゃくちゃ怪しい。思わず目が据わってしまった。中佐が不敵に笑う。
「どうだ?噂を流してみる気になったか?」
「そうはなりません。が、気にはなります」
「そうかそうか。存分にモヤモヤしておけ」
むう、と膨れる私を笑う中佐を横目に、デューリング少佐が真面目な表情で続ける。
「要するに、そういう疑念を吹き込んで帝国軍を混乱に陥れようとする者がいる、ということだ。連合王国の兵士達は、今は祖国を最初に侵略してきた共和国に対する敵愾心が強い。だが、現在連合王国を支配しているのは帝国だ。いつどんなきっかけで帝国に敵意が向くか分からん」
「それは…理解できました」
「それは良かった。『黄』号作戦前のクソ忙しい時にこの場を設けた甲斐があったというものだ」
ホイアー中佐が胸の前で小さくぱちぱち手を叩く。小馬鹿にするような態度は癪に障るが、その分印象には刻まれる。そういうテクニックなのかもしれないと思えてきた。
『黄』号作戦。そうか。連隊を混乱させるなら、連隊の全力で敵地に突入するこの作戦前がいちばん効くだろう。いつ裏切るのか分からない空気の中、協働して作戦を遂行するのは不可能だ。
「『黄』号作戦では、コートリー中尉にも活躍してもらう予定だ。覚悟しておけ」
今度はデューリング少佐が悪い笑みを浮かべた。何だろう、ホイアー中佐よりもタチが悪そうな気がする。
「ええと、お手柔らかに?」
「まあデューリングに任せておけば間違いはないさ。頼んだぞ、士官学校次席殿」
「その言い方はやめろ」
少佐が眉間に皺を寄せて腕組みした。遠慮の無いやり取りは軍の階級を超えた関係に見える。
「お二人は、同級生とかですか?」
「まあな。こいつはとにかく目立っていたぞ。教官からも上級生からも嫌われていながら次席をもぎ取ったんだ。とんでもない奴だよ」
「昔の話だ。はるか昔の、な」
デューリング少佐が嫌われていた?そういうタイプには見えないけど、真面目すぎて逆に嫌われてたとか?
「聖女様にはまるで分からんようだがな。デューリングには外国の血が流れている。祖母が異国の、異教の徒だったというだけで正当に評価されなかった。くだらん話だ」
ホイアー中佐の唇が歪む。デューリング少佐に外国の血が、と言われても、もちろん私には分からない。そういえば少佐の瞳の色はあまり見ない系統の気がする、くらいだ。どちらかと言うと見事に剃り上げた頭の方が気になる。
「もう二度と会うことはないと思っていたんだがな」
「同じ旅団に配属され、ここまで生き延びてきたんだ。帝国に栄光あれ、だな」
中佐が乾杯の真似事をするのを完全にスルーして少佐が私に向き直った。
「とにかくだ。今日の報告を受けて、『黄』号作戦には若干の修正がなされる予定だ。連隊が計画通りに進出すれば、共和国軍の前線は完全に崩壊する。そのまま一気に首都まで制圧できるだろう。中尉の奮闘に期待する」
「はい」
何をどう期待されているのかは分からないが、『黄』号作戦まで概ね一週間。この世界初の本格的な毒ガス戦として戦史に記録されるであろう戦いの中心に、私が立つのは確定したようだ。
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