第40話

「中佐殿?何か勘違いされているようですが」

「安心しろ。十分に理解した」

「いえ、あの」

 助けを求めてデューリング少佐を見るが、諦めたように首を振っている。

「まあやってみろ、コートリー中尉。何かあっても俺が証言してやる」

「無理です」

 ネズミですら滅茶苦茶嫌な気分になって落ち込んだのに、人間相手なんて無理だ。ホイアー中佐は何故か楽しそうにしている。本当に何なのこの人。

「なぁに、聖女様の能力を疑っているわけではないから安心しろ。呼吸をしていれば治せる、んだろう?」

「いや、それは」

 准尉は淡々とメモを取っている。この場に私の味方は居ないようだ。外で待機しているユーリアとスザナが来てくれないかな。大声で叫べば助けてくれるかな。

「安全を保証できません」

「この戦場で安全の保証など誰にもできん。さあさあ、やってみろ」

 前にもあったなこんなやり取り。何これ帝国軍人の共通認識か何か?グレーの瞳をキラキラ輝かせる中佐は無邪気な子供みたいだが、それで要求するのが私を殺して、というのはどうなんだ。ヤンデレ趣味は無いんだが。

「どうしてもできないと言うなら、そうせざるを得ない状況を作ろうか?うん?」

「いえ、その…」

 逃げ場無し。中佐の権限なら本当にそういう状況を作れるのだろう。私の口から諦めの溜め息が長く長く吐き出されていく。

「一度起きた状況を確実に回復させられるかどうかは分かりませんよ」

「うむ。よろしく頼むよ、聖女様」

 いつもの小銃は持ち込んでいないので、右手を前に差し出す。ふわっと蛍のような光がホイアー中佐に向けて飛んでいった。

 何かを話そうと中佐が口を開くが、言葉が続かない。咳き込もうとしても肩が大きく動くばかりで、喉からはぴぃ、と笛のような音が絞り出されるだけだ。喉を押さえた中佐の体が机に突っ伏す。みるみるうちに青白くなっていく顔が、まだらに薄緑色に染まっていく。首から顔、手へと赤い斑点が無数に浮かび上がった。

 私が中佐に手を伸ばそうとすると、青褪めた顔の准尉が腰を浮かせた。右手が腰のホルスターにかかっている。デューリング少佐が手振りで准尉を制するのを確認して、改めて治癒の力を使う。

 一拍置いてぶはっ、と大きく息を吸い込むと、中佐がゆっくり体を起こした。脂汗でぐっしょり濡れた髪を掻き上げると、まだ虚ろな目で私を見つめる。准尉がそろそろと腰を下ろすと、壕内はしんと静まり返った。

「……何だ、今のは」

「先程説明した通りです」

 ホイアー中佐がゆるゆる喉を撫でている。中佐の体に起こったのは、大雑把に言って喘息と蕁麻疹。どちらも免疫の過剰反応で起きる。まあ本物の医者じゃないから診断はできないけども。

「これは何だ?毒か、呪いか?」

「根っこは治癒の力と同じです。それをどう呼ぶべきかは分かりません」

 私の力が何なのかは私にも分からない。治癒能力を加速させているというのも推測でしかない。防御の方はもっと分からない。それを呪いと呼ぶならそうとも言えるだろう。

「治癒の力と同じ…。つまり中尉、これを怪我人を治すときと同じようにできるということか?何百人も、一度に?」

「やったことが無いので分かりません」

「つまり、やればできるということだな」

 中佐が腕組みをして考え込み始めた。シャツの襟が汗で濡れている。あんな目に遭ってすぐ考えを巡らせられるというのは素直にすごいと思う。私だったらパニックを引き摺って冷静にはなれないだろう。

「なあコートリー中尉、この能力を知っている者は?従卒は知っているのか?シュメルツァー大尉は?大佐は?」

「誰にも言っていません。そもそもこんな風に使えるのを知ったのがここ一週間くらいです」

「ネズミで試したと言っていたな。それを見られている可能性は?」

「試したと言っても一度だけです。誰も見ていなかったと思いますし、見られたとしても何をしているかは分からないのではないかと」

「そうか。ふむ。そうか…」

 中佐のグレーの瞳がギラリと光った。

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