第39話

 壕内の空気が変わった。同じ姿勢のまま、中佐がゆっくり口を開く。

「…ふむ。具体的には?」

「その、試したことが無いので」

「そう言い切れる根拠があるだろう?何をもって人を殺せると?」

「それはその、何でしょう?ネズミが」

「ネズミ?」

「陣地内にネズミがいっぱいいるので。それで」

「一応確認だが、ネズミというのはあの小さい動物のことでいいな?潜伏している工作員とかではなく?」

「ええと、はい」

 隠語とかではないです。あのつぶらな瞳で食糧や家具や装備品をダメにする憎たらしいやつです。

「それで、ネズミがどうした?」

「その、先程動物も治せるとお話ししましたが。それで思ったんです。動物相手に、色々試せるんじゃないかって」

「ほう」

「前から疑問だったんです。私の力って何なんだろうって。私は特に意識していないのに、怪我や病気を治せる。何をどう判断して治療をしているのかって」

 治癒能力と一言で表現できはするが、何をもって『怪我・病気をしている』『治った』と判断しているのか。外傷由来の敗血症で苦しむ人に対して、何か緑の光が飛んでいって、それが消えると傷も菌も無くなり元気になる。最初は時を巻き戻しているのかとも思ったが、失った手足の回復の仕方を見ている限りそうでもないらしい。どうやらいい感じに本来ある治癒能力を加速させている感じっぽい。

「治療って本来は難しいことのはずなんです。治すのはもちろんですが、過剰な治療にならないようにするのも大変なはずで。なのに、私の力はぴたりと良い所まで治し、そこで止まる」

「そう話していると医者っぽいな。医学の心得があるのか?」

「一応軍医ですが?」

「あの経歴、デタラメだろう?教育を受けたという病院に照会したが、女医を育てた記録は残っていないそうだ」

「う…」

 大佐ぁ…。本気で裏を取られたらどうにもならないか。もしかして経歴詐称は公然の秘密なのか?

「まあそれはどうでもいい。それで?ネズミに何をした?」

「あ、はい。それで思ったんです。健康な状態で私の力を使ったならどうなるのか、と」

 『夜』を助けた後、宿舎の周りを歩いている時に小さなものが通り過ぎた。最近は目撃回数も減ってきたネズミだ。黒い瞳と小さな耳でこちらを警戒している。すぐに逃げないあたり、まだ人間を舐めているようだ。

 何故そうしようと思ったのか、はっきりとは分からない。ずっと疑問を持っていたのは事実だ。でも、こういうことをしてみようと計画していた訳ではない。気が付いた時には、小銃の先から緑の光がネズミに飛んでいた。

 最初は平気そうに見えたネズミは、突然走り出した。壁際に寄り駆け上がろうとするが、そのまま横に倒れる。何かを引っ掻くように四肢がバラバラに動き、全身をのたうち回らせたそれは、10秒ほどで大人しくなった。

「結果、ネズミは死にました」

 淡々と告げる私に、デューリング少佐が眉を顰める。ホイアー中佐も顎をさすりながら机に肘をつく。

「分からんな。何がどうして死ぬことになる?」

「まあ推測でしかありませんが。体が治す必要もないのに治そうとした結果死んだのだと思います」

「どういうことだ?治そうとすると死ぬ?そんなことがあるのか?」

「まあ、はい」

 この時代だとどうかは知らないが、私のいた世界では常識的な話だ。免疫の過剰反応による各種アレルギー。アナフィラキシーショック。喘息。血管炎や関節炎。全身のありとあらゆる場所を、本来体を守るためのシステムが攻撃する。私の力が人体が本来持つ治癒能力を加速させるのなら、同じ治癒能力由来のアレルギーも爆発的に進行するはずだ。ネズミはたぶん、気道が腫れ上がり呼吸ができなくなって死んだんだと思う。

「分かりやすいところで言うと…。私の力で失った手足を取り戻せますが、五体満足な人がさらに手足を取り戻そうとするとどうなると思いますか?」

「それは…。もう一本手が生えるか?」

「そう、かもしれません。あるいは、腕一本分の骨と肉が無秩序に、どこかに発生するか」

「ふむ…」

 傷を治すのだって過剰に進めば腫瘍と同じだ。私の能力は本当に神の采配としか言いようのない絶妙なバランスで成り立っている。そして、どうやら私は意図的にそのバランスを崩すことができる。

「なるほど。では、やってみろ」

「はい?」

「ちょっと試してみよう。俺にやってみろ。ネズミの時と同じように」

 何言ってんのこの人?

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