第37話

「ええと、とても偉い人ですか?」

「うむ。とても偉いな」

 カタコトみたいな話し方になった私に、ホイアー中佐が大きく頷く。

「えっと…すみません。全く知りませんでした」

「なるほどな。デューリング、貴様の言う通りだ。こいつは馬鹿だ。だが素直な馬鹿だぞ」

 中佐が楽しげに顎をさする。馬鹿と評する言葉に全く悪意は感じられない。感じられないがちょっとムカつく。

「さて中尉、そんなとても偉い人が、いきなり神の遣わした奇跡がどうのとか言って常識では測れないようなモノを軍に放り込んできた。ソレの周りには何故か帝国が介入したばかりで軍事的にも政治的にも不安定な連合王国の出身者が集まっている。そこに何の意図も無いと思うか?」

「それは…怪しいですね?」

「そうだな。理解してもらえたようで何よりだ」

 確かに怪しい。反乱かどうかはともかく、裏に何か政治的な意図を感じるのは当然だろう。情報参謀が注目するのも納得だ。

 それが『あの』大佐の為すことでなければ。

「ホイアー中佐殿、一つお聞きしたいのですが」

「何だ?」

「先程いただいた質問をそのままお返しします。大佐をどういう人物だと見ていますか?」

 中佐の目が一瞬大きく見開かれ、そしてすっと細められた。口元がふっと歪む。

「なかなか怖いもの知らずだな、中尉」

「申し訳ありません、馬鹿なもので」

「ふん。まあ良いだろう。俺から見て奴は怪物だ。常識なぞ欠片も通用せん」

「おい、ホイアー」

 デューリング少佐の表情が険しくなる。それを片手で制して、中佐が続けた。

「気にするな。何を口にしたところでここから情報が漏れたりはしない。このコートリー軍医中尉殿はザクセン家の耳ではなさそうだ」

「分からんぞ」

「こいつはさっきから奴を頑なに名前で呼ばず『大佐』としか言わん。繋がっているならもう少し気を付けるものだ」

 あ、ナチュラルに『大佐』呼びしてた。普段の感情が滲み出てしまった。

「それでだ。あの大佐が何を考えているのかは全く読めんが、その裏にはザクセン家の意図があるものと思っておけ」

「意図、ですか」

「その意図に沿って大佐が動いているのかは知らん。だが、どんな奇天烈な行動であってもそれを一族の利益に繋げようと糸を引く者が別にいる。何か気付いたことがあれば俺に報告しろ」

「はい」

 本来、ホイアー中佐に対して私が個別に報告する義務は無い。ただ、それなりに腹を割って話してくれているのは感じる。仕事柄そう思わせるのが上手なのかもしれないが、私が全く気付いていなかった視点で警告するためにこの場を設けてくれたのは事実だ。敵では無いと思う。

「そうそう、もう一つ確認したいことがあるんだがよろしいか?聖女様」

「はあ。何でしょうか」

「聖女扱いされる元になっている力のことだ。一体何ができる?」

 私の能力が気になるか。まあそりゃそうだ。何故そんなことができるのかではなく何ができるのかを聞くあたり、視点が実務家だ。

「ご存知かとは思いますが、傷や病気を治すのと、攻撃を防ぐのができます」

「ふむ。報告によれば今日の戦闘では数マイル四方に散った中隊全員を守っていたようだが」

「ええと、はい。人数と範囲については自分でもどこまでできるのかはよく分かりませんが」

「着任初日には437名をいっぺんに治療していたな。まさに神の奇跡だ」

「はあ」

 ホイアー中佐が思案気に壕の天井を眺める。

「傷を即座に癒し、攻撃を無力化する。なあ、そんな相手をどうやったら殺せる?鉄の檻に入れて海にでも沈めたら死ぬのか?」

「いや、それはその…分かりません」

 怖いこと考えるなこの人。確かに脱出不可能な状況で海に沈んだらどうなるんだろう?それで死ぬのも嫌だが死ねないのも怖い。海底でもがき続ける自分を想像してぶわっと鳥肌が立つ。

「今から試してみるか?井戸ならあるぞ」

「悪趣味だぞ、ホイアー中佐」

 デューリング少佐が本当に嫌そうな顔で止めてくれた。勝手な想像だが、少佐は戦場でなければ頼れるパパって感じがする。

「限界を知っておく必要はあるだろう?戦艦の主砲でも防げるのか?死者を甦らせることはできるのか?どうなんだ?」

「主砲はやったことが無いので何とも言えません。死者を甦らせるのは不可能です。少なくとも自分で呼吸をしている者でないと治せません」

 野戦補給廠に運ばれてきた負傷者の中で、搬送中に呼吸が止まってしまった者には私の力は通用しなかった。現代日本では心肺停止は直ちに人の死とは言えないが、私の治癒能力ではそこに明確な線引きがある。

「そうか。まあそこまで万能ではないか」

 天井を見上げていた中佐がぱっとこちらを見た。射竦めるような視線に肩が跳ねる。

「それで、他はどうなんだ?」

「え?」

「俺は何がどこまでできるのか聞いたんだ。隠し事は無しで行こうじゃないか、聖女様?」

 ホイアー中佐の口元がにやりと歪む。笑みの形になった目の中心で、グレーの瞳は全く笑っていなかった。

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