第33話

 暗い塹壕の中に、点々と青白い人影が転がっている。共和国の軍服は青っぽいグレーなので、明けきらない朝の光の中だと尚更目立たない。塹壕内に降りると、ある種嗅ぎ慣れた臭いが満ちていた。血と泥濘の入り混じった臭い。横のユーリアとスザナの様子を窺うが、特にショックを受けている感じは無い。私自身も、死体を前にしても思っていたよりは動揺していない。負傷者の治癒に明け暮れた経験が活きているのだろうか。

「塹壕内の構造は大して変わりませんね。塹壕線を一つ進むと広めの待避壕があるはずなので、作戦計画通りにそこを司令部とします。聖女様もそちらで待機してください」

「了解しました」

 ヤンセン中尉の案内で塹壕内を進んでいく。怒号は少し遠ざかっているようだ。時折響く乾いた音は手榴弾か。転がる死体をいくつか跨いでいくと、目指す待避壕に着いた。ポン、ポンと2発白い信号弾が打ち上がる。作戦行動進行中、司令部健在を示す合図だ。持ち運べるような無線通信手段が無い中、これで各小隊は作戦目標を遂行、あるいは失敗した時点で司令部に集結することになる。

 今のところ、私に異常はない。ここに着任した際にやりすぎて気を失った時のような、力を引きずり出されるような感覚もない。ちょいちょいバチバチ銃弾を弾く感じがある以外は、思っていた以上に平穏だ。壕内にあった空の木箱を軽く転がして、罠が無さそうなのを確認して椅子代わりに座ると、ユーリアとスザナが私の両脇に立った。ヤンセン中尉が次々伝令を走らせている中、やることの無くなった私はただぼんやり座っているだけだ。

「うーん、何か手伝った方がいいのかな?」

「手伝う、というか…。閣下の力が無ければ今も大量の死傷者が出ているはずですので、一番仕事をしているのは閣下かと」

「あ、そうか」

 ユーリアが少し呆れ顔で私を見下ろす。言われてみればそうだ。その自覚が無くなるくらい負担がない。

 ……私の力、強くなってる?毎日治癒の力を使っているし、使えば使うほどレベルが上がる的な?治癒の方も最近は連隊の陣地内くらいなら遠隔でできるようになってきてはいる。いきなり傷が治ったら怖いだろうから出向くようにはしてるけど。

 そんなことを考えているうちに、中隊の行動が少し変化してきた。外へ奥へと広がる動きだったのが、小集団がじわじわ内側に浸透するようになっている。作戦の第三目標、敵陣地の無力化が進行中のようだ。しかしこれ、防御っていうよりレーダーみたいなもん?連絡手段が乏しいこの時代で、これだけ正確に友軍の位置が分かるってすごいことでは。

 分隊規模の集団がこっちに来るな、と思っていたら、高揚した顔付きの軍曹が待避壕に入ってきた。金属の筒と木箱を抱えた兵士達が後に続いている。

「報告します。ベルタ第一分隊、敵速射砲の鹵獲を完了。総員健在」

「総員健在、了解」

 ヤンセン中尉が敬礼を返す。無事迫撃砲は手に入れたようだ。実物を見るのは初めてだが、映画で見たようなのとそう変わらない形をしている。

「分隊は速射砲を撤退開始地点まで運搬し、そのまま警戒に入れ。小隊長には──」

 ものすごい地響きと轟音が襲ってきた。ビリビリ震える待避壕の壁がポロポロ崩れ落ちる。小爆発が連続して起こる中、この辺りまで何かがぱらぱら降ってきた。誰かが爆発に巻き込まれた感覚はない。

「小隊長には本部から伝令を送る。以上」

「了解」

 軍曹が分隊を引き連れて去っていくと、ヤンセン中尉が私を見てニカッと笑った。

「弾薬庫を爆破したようです。作戦は順調に進行中、というところでしょうか」

「あ、はい」

 爆竹が破裂しているような音が続く。まだ耳がキーンとする。かなり遠くの爆発だったと思うけど、砲撃の比ではなかった。地形が変わっているんじゃなかろうか。

 爆発を契機に、中隊全体がじりじり戻ってきている。そろそろ作戦終了だろうか。時計を見ると1時間が経過している。迫撃砲の鹵獲報告が2件、機関銃の鹵獲報告が4件あった後、ドーラ小隊の小隊長が共和国軍の軍服を着た士官を引き摺ってきた。

「報告します。敵砲兵士官を発見、投降の意思を示したため捕虜として連行しました」

 まだ若い砲兵士官はのろのろ待避壕内を見回した。顔が土気色で目は空ろだ。グレーの軍服が所々黒く染まっている。特に右足がひどい。

「ヤンセン中尉、彼を連れて帰りますか?もしそうなら、自分で歩ける程度には傷を治しておきたいのですが」

「ありがとうございます。さすがは聖女様、慈悲深い」

 ニカッと笑うヤンセン中尉には悪いが、慈悲とかではなく死にそうな人を見ていたくないだけだ。幸い私の余力は十分。小銃の先からぽわぽわ緑の光が飛んでいくと、砲兵士官の目が大きく見開かれ、唇がぷるぷる震え出した。傷は確実に治っているのだろうが、理解できない力に晒された恐怖が勝ったらしい。手際よく後手に縛られている間もされるがままだった。

 その後もぽつぽつ捕虜の報告があり、小隊長全員が戻ってきた時点で本部も撤退することになった。突入した時の塹壕線まで戻ると、鹵獲品の山と整列した中隊全員が出迎えてくれた。

「報告」

 ヤンセン中尉の号令に、各小隊長が敬礼で応える。

「アントン小隊、総員健在」

「ベルタ小隊、総員健在」

「ツェーザー小隊、総員健在」

「ドーラ小隊、総員健在」

「中隊総員健在、了解」

 ビッと答礼したヤンセン中尉がニカッと笑う。緑の信号弾が2発、すっかり夜が明けた空に弾けた。作戦完了の合図。時計を確認すると、もうじき7時になるところだった。

「それでは聖女様、堂々と凱旋いたしましょう。敵の前線は崩壊、通信網も完全に破壊しました。追撃は不可能と思料します」

「はい」

 中隊の旗手が塹壕内から駆け上がり、旗を高く掲げた。帝国旗と、たしか連合王国旗。微風に静かに揺れるそれが、朝日を受けてきらめく。私達3人が続き、その後ろを整然と中隊が行進していく。重たい鹵獲品を担いだ彼等の顔は晴れやかだ。

「それにしても、聖女様の思し召し通りになりましたね」

「はい?」

 横に並ぶヤンセン中尉が笑顔で口を開く。いつもとは違う、自然な笑顔。

「第一目標は全員で帰ること。まさにその通りになりました」

「ああ…」

 そういえば作戦会議でそんなことを言ったっけ。誰が歌い始めたのか、また小夜啼鳥の歌が聞こえる。自然と揃う歩調。朝食の時間に差し掛かる連隊の皆も、この光景を見ているのだろう。

「そうですね、何よりです」

 そう返す私の顔にも、自然と笑みが溢れた。

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