第32話
東の地平が白い。宵闇はすっかり追い出され、深い青の中にちらほら星が残っている。ヤンセン中隊と聖騎士団こと私達3人は、息を潜めて最前線の塹壕に集結していた。陣地全体が眠っているようだが、後方の銃座と砲台の兵士達は作戦開始に備えてじっと目を光らせているはずだ。
「時刻合わせ。各員は私の時計に合わせろ。現在時刻は──〇四四五」
ヤンセン中尉が小隊長を集め囁き声で指示を出す。差し出した時計を相互に確認し合い、頷いてそれぞれの持ち場に分かれていく。私も竜頭を回して分針を合わせ、時計を耳に当てた。ジジジと正確に歯車が動く音が心地良い。
「〇四五〇」
ヤンセン中尉の静かな声が響く。私の両側にはアントン小隊が展開しているが、全員が全く動かない。ただ静かに、作戦開始のその時を待っている。小銃を抱えてうずくまる彼等の放つ緊張が、狭い塹壕内に重く溜まっていく。
「〇四五五」
私は小銃を抱え直し、静かに目を閉じた。横に長く広がる中隊全員に触れているような、体を押し付けられているような、何とも言えない感覚。148名がどこにいるのか、見なくても分かる。
「一分前」
両脇にいるユーリアとスザナの背中に手で触れる。軍服越しに確かな温かさが返ってくる。少し冷える払暁の空気の中で、私達は無言でしばらく見つめ合った。
「十秒前」
小銃を抱え、ギリギリ頭の見えない位置まで斜面を登る。伏せた姿勢でヤンセン中尉の方に振り返り、深く頷き合う。ヤンセン中尉の右手が高く上がる。
私達は、青白い荒野に飛び出した。
小走りで進む私達を追って、中隊が次々と飛び出してくる。号令も警笛吹鳴もなく、雄叫びもない。ただ静かに湧き上がり前進する我々に対して、少し遅れて応射があった。ぱちんぱちんと何かが当たる感じがする。敵陣で何か叫んでいるのが聞こえた後、パパパ、パパと軽機関銃のリズミカルな銃声が響いた。勢いを増す騒音に比例して、弾を弾く感覚も土砂降りの雨に打たれているみたいになっていった。
最初は身を屈めていた兵士達も、帝国側の鉄条網を越える頃には半信半疑な感じで普通に進むようになった。砲撃の穴だらけの大地を長靴が踏み締める音が、次第に揃っていく。中間地点を過ぎる頃に、誰かが大声で叫んだ。それに呼応するように次々と叫び声が広がっていく。よく聞くと何か節がありそうなそれが、中隊全体に浸透するのに時間は掛からなかった。隣を歩くユーリアの口も動いている。
「ユーリア、これって?」
「小夜啼鳥の歌。連合王国の歌です。王国と、国民の自由を讃える歌で──」
青白い景色の中で、彼女の頬が紅潮しているのが見えた。唇から美しいソプラノが響く。
正しき御手が汝に示し給う道の中で
汝の子等は称え歌う
王国よ 自由よ 高らかであれ
導きの小夜啼鳥が汝に示し給う道の中で
汝の子等は称え歌う
王国よ 自由よ 美しく咲き誇れ
歌声が銃声に対抗するように勢いを増し、歩調が揃っていく。絶え間なく光る銃火が地上に落ちた星みたいだ。時々踏み抜いた地雷が土煙を高く舞い上がらせるが、行進は止まらない。工兵分隊が共和国軍の鉄条網に取り付き、杭ごと引き抜いて道を作っていく。遮る物の無くなった敵陣に向けて、着剣したツェーザー小隊とドーラ小隊が突入していった。怒号と悲鳴が広がっていく中、私達も共和国軍の塹壕の縁に立つ。
「〇五〇三」
横に並んだヤンセン中尉が時計を確認し、ニカッと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます