第24話
翌日からはほぼルーティンの生活になった。朝起きて食事を摂ったら診療所へ出掛け、当番の衛生兵から状況を聞いて治癒。といっても私が初日から盛大にやらかしたせいで本来いっぱいいるはずの負傷者は一掃されていて、あまりやることがない。野戦補給廠の方が忙しかったくらいだ。暇なので散歩がてら要求があれば軽傷者の治癒をして回ることにした。じめじめ暗い穴蔵生活はただそこにいるだけでも病気になる。皮膚病を中心に各種感染症を診て回っていく。ストレスに伴う精神神経疾患にも治癒が効くのは意外だったが、まあ皆が笑顔で居られるのは良いことだ。
陣地をうろうろしているうちにお昼になり、3人で食事。晴れた日が多くなってきたので、宿舎から外に出るようにしてみた。至る所砲弾の穴だらけの殺風景な景色だが、それでも大地の湿気そのままの塹壕内よりはよっぽど良い。古い毛布を敷き物にしてピクニック気分の私達は、兵士達から「聖騎士団」とかいうありがたいのか馬鹿にされているのか分からない愛称で呼ばれているらしい。午後からはフリーなので引き続き拾った教科書を読んで過ごす。時々シュメルツァー大尉から呼び出されるので出掛けていってお茶を飲みながら雑談。最前線とは思えないほど平穏な日々だ。大攻勢があった直後で双方に砲弾備蓄が無いこと、帝国軍的にはここに来た日に大佐が言っていた「実験」の準備があるのでそれまで仕掛ける予定が無いことが理由だそうだ。「実験」の詳細は教えてもらえていないが、ロクでもないものだというのは分かる。気にしていても何にもならないので、とりあえず今はこの日々を楽しむようにしたい。
午後の日差しの下、ロープに下げた洗濯物が揺れている。宿舎の周りは放棄された塹壕なので、空き部屋というか崩壊した穴というかが並んでいる。その中の一つを物干場として使っているのだ。他にも盥と木板で簡易のお風呂も作ってみた。お湯を運ぶのが大変だが、仕事の減った衛生兵が手伝ってくれるので毎日体を流せている。正直ありがたい。
風に揺れるシーツをぼんやり眺める。たまに一人になりたくなって、こうして板を適当に組んだベンチに座ってじっとしている。
大佐が私をここに移した理由は、たぶん「実験」絡みだ。そうでなければ、わざわざ私が着任した日にその話題を出す必要がない。連隊司令部のシュメルツァー大尉が話してくれないということは、秘匿すべき新兵器か新戦術か。この時代の新兵器って何だ?核兵器…は、数十年後のはず。この間「E=mc2」の話をしたら「数ある新理論の一つ」みたいな反応だった。私はよく知らないけど、たしかこの式が重要なんだよね?原子力って概念も無かったっぽいから、いきなりキノコ雲を目にするとかは無いと思う。私の防御が放射線にも効くかどうかなんて分からないので、アトミックソルジャーごっこは避けたい。
ゆらゆら揺れるシーツの向こうから、つぶらな黒い瞳が覗く。ネズミは前ほど大胆ではなくなってきたが、相変わらず人前でも顔を出してくる。スザナが潰しても潰しても減らないと愚痴っていた。ニコニコ笑顔でわりとエグいよねあの子…。
「閣下ぁー」
遠くでスザナの呼ぶ声がする。よっこらせと重い腰を持ち上げて、ぐっと背筋を伸ばす。物干場から顔を出すと、宿舎前でスザナが手を振っているのが見えた。横に兵士が立っているので、司令部からの呼び出しだろうか。
「はぁい」
返事をして、小銃を担ぎ直す。風がざあっと塹壕内の空気を浚っていった。
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