第14話

 霧吹きで吹き付けたみたいな雨がずっと降っている。大きく右に左に揺れ続けるトラックの荷台でトレンチコートの襟をぎゅっと握り、灰色と茶色の世界を進む。

 異動辞令の発令日。午前中に第23歩兵連隊から搬送されてきた兵士を治癒し、そのトラックに便乗して私達は連隊司令部に向けて出発した。半分ほどは健在だった道も、前線に近付くにつれて破壊され穴だらけになる。迂回路を進み仮設の橋を渡り、何度か丘を越えると聞き慣れた砲声も腹に響く音量になった。

「そろそろ重砲陣地を越えます。司令部までは徒歩で30分くらいだと思います」

 右側に座るユーリアが地図を確認して教えてくれた。今回トラックに乗る時に、傷を治した歩兵連隊の皆さんから貰った軍用地図だ。軍事機密に相当するもののはずだし貰って良いのかな?と思ったが、感謝の言葉と共に押し付けるように渡されたので受け取ってしまった。左側のスザナが興味津々で覗き込んでくるのに挟まれて、私は若干押し潰され気味になる。おかげで雨に濡れても暖かい。時々体が浮き上がるほど揺れるのさえ目を瞑れば、中々快適な旅と言って良いだろう。

 すれ違うトラックや馬車が増えてきて、兵士の集団がぽつりぽつりと目に付くようになってきたと思っていたら、司令部のある町、の残骸、に入った。たぶん大通りであっただろう空間を抜け、塹壕に渡された橋やタコ壷の間を進む。一見何も無い場所で下車すると、司令部付の通信兵が私達を案内してくれた。塹壕の内部に降りて迷路のようなそれを進むと、丸太でガチガチに補強された竪穴に辿り着く。ユーリアとスザナを残して中に入ると、真っ暗な内部には裸電球が吊るされていた。その覚束ない光に照らされて大佐と、たぶん連隊の偉い人達がテーブルを囲んでいるのが見える。

「申告します。ハナ=ミーア・コートリー中尉は──」

「形式的なやりとりは必要ありません。どうぞこちらへ」

 着任申告をぶった切られて指示された席に着くと、全員の視線が私に集中した。軍病院でも同じ状況になったが、何というか圧が違う。実際に前線で命のやりとりをしている人達の、文字通り命懸けの品定めだ。頼りなさMAXの見た目で申し訳ない。

「お忙しい皆様に集合していただいているので手短かに。今回──」

 突然爆音と地震のような振動が襲ってきた。天井から土が降り注ぐ。ぶらぶら揺れる電球の光が、室内をまだらに照らす。

「今回、中尉には野戦病院と同様に治療を中心に担当してもらいます。直属の上官は連隊医療衛生担当のシュメルツァー大尉です」

 何事も無かったかのように続ける大佐に紹介された若い士官が黙礼してくる。実直そうな、がっしりでっかい帝国軍人らしい人だ。

「他にも近日中に実験にも参加してもらう予定になっています。こちらは詳細が決定次第伝達します」

「了解しました」

 背筋を正して答える私を見て、大佐の階級章を付けた初老の男が盛大に溜め息を吐いた。うん、重ね重ね頼りなくて申し訳ない。

「実験、か。どうしても、ここでなければならんのかね」

「連隊長閣下。今回の実験は戦況を劇的に変える可能性のあるものです。効果については実証されています」

「その、実証した地でやればいいだろう。ここでなければならない理由は何だ」

「理由については、起案にある通りです。これからの天候と風向き、戦線の状況から参謀本部も妥当と判断しています」

「それは読んだ。読んだが…」

 なんだか雲行きの怪しいやりとりを意味も分からず聞いていると、連隊長がもう一度大きな溜め息を吐いた。片手を上げて同意を示したのを見て、大佐が続ける。

「コートリー中尉には私から説明しましょう。作戦会議中で申し訳ありませんが、私はこれにて失礼いたします」

 大佐が立ち上がり、私も促されて席を立った。妙に陰鬱な空気になった竪穴を出ると、ユーリアとスザナがぴっと敬礼をして出迎えてくれた。

「では、まず『診療所』と宿舎に案内します。それから大まかに連隊の担当する戦線を見て回りましょう。まあ、直線距離でも4マイルあるので全部というわけにもいきませんが」

 社会科見学みたいな口調で語る大佐の後ろに付いて、複雑にねじくれた塹壕を進むこと10分。『診療所』と呼ばれる区画に着いた。塹壕の両脇に大きめの穴が掘られていて、中に負傷兵が並んでいる。1つの穴につき10人前後。それが延々続く。全体で何百人になるのだろうか。通りかかる衛生兵は、ほぼ例外なく遺体袋を下げている。

『月間の平均死者数は2万人、負傷者数は15万人を数えます』

 軍病院での大佐の言葉が蘇る。野戦病院で私がちまちま治癒していた数倍の命が消えていく場所。ぬかるんだ穴の底に漂う死の臭いに肌がざわつく。目がチカチカする、と思ったのと同時に、私の体から緑の光が溢れた。勝手に飛び出した治癒の光はぐるぐる渦を巻いて横穴に飛び込んでいく。今までとは違う、内側から掻き混ぜられ引き摺り出されるような感覚に叫びそうになるが、開いた口からも声の代わりに緑に輝く何かが飛び出していった。視界が全部緑色に染まる。

 気が付いたら、ユーリアが私を後ろから抱き締めていた。スザナが左手を握ってくれている。いや、脈を取っているのか。少しの間意識を失っていたらしい。まだぼんやりする視界に、灰色の空が広がっている。さっきよりも明るい。雨は上がったようだ。

「戦線の見学はまた明日にしましょう。今日はゆっくり休んでください」

 右から大佐が私を覗き込んでくる。彼のアクアブルーの瞳に浮かぶものが何なのか、ぐったり疲れた私には分からなかった。

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