ユーリア・ヘッケン伍長の述懐 3

 野戦病院には補給大隊と野戦病院の幹部が勢揃いしていた。大佐を見つけた中尉がとことこと近付いていく。何の指示もなかったので壁際に寄った私の所に、同僚の看護婦が小走りでやってきた。

「ねえ、野戦病院を解体するってどういうこと?」

「え?どういうこと?」

「ユーリアが呼ばれた後、急に通達があったの。ここは最低限の人員を残して解体するって。各自移動に向けた準備をするようにって。何も聞いてない?」

「聞いてない。何それ」

「急すぎて何が何だか。視察も急だし、前線で何かあったのかな?ああもう、訳分かんない」

 頭を抱える彼女にかける次の言葉が浮かばないうちに、大佐の声が響いた。

「では皆様。只今より、新規医療設備の実地運用を開始します。知り得た情報については全て軍機となるのをお忘れなきよう」

 それを合図に、中尉が身の丈もあるような小銃を両手で捧げた。何が始まるのかと思った次の瞬間には、元は教会だった建物の高い天井まで光の花弁が吹き上がっていた。

 正直なところ、その場で起きたことの記憶は曖昧だ。非現実的な淡い光の海に照らされ、色の剥げた聖母子像が生命を持ったかのように浮かび上がっていたのは鮮明に覚えている。何が為されているのか分からないまま、最後の光の粒が消えた。

「以上で一回目の実地運用を終了します。医官は患者の容態を確認するように」

 呆然としていた皆が、大佐の言葉で動き出す。そう、皆が。動けるはずのない傷付いた兵士達までもが動き出した。腐った足を切り落とす順番を待っていた二等兵が、足首から先を失っていた伍長が、何事も無かったかのように立ち上がっている。奇跡としか呼びようのない光景に、誰ひとり何をしてよいのかが分からずにいた。

「とりあえず、怪我は治っていると思います。兵士の皆さんは、まず体を洗ってください。それから一度お医者さんに診てもらって、それで問題なければ改めてその後の行動について指示を受けてください」

 中尉の指示とも呼べないような指示で、さっきまで床を埋めていた兵士達が外に出ていく。皆が任務に従い動き出す中、この奇跡を起こした張本人は、何事もなかったかのようにぼんやりと壁際に立っている。

 彼女は、一体何なのか。

 頭の奥が痺れたように思考が回らない。スザナと話す中尉は、どう見ても普通の子供だ。帝国軍は、こんな子供に何を抱えさせている?

「閣下、これが『新しい医療設備』ですか」

「うん、まあ」

 私の問いに曖昧に頷く中尉の姿と、ついさっき見た景色が全く繋がらない。

「どのような原理なのか、説明していただくことは…」

「ごめんなさい、それはできないです」

 大佐も頻繁に軍機を強調していた。一介の伍長においそれと話せることではないだろう。じわじわと与えられた任務の重さが感じられてくる。私達はきっと、医療の常識全てをひっくり返していくことになる。

「現在、これは中尉にしかできません。中尉がその能力を最大限に発揮できるよう、前線においても最適な環境を整えてください」

 大佐の言葉に込められた意味。中尉にしかできないのなら、中尉の存在が共和国に伝わればこれを抹消すべく攻撃が集中する、ということだろう。中尉のいる場所が前線となるのだ。帰りますか、と軽く言う中尉に従い外に出ると、彼女に気付いた兵士達が跪いた。何かの物語のような光景。いや、これはきっとそういう神話だ。連合王国の建国物語には、王子を助けた流民の聖女が出てくる。科学では測れない、神に頼らなければ説明のできない世界に、私は足を踏み入れたのだ。

 雲間から光の柱が教会にまっすぐ差し込んでいる。私は無意識に、神の御名を口の中で唱えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る