第9話
スザナがお盆にブリキの缶を載せて帰ってきた。お茶と言ってたのにポットとかは無いな、と思って気付く。この世界には電気ポットなんてない。そもそも農村にまだ電気も来てない。お茶を淹れようと思ったら火起こしをするところから始まるんだ。つい昨日まで暮らしていた狂気の館には電気が来ていたし、使用人達がいつの間にか諸々準備してくれていたから忘れかけていた。
ホクホク顔でスザナがブリキ缶を開けると、中には見覚えのあるクッキーが詰まっていた。たぶん大佐のお土産だろう。キラキラ目を輝かせている彼女に「食べてくださいね」と声を掛けると、遠慮なくぱくつき出した。ユーリアは最初遠慮がちだったが、一つつまむともう止まらなくなる。戦場じゃ配給される食料以外は手に入らないから、甘味は貴重なのだろう。私も一ついただく。砂糖多めの、少しパサパサした素朴な味わいだ。大佐の館では当たり前に食べていたが、ひょっとするとこういうのも手に入らなくなるのか?
「中尉閣下、発言してもよろしいでしょうか?」
「あーえっと、そんなに身構えずに話してください」
相変わらず固いユーリアにぎこちなく笑いかける。『閣下』呼びがどうにも慣れない。士官は兵卒からすると数段上の存在なので、基本的にそう呼ばれるとは聞いてはいた。でも実際呼ばれるとなると中々だ。
「では、どのようにお呼びすれば?」
「えーと、そうですね…」
正直何も思い浮かばない。ほんの数日教練を受けただけで、軍隊についてはど素人だ。
「コートリーさん、とか?」
「…恐れながら、それでは他に示しがつかないかと」
「えーと、ごめんなさい。ぶっちゃけてしまうと私は軍隊について全然分かりません。たぶんユーリアさ…伍長、の言ってることが正しいんだと思うんですが、できればその、仲間?としてというか、色々教えてもらえると嬉しい、です?」
目付きが険しくなっていくユーリアを前に、語尾がどんどん尻すぼみになっていく。私は後輩ができたことはあっても部下を持った経験は無いんだ。体育会系の部活に入ったことすらないので、こういう縦の関係がいまいちうまくつかめない。
「閣下、お湯沸きました。キッチン案内するですね」
スザナがにっこり笑って立ち上がった。右手にはもう一個クッキーを確保している。先を行く彼女に付いて気まずいテーブルを離れると、壁の向こうのキッチンに入った。竈で薪が燃えている。横に大きな鉄板とオーブンっぽい扉があって、壁にはフライパンや鍋が並んでいる。流し場の側には水桶が置かれていて、全体はかなり広い。鉄板の上に置かれたやかんの口から、ゆるく湯気が立ち上っている。秒でクッキーを飲み込んだスザナが、ゆっくり口を開いた。
「閣下、帝国の人じゃないですね?チナの人?」
「えーと、はい。東の出身です」
大佐の用意した身分証明書には出身地も細かく設定されていたが、スザナはたぶん極東出身だ。下手に地名を出すと墓穴を掘りそうで、曖昧に流した。
「私は海峡州のペナワで生まれましたです。わかりますか?」
「ええと、ごめんなさい。ちょっとよく分からないです」
「小さい町ですよ。海が近いです」
スザナはポットにざばっと茶葉を放り込むと、ざぶざぶお湯を注いだ。ちょっとたどたどしい言葉遣いが優しくて、なんだかほっとする。
「スザナさんは、看護婦さん?でいいのかな?」
「はい。ポーレの州立病院で勉強しました。ここで大変な戦争してると聞いたですので、船に乗って来ました」
「そう、なんだ」
志願したってことだろうか。この世界の地図を見せてもらったのでだいたいの地理は分かるが、思い付いて簡単に移動できる距離ではなかったはずだ。
「ここ、お金たくさんもらえます。ポーレより良い所ですね」
「そう、なんだ?」
お給料が良いから、って理由で女の子が1人で帝国まで?何か闇がある気がする。いや邪推しちゃいけないか。
「閣下のおかげで、お茶とお菓子も来ました。良い所です」
「ええと、喜んでもらえたなら嬉しいです」
「テーブル戻りますね。伍長待っているですから」
お盆にポットとカップを乗せて、スザナと2人広間に戻る。ユーリアはクッキーに手を伸ばしていたが、私を見るとぱっと姿勢を正した。
「あ、好きに食べてくださいね」
「失礼しました」
くすくす笑うスザナを睨むユーリアの耳が赤い。私もちょっとだけ緊張が解けてきた。仲良くやれたらいいな。
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