第6話
皆の様子からすると、大佐は書類の文面を読み上げているだけのようだ。内容は万能の医療設備──つまり私──の現況と今後の戦場での運用体制について。難しい言葉を使っているが、要するに私を前線に送り込んで負傷した兵士をその場で治療させよう、って話だと思う。私の特殊な能力に目を瞑れば理解可能な話題になったせいか、会議室の面々はさっきよりも落ち着いている。
「つまり、その荒唐無稽な話に軍として予算を付けろ、という話かね」
大佐の話が一段落し静かになった会議室で、階級章に星が並んでいる、たぶん偉い人が口を開いた。
「有り体に申し上げればその通りであります、司令官閣下」
大佐が微笑を浮かべながら肯定する。いちばん偉い人かよ。
「運用に必要となる費用といたしましては別添資料の通りであります」
「大佐。これは費用の問題ではない。神の奇跡によって傷を癒す?帝国軍を中世の水準に戻せと?」
「しかし本日、我々はその奇跡を目の当たりにいたしました」
「下らんトリックだろう、あんなもの」
別の星がいっぱい付いたおじさんが吐き捨てる。それが正常な感想だろう。私自身こんなのが現実である訳がないと思っている。
「トリックかどうかを検証する機会を与えていただきたい、という話であります。第3軍の担当する戦線は280マイルに及び、月間の平均死者数は2万人、負傷者数は15万人を数えます。負傷兵の迅速な戦線復帰は継戦能力に…」
「その話は嫌になるほど聞いた。その為に既に野戦病院の整備、後送体制の構築等々、君の立案した計画は実行されている」
「その中に、ささやかな規模の試験が盛り込まれるだけです。何か問題でも?」
「予算規模の問題ではないのだ。これは…」
ぱしんと手で書類を叩き、司令官が言葉に詰まる。大佐の笑みが深まった。
「正気を疑う、と?」
「……」
「小官の人格について、様々な論評があることは存じ上げております。司令官閣下におかれましては、讒言に惑わされず冷静な判断を下されますよう」
バレてたんだ。まあ接収?された占領地の館にあんな禍々しいもの持ち込んでるくらいだから、いろんな所から滲み出てるんだろうな…。静まりかえった会議室の緊張感に、医師の皆さんが青い顔になっている。ご愁傷様です。
「…具体的には、どこで運用する?」
司令官が溜息混じりに発した一言で、会議の流れが変わった。一気に計画実行に向けた事務的な話が進んでいく。軍事的な用語は分からないが、大佐の計画は若干の修正のうえで実施の運びになったようだ。精神的に疲弊する話し合いの場から、疲れた顔付きの面々が退出していく。私も疲れた。壁際で座っていただけなのに、めちゃくちゃ疲れた。
人もまばらになった会議室で、することのない私は小鼻のあたりを念入りに揉みほぐしていく。ふと顔を上げたら、横に司令官が立っていた。慌てて立ち上がる私を、感情の読めない灰色の瞳が見下ろしている。
「それで、」
私から目を離さないまま、彼は横の大佐に話し掛けた。
「彼女は一体何者なのかね」
「神から遣わされた聖女であります」
一点の曇りもない真夏の空のような瞳で、大佐が答えた。
3日後には、私に軍医中尉の任官通知書が届いた。それから2週間で野戦補給厰への配属が決定し、支給されたばかりの軍服くらいしか持ち物のない私はトラックに揺られて前線に向かったのだった。
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