9:アニエス

「私も一緒に調べさせてください!」


「いや、しかしですね……」


 聖堂を出た後、ユーニは切羽つまった顔のルイスに詰め寄っていた。

 どうやらクレストの証剣を見て、居ても立ってもいられなくなったらしい。


 証剣が纏うオーラの色は持ち主の精神性を反映する。

 クレストが既に死んだと思っているルイスは、きっと父親の最期を想像してしまったのだろう。


 ユーニはいっそのこと彼女にクレストが生きていることを伝えてしまおうかとも思ったが、根本的には何も変わらないと気づいて考え直した。


「お願いします!」


 そんなユーニの心情など知らないルイスは至近距離で彼を見上げた。

 黒いドレスから見える胸の谷間は彼女の発育が順調であることを証明していて大変に喜ばしいのだが、今のユーニにはその絶景をありがたがっている余裕はない。


 もしもこれでルイスを連れていって彼女の身に何かあれば、間違いなく物理的な意味でユーニの首が飛ぶ。

 しかしルイスはルイスで中々引き下がろうとはしなかった。


 箱入りのお嬢様――、なのは間違いないのだが、その割に妙に強情なところがあるらしい。

 ある意味上級国民らしいといえばらしいのだが……。


「ですが捜査をするとなると、それなりに危険が伴います。上級国民様の、それも年頃のお嬢さんを連れていくわけには行きませんよ」


「そこをなんとか! 絶対お邪魔にはなりませんから!」


 碌に訓練も受けていない少女が邪魔にならないわけがない。

 ユーニだって治安隊に入ったばかりの頃は訓練に明け暮れたし、中年になった今だって多少は鍛えているのだ。


「お嬢様、いくらなんでもユーニ殿を困らせすぎです」


 見かねた侍女が止めに入ってくれた。

 どうやら今回はユーニの味方をしてくれるらしい。


 というか、彼女達としてもルイスを危険な目に合わせるわけにはいかないのだろう。

 利害は一致、共闘というわけだ。


 両者は視線で協力関係を確認しあった。


「でも――!」


「お忘れですか? この件は本来ならば調査すらして貰えなかったのですよ? ユーニ殿は治安隊内での立場が悪くなるのを覚悟でお引き受けくださったのです。これ以上無理を言ってはいけません」


 ユーニは侍女によって『曲がったことは許せない、正義の治安隊員』へと仕立て上げられてしまった。

  

「さあ、帰りますよ」


「むう……」


 ルイスはまだ納得していない様子だったが、侍女達に引きずられて帰っていった。

 帰り際に向けられた彼女の不満そうな視線にはユーニも苦笑いである。


「やれやれだな。どれ、俺も目をつけられない内に撤収するとするか」


 ここは上級街。

 一般国民が一人でうろついていては何があるかわからない。


 ユーニはまるで自分こそが盗賊であるかのように、コソコソと上級街を後にした。



 さて、その夜、ユーニは早速基地で情報を整理し始めた。

 普段ならば家に直帰して翌日から仕事を始めるところなのだが、クレストの証剣を見た時の興奮がその選択肢を却下した。


 あの漆黒のオーラ……。

 その持ち主がまさかこの程度で満足しているわけがない。


 クレストはきっともっと大規模な破壊活動をするに違いないと、ユーニは確信していた。


「研究所の爆破に使われた魔法爆薬パープルヘイト。国境を超えて侵入した何者か。先代勇者クレスト……。それと――」


 ユーニはクレストの机の引き出しにあった紙を取り出した。


『君の娘の命が危ない。詳しくは直接会って話したい』


 内容としては誰かがルイスの危険を知らせてきたようだが、ユーニはこれが引き出しの裏に隠されていたことが気になっていた。


(どうしてこれを隠す必要があったんだ? 接触した相手との関係を知られたくなかったなら、読んだ後で燃やしてしまえばいいはず……)


 可能性があるとすれば、紙の片隅に書かれた謎のマークだ。

 どうやら一文を書いた後にそのまま同じペンで描いたようだが、ユーニの記憶の中に類するものはない。


 これだけではまだ明らかに情報不足だった。


 ユーニは机の引き出しから藁半紙を取り出すと、これまでに得た情報を書き殴り始めた。

 それを線と矢印でつないではバツ印で潰していく。


 気分はまるでおもちゃを買って貰ったばかりの子供のように前のめりだ。

 そうしてまるでインスピレーションを得た芸術家のように一心不乱に机に向かっていると、吸い寄せられるようにレオパルドがやってきた。


「お、爆発事件の件か。その様子だと進展があったみたいだな」


 どうやら長引いていた分析の仕事が終わり、暇になったばかりの様子である。

 

「遊びじゃないぞ?」


「そう言うなって。情報の共有も大事だろう? 上司に隠れて動く時は特にな」


 これに関してはユーニも強くは言えなかった。

 爆発事件に関してこっそり捜査を続けていることをゴマオンに密告でもされたらたまらない。


 まあもっとも、この男がそんなことをするとは思えなかったが。

 というわけでユーニはレオパルドを共犯者にすることにした。


 クレストの顔写真を取り出してこれまでに得た情報を話すと、流石の彼も珍しい声を上げた。


「クレスト……。まさかこいつが犯人だっていうのか?」


 レオパルドは目を大きく見開いて戸惑っている。

 まさかここで英雄クレストの名前が出てくるとは思っていなかったのだろう。

 

 というか、そもそもクレストが生きているという時点で驚いても無理はない。

 世間ではもう五年も前に死んだことになっているのだから。


「まだ容疑者の段階だ。だが……、間違いなく噛んでいると思う」


 冷静に考えてみれば、クレストがこの件の首謀者だという客観的な証拠すらまだ手に入っていないのだ。

 しかし彼の証剣を見たユーニは既にそれを確信していた。


 いや、正確には証剣ではなく、あの漆黒のオーラを見たからか。

 そんなユーニの様子を見てレオパルドも納得したようである。


「そうか……。いや、でも確かにそれなら……」


「ん? 何かあるのか?」


「あ、いや、なんでもない。ただ何年か前から、クレストと交流があった連中が姿を消しててな。もしかすると今回の件に関係あるのかもしれん」


「クレストが帰還した頃からか? 関係ないとは思えないな」


「調べてみるか? あまり期待されても困るが」


「そうだな……」


 ユーニは財布の中身を確認した。


 実は上級街でも動き回れるように、フローラには協力者を紹介して貰うことになっている。

 だが逆に言えばその協力者が来るまでそちらの捜査はできない。


「……今度一杯おごるよ」


「よし、頼まれた」


 ……なんともわかりやすい同僚である。

 他には何かないかと二人で資料を見ていると、勇者リリアの母親の項目がユーニの目に入った。


「そういえば、確かリリアの母親も勇者パーティに参加していたんだったよな? クレストが最初に魔王封印をした時の」


「アニエスか。確か貴族との縁談が流れて、まだ一般国民のままだったはずだ」


「ってことは俺一人でも大丈夫だな。住所は……、よし、この街の一般街だ」


 ユーニは勇者リリアの実家を尋ねてみることにした。



 上級国民も出入りする共用街とは異なり、一般街には生まれる前から敗北を約束された者達の諦観が満ちていた。

 共用街から離れるほど街並みは質素になり、次第にスラムともいえる光景へと変わっていく。


 陰鬱な空気の中に建てられた粗末な家が、勇者リリアの実家だった。

 そして同時に先代勇者パーティの一人、アニエスの家ということにもなる。


「ごめんください」

 

 ユーニが入口の扉を叩いてみても、中から反応が返ってくる気配はない。

 家は平屋で、部屋の数もせいぜい一つか二つ程度の大きさしかないから、ユーニは自分の声が届かなかった可能性を速攻で排除して留守だと判断した。


 しかし誰もいないとわかると、ゆっくり観察したくなるのが治安隊の人間というものである。

 ユーニは周囲の目がないのを確認すると、リリアの家を詳しく調べ始めた。


 書類から得た情報通りなら、リリアの母親であるアニエスが一人で暮らしているはずだ。 

 だが……。


(生活感がないな……、全く)


 家がボロボロだというのはまだいい。

 それは一般街では珍しいことではない。


 しかし入口のドアや窓はかなり長い期間、人に使われた形跡がなかった。

 空き家の典型的な特徴を有していたのである。


「誰だい?」


 隣の家の老婆が顔を出したのはちょうどその時だった。


「ああ、お隣さんかい。アニエスさんを訪ねてきたんだが、この家じゃあなかったかね?」


 ユーニがそう聞くと、老婆は眉を寄せた。


「……アニエスなら何年も前に死んじまったよ」


「死んだ? どうして?」


「さあね。大事な一人娘が帰って来なくなっちまったんだ。心がポッキリ折れちまったんだろうさ。あの子にとっちゃ、唯一の生きがいだったみたいだからね」


 その言い草を聞いて、ユーニは思わずアニエスの家を見た。

 玄関の前に生えた白い菊は全て枯れて倒れている。

 

「自殺か……」


 彼女は貴族との縁談を断った後、未婚のままでリリアを生んだらしい。

 つまりシングルマザーだ。


 リリアの父親については調べてもわからなかった。

 

「アニエスさんが死ぬ前、何か気になったことはないか? 何でもいい。彼女のことを知りたいんだ」


 老婆はユーニに訝しげな視線を向けた。


「アンタ、アニエスとはどういう仲だったんだい?」


「昔、食うのに困ってた頃に世話になったのさ。定職についたんで、多少は恩を返そうと思ってね」


 ユーニは懐から治安隊の手帳を出して見せた。

 身分を隠すという選択肢もあったが、下手に隠して後でバレるよりはマシだ。


「治安隊かい。言うことなんて特にないよ」


 老婆は露骨に嫌そうな顔をした。

 一般街に住む人々からすれば、治安隊というのは上級国民の犬でしかないのだから当然だ。


 正義は卑怯者と薄情者にしか味方しない。


「まあそう言うなって。俺としちゃあ、ちょっとした凱旋気分だったんだぜ? 治安隊の平とはいえ、路上暮らしだった頃からすれば大出世だからな。ところがこうして来てみれば、恩人がもう死んじまったっていうじゃないか。話ぐらい聞かせてくれよ」


 老婆は数秒考えた後、諦めたように溜息をついた。


「何年か前にも、アニエスを訪ねてきた男がいたよ。誰かが訪ねて来ることなんて殆どなかったからね。よく覚えてる」


「おっと、そいつは聞き捨てならないな。どんな男だった? 名前は?」


「さあね。直接話したわけじゃないし、顔も隠してたから。でもまあ、少なくともアンタよりはいい男さ。アニエスが死んだと知って、墓の場所だけ聞いて行ったよ」


「そうか……。俺にも墓の場所を教えて貰っていいか?」


 アニエスの墓の場所を聞くと、ユーニは早速そこに向かうことにした。


「ああ、そういえば……」


「ん?」


 老婆は思い出したように呟いた。


「リリアが勇者になっちまった後、アニエスは頻繁にどこかへ出かけてたよ。ありゃあきっと男だね、間違いない。同じ男かどうかはわからないけどさ」


「男か……」


 アニエスが生前会いに行っていた男。

 アニエスの死後に訪ねてきた男。

 そしてリリアの父親。


 根拠はないが、ユーニの勘はそれらが同一人物であると告げていた。

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