3:パープルヘイト

 研究所の調査を追い出されてから数日後、ユーニは基地の屋上で煙草を吸っていた。

 視線が向かうのは煙が流れる風下の先、研究所がある方角だ。


 ――背後で立て付けの悪くなった扉が開く音がした。


 ユーニ以外でここに来る者はそう多くない。

 振り向かなくても、開き方だけで誰が来たかはすぐにわかった。


「今日もここにいたのか。ここ何日かはずっと吸ってるな」


 やってきたのはユーニの予想通りレオパルドだった。

 そもそもの話として普段からここに来るのは彼らぐらいしかいないのだが。


「仕事がなくてな。おかげさまで窓際族を満喫してるよ」


 どうやら王国警備隊の上の方から強い圧力があったらしく、この数日、ユーニは全ての仕事を取り上げられた上で待機を命じられていた。


「まあ、お前の性格なら他の仕事をやるふりをしながら捜査を続けるだろうからな。で、そんなお前にお客さんだ」


「客?」



 ユーニを訪ねて来たのは、若い女だった。

 

 十代には見えないが、かといって三十代というほど老けてもいない。

 おそらくは二十代の前半ぐらいが正解だろう。


 青く長い髪が特徴的で、派手ではないが高価そうな白いローブを着ている。

 しかし履いている靴は野戦を意識したようながっしりとしたもので、ロングスカートのスリットは一般的な水準よりも深めに入っていた。


 ……どうやらかなり行動的なお嬢さんであるのは間違いなさそうだ。


「王国軍第三特務室……、のフローラさんですか」


 打ち合わせ用の小さな会議室で来訪者と向かいあったユーニは、女から受け取った名刺を見た。

 ユーニの記憶が確かなら、実質的には軍の管理下ではなく国王直属として活動している部隊だったはずだ。


 少なくとも所属しているのが”上級国民”だけなのは間違いない。

 

(つまりこの子も貴族の子女か)


 ユーニは名刺の表と裏を何度も確認した。


(……名刺交換が流行ってるって本当だったんだな)


 この世界で名刺という文化は一般的ではないのだが、上級国民の間でそれが最近流行しているというのはユーニも聞いたことがある。

 しかし流行っているのは特に若い女性の間だという話だったので、どうせ自分には関係ないと思って完全にスルーしていた。


 当然、ユーニは自分の名刺など持っていない。


「それで、その”軍”の方が私などにどのような御用件で?」


 ユーニの脳裏には候補として先日の爆破事件がすぐ思い浮かんだ。

 もしもその件で目をつけられてしまったのだとすれば、とんだ貧乏くじである

 

「その前にこれを見て貰えるかしら?」 


 フローラはそう言うと、鞄から書類の入った封筒を取り出した。

 怪訝な顔をしながらそれを受け取ったユーニだったが、中に入っていた写真を見るとすぐに表情を変えた。


「……他殺体?」


 そこには身元の判別も困難なほどに焦げた遺体が写っていた。

 しかし脇腹にある大きな刺し傷を見逃すようなユーニではない。


「良かった。それがすぐにわかるってことは、どうやら腕は確かなようね」


「この写真は?」


「数日前にあった研究所の爆発事件。それはそこで見つかった遺体よ。……あなた達が追い出されたあの現場でね」


「――! ……ほう?」


 ユーニは平静を装って他の写真も確認した。


(リアンが『事故じゃないかも』と言ってたのはこのことか?)

 

 最初の一枚だけでは確信が持てなかったが、これは明らかに素人の手口ではない。

 間違いなく殺しの、それも暗殺の訓練を受けている者の犯行だ。


 ユーニの頭の中には既に、研究所の職員達が何者かによって殺害され、証拠隠滅のために爆破されたというストーリーが浮かび上がっていた。

 だがまだそれを口に出す段階ではない。


 少なくとも目の前にいる、このフローラと名乗った女の狙いがわかるまでは。


「つまりあれは事故じゃなく事件だと……、そういうことですか?」


「そう、間違いなくね」


「しかしそれを私に教えてどうしようって言うんです? この件は一群が担当するということだったと思いますが。……行くならそっちでは?」


「上級国民の敵は同じ上級国民ってことよ」


 その言葉を聞いて、ユーニはもう一度名刺を見た。


(第三特務室。確か諜報もやってるって噂の部門だったはずだ。まさか……、一群の中に犯人がいるのか?)


 その時、庶務の女の子がお茶を持ってきた。

 相手が軍のエリートということもあって、来客用のすごくいいカップと紅茶だ。


 おまけになんと、お茶菓子までついているではないか。


「頂くわ。……ねえ、他人行儀なのは止めにしない? 本当は苦手なのよ、そういうの。礼儀正しくするのは貴族を相手にする時だけで十分だと思わない?」


「はぁ……。ですがこちらとしても上級国民の方に無礼を働くわけには……」


「私がそれでいいって言ってるのよ。じゃあ命令。普段通りに話すこと。……わかった?」


 ユーニは諦めたように溜息を吐いた。


「……後で打首とかにしないでくれよ?」


「しないわよ、失礼ね。発言の責任はちゃんととるわ」


 それを聞いたユーニはお茶菓子に手を伸ばした。

 バターがしっかりと効いたクッキーである。


「まさかウチにもこんな上等な菓子があったとは思わなかった」


「あら、普段は違うの?」


「そりゃもう。上級国民様から見たら土を食うのと変わらないだろうな」


「そう言われると逆に興味が湧いてくるわね」


 しばらくはそんな中身のない会話が続いた。

 そしてユーニが安心し始めた頃になって、フローラはおもむろに小さなガラス瓶を取り出した。


 ……中には紫色の粉末が入っている。


「これは?」


「なんだと思う?」


 なんとなくフローラは楽しそうだ。


「麻薬……、じゃなさそうだな」


「残念。魔法火薬よ」


 魔力を込めることで威力を高めたタイプの火薬だ。

 火ではなく魔力を流すことで着火するため、普通の火薬よりも扱いが難しいとされている。


 歴史的な経緯から火薬という名称になってこそいるが、爆薬と呼ぶべきだという意見も根強い。


「ねぇ、この世で一番高性能な魔法火薬が何か知ってる?」


「そりゃあ、やっぱりアーシアンじゃないか?」


「ハズレ。正解はパープルヘイトよ。それがこの粉の正体」


「パープルヘイト……。これがか? 初めて見た」


 ユーニもその名前ぐらいは知っている。

 そしてそれが殆ど使用されない理由も。


「研究所の爆発跡からこれが見つかったの」


「燃え残りか。魔法火薬は魔力が流れないと誘爆しないからな」


「アーシアンであの規模の爆発を起こすには馬車を何台も使って運ぶぐらいの量が必要だけど、それらしい目撃情報が全然なかったのよ。それでおかしいと思ってよくよく調べたらこれが見つかったってわけ。パープルヘイトなら鞄で持ち運べる量で同じ規模の爆発を起こせるわ」


「なるほどな」


 ユーニは爆発が起こった時のことを思い出していた。

 

 あの時、爆発の光は紫色だった。

 それはパープルヘイトの特徴とも一致する。


「だがアーシアンより少なくて済むとはいえ、結構な量が必要だろう? そもそもパープルヘイトは――」


「そう、”境界線のこちら側”では入手できないわ。原料の魔力草は”境界線の向こう側”、つまり魔族の支配エリアでしか栽培できないから」


 それこそがパープルヘイトという魔法火薬が使用されない最大の理由だった。

 つまり人間にとっては入手があまりにも困難過ぎるのだ。


 ”境界線”を超えた者達の生還率の低さを踏まえれば、ほぼ不可能に近いと言ってもいい。


 公には、それこそ過去の魔王討伐参加者が持ち帰った分ぐらいしかお目にかかれない代物だ。

 そしてそれらは間違いなく研究所か博物館か、そうでなければ金持ちのコレクションになっていた。


 フローラが取り出したこれだって、売ればいったいいくらになることか。


「鞄一杯のパープルヘイトなんて、それこそ境界線の向こうに大規模な出兵でもしない限りは手に入らないはずだ。だがそうでないとなると……」


 ユーニはクッキーを口に放り込みながら少し考えた。


「……裏取引か。研究所を襲った連中は魔族と取引をしてパープルヘイトを手に入れた」


「正解よ。……おそらくね」


 魔族と手を組んで大量のパープルヘイトを手に入れた連中が爆破テロを行った。

 そしておそらく相手はまだ全てのパープルヘイトを使い切ってはいない、と考えるのが妥当だ。


 あるいは魔族から更なるパープルヘイトの供給があるか。


 ……少なくともユーニにはそう思えた。


「わからないな。そこまでわかっているなら、どうして公表して部隊を出さない? あの研究所をまるごと爆破するような連中がこれで終わるわけがない。場合によってはすぐにでも次の――」


「そう、それが一番の問題なのよ」


 そう言ってフローラは新たな封筒を取り出した。

 中に入っていたのは一人の男の顔写真だ。


「私達は以前からあるグループをマークしていたの。魔族と手を組もうとしている――、いえ、既に組んでいる一団よ。軍の人間が中心みたいだけど、治安隊の中にも隠れシンパがいるわ」


「……そいつらが研究所を襲ったってわけか?」


 自分が所属する治安隊の中にも敵がいる、と言われてユーニの心中は穏やかではなかった。

 たとえフローラに疑われているのが二群ではなく一群の方だったとしてもだ。


「そうよ。文官の影響力が増していく中で、自分達の権限が徐々に縮小されていくことに武官達は強い危機感を持っていた。そして状況を打開するために、魔族を利用した芝居をすることにしたのよ。五年前の魔王討伐。それに対する報復として、魔族が爆破テロを仕掛けてきたのを辛うじて阻止した。……それが彼らが当初描いていたシナリオってわけ」


「おいおい、それは無理があるだろう。魔族が”境界線”を超えてこちらに入って来れないのは常識だ」


「入って来れるのよ、それが。……魔族と人間のハーフならね」


「ハーフ……」


 それは予想外の回答だった。

 魔族が”境界線”を超えられないのは一般常識ではあるが、ハーフの存在については全くと言っていいほど知られていない。

 

 もちろんユーニ自身も初耳だ。


「彼らの目論見は成功したわ。ただひとつ、実行役によって本当に爆破が行われたことを除いてね」


「……仲間割れか?」


「どうかしら。まだわからないわ。でも、あなたの言う通り、これで終わらせる気がないのは確かよ。……その男、誰だと思う?」


 写真の男はどこか諦観のような感情を秘めた瞳でユーニを見ている。


「クレスト=モース。……この件の第一容疑者よ」


「……英雄クレスト? こいつがか?」


 その名を聞いた瞬間、ユーニの背中に震えが走った。

 クレストといえば、二十年ほど前に僅か五名のパーティで魔王の封印に成功した男である。


 ”境界線”の向こう側を支配する魔族達の頂点に君臨する魔王。

 稀に降り注ぐ神託で選ばれた”勇者”率いるパーティがそれを倒しにいくというのは、一種の国民的イベントだった。


 例えるなら、クレストは闘技場のチャンピオンとでもいったところか。

 

「生きていたのか……」


 五年前、クレストは彼の次の代の勇者であるリリアのパーティの一員として再び”境界線”を超え、そこで彼の――、いや、彼らの消息は途絶えていた。

 まさか生きていると思わなかった、という感想は決してユーニだけのものではないだろう。


 ”境界線”を越えた者達の生還率は絶望的に低く、当人達にとっては死地への追放に等しい。


 勇者リリアのパーティは全滅。

 それが世間一般の共通認識だ。


「先代とはいえ”勇者”が魔族と手を組んだ……。なるほど、表沙汰にできないわけだ」


 ユーニは改めてクレストの顔を見た。


 この世界の写真は撮影も現像もかなりの高額なので、顔写真が出回ることは多くない。

 ユーニも”先代勇者クレスト”の名前はよく知っていたが、顔を見たのはこれが初めてだった。


「そう。国王はもちろん、事態を知った上層部は大慌てよ。神託で選ばれた人間が魔族側についた。それってつまり神は魔族を正義、人族を悪と判断したってことだもの」


「王権神授が否定されれば体制の崩壊は必至か。冗談抜きに戦乱の時代に突入するな」


「だから上はこの件を早急に潰したがってるわ。本来は管轄外である共用街に第一群の人員を投入してまでね」


「なるほど。それで俺達が追い出されたわけだな。納得がいったよ」


 ユーニは吐き捨てた。


「でもそんな簡単に終わるわけがないわ。もしもクレストが協力の条件に”タワー”の破壊を約束していたとしたら……。魔族だって全力で支援するはずよ」


 魔族が人間を攻められないのは、彼らの生命力を消滅させる領域が人間の住む地域に展開されているからだ。


 故に”境界線”を超えて人間の国に侵攻することができない。

 もしもその領域の発生源である”タワー”を壊すチャンスがあると知れば、喜んで行動を起こすだろう。


「知ってる? 平和主義者が敵味方双方の負傷兵を無差別に治療する時の口実。『戦争は一部の人達の喧嘩』なんですって」


「浅慮だな」


「ええ。戦争に無関係な者なんてどこにもいないわ。今回だってそう。確かにタワーがある限り、人族と魔族の全面戦争は起こらない。でもその安全装置がなくなればどうなるかなんて、結果は見えてるわ。……協力、して貰えるかしら?」


 どう返答したものか。

 慌てた様子のレオパルドン――、もといレオパルドが慌てた様子で部屋に入ってきたのは、ユーニが真剣な顔でそれを考え始めたのとほぼ同時だった。


「やばいぞユーニ! 戦争だ!」


 勢いよく飛び込んできた彼に視線を向けた後、ユーニとフローラは無言のまま互いの顔を見た。


 正義と平和が求めるのは戦争だ。


 早すぎる危機の到来。

 それはまだ雪の降らない冬入りの季節だった。

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