1:復讐の狼煙

 赤、青、緑。 

 様々な色の魔法式ランプが明滅する夜の街を、ユーニという男は歩いていた。


 通り過ぎていく人々は予定があるのか急ぎ足が多いが、対照的に彼の歩みは遅い。


 別にどうということはない。

 独り身の中年らしく、仕事終わりに一杯ひっかけて帰ろうというだけだ。


 王国治安隊の人間であることを示す制服。

 それを着ておけば、変な連中に絡まれる心配もない。


 なんならこれも治安維持のパトロールだと言ってしまってもいいくらいだ。

 実際に行きつけの店には感謝されているし、それで少しサービスまでして貰えるのだから、ウィンウィンの関係というものだろう。


 いつも通りの道を進んでいくと、彼はホームレスらしき老人から声を掛けられた。


「兄ちゃん、ちょっと助けてくれんかのう?」


「……見慣れない顔だな?」


 ホームレス達は犯罪の加害者にも被害者にもなりやすい。

 必然的に、治安隊員であるユーニは彼らの顔をよく知っていた。


 だから”新顔”はすぐにわかるのである。


「別の街から来たんじゃ。死ぬ前に”タワー”を見てみたいと思ってのう」


 老人が指差した先には純白の塔が立っていた。


 通称”タワー”。

 現代の技術で可能な水準の三倍以上の高さを誇る建築物である。


 失われた古代技術で建てられたと言われるその頂点には、魔族が入り込めない領域を生成する虹色の宝玉が設置されている。

 これがあることによって、魔族は”境界線”を超えて人間の住む土地に近づくことができないのだ。


 故にそれは平和の象徴であり、人間が神に選ばれた存在であるという根拠でもあった。


「なんだ、観光か。だがタワーの近くは”上級国民”しか行けないぞ?」


 塔があるのは街の中心。

 そこは身分の高い者達しか入ることを許されないエリアとなっていて、平民が無断で立ち入れば即刻死刑だ。


 しかし老人はそのことを知らなかったらしく、目を丸くしていた。

 一般常識レベルの知識ではあるのだが、全体的に教育レベルの低いホームレス、それも他の街から来たとなれば知らないこともあるだろう。


「なんじゃ、そうなのか?」


「ああ。代わりに俺がタワーのよく見える場所を教えてやる。そこで我慢しな」


「おお! そうかそうか、そいつはありがたい」


 ユーニは老人を近くにある公園まで連れて行った。

 ここは彼が定期的に訪れている場所でもある。


 ここならばタワーとの間に視界を遮る障害物はないし、屋根代わりになるオブジェが大量に配置されているので、ホームレス同士の縄張りを知らない新参でも寝床を確保することができる。


 それに……。


「おお! ここはいい! ここで”最後の光景”を見物するしようかの」


 ユーニはその言葉にあえて反応しなかった。

 普段から出入りしているこの公園ならば、孤独死した老人の遺体を見つけるのも容易い。


「そうじゃ。お前さんにはこれをやろう。……礼じゃ!」


 老人は公園から見える景色に満足したようで、背負った大きな荷物袋に差してあった鞘を取り出した。

 どうやら剣の鞘のようだが、完全に錆付いている。


「なんだこれは?」


「聞いて驚け! これこそは伝説の剣フェノーメノの鞘じゃ!」


「伝説の剣の……、鞘?」


 ユーニは胡散臭いものを見る目で鞘と老人を見比べた。

 伝説の剣というならまだしも、差し出されたのは鞘だけである。


 剣を抜き身で持っているのかと思えば、老人の荷物には他にそんな長物は見当たらなかった。 

 つまり本当に鞘だけということだ。


「そう! 真の魔王だけが握ることのできる剣フェノーメノ。その力を封じる鞘じゃ!」


 伝説の剣フェノーメノ。

 ユーニも割とそういうのは好きな方だが、そんな名前はもちろん聞いたこともない。


「ちなみに剣の方はあるのか?」


「ない!」


 老人は大笑いした。


「じゃあどうやって本物か確認するんだよ……」


 ユーニは大きな溜息をついた。

 こうしてガセネタが出回るのは別に珍しい話ではない。


 これで金を取ろうとしていたら、さっそく治安隊の詰め所に連行するところなのだが、どうやら老人にその気はないらしい。


「まあ……、ありがたく貰っておくよ」


 結局、ユーニは眉唾度合い最高水準の鞘を受け取ることにした。

 最近は肩こりが酷いから、ちょうど肩叩き棒が欲しいと思っていたところだ。

 

 ユーニは老人と別れると、貰った鞘で早速肩をトントンと叩きながら再び帰路についた。

 いつもとは違う出来事が再び起きたのは、彼が飲み屋が並んでいるエリアに入り、改めてどこかで一杯飲んでから帰ろうかと考えた矢先である。


(……ん?)


、彼の背後で鳥達の群れが一斉に飛び立った。


 釣られるように立ち止まったユーニ。

 肩を叩く鞘の動きも一緒に止まった。


 集団で行動している鳥達が一斉に飛び立つのは別に不思議なことではない。

 しかし、彼が足の位置をそのままにして上体だけ振り返った先にいた鳥の数は尋常ではなかった。


 何かの引き金があったことを推測させるのには十分な数だ。


(酔っ払いが派手にグラスを落としたか? いや……)


 それらしい音は何も聞こえなかったから、誰かが人の耳には聞こえない周波数の音爆弾でも使ったのかもしれない。


 鳥達の動きを観察して見ると、ちょうど近くにある魔法研究所から逃げるようにして飛んでいくように見える。

 あそこは発掘された古代のマジックアイテムを保管している他に、新しい魔法技術の開発もやっているはずだから、そういう類のマジックアイテムがあっても不思議はない。


 ……が、しかし、だからどうだということもない。

 というわけで、ユーニは再び飲み屋に向かって歩き始めた。


 ――本当の異常事態はそこで起こった。


 一歩、二歩、そして三歩目。

 それと同時に、ユーニの目は強力な紫の光を捉えた。


「――?!」


 光源は間違いなく背後。

 彼は思わず全身で振り返り、そして見た。


 赤と青、そしてそれらの入り混じった紫の光が、魔法研究所を中心に円環となって広がったのを。

 次の瞬間、轟音と共に紫の光が柱となって立ち上がった。


 目を閉じても突き抜けてくるほどの圧倒的な光量が周囲を、そしてユーニを包み込む。


「なんだ?!」


 ユーニはそれが恐らくは魔法によって発生した光であろうと直感した。

 だとすれば発光現象だけで終わるとは思えない。


 十秒か、あるいは二十秒か。

 実際にはもっと短かったのかもしれないが、彼の体感ではそれぐらいだった。


 そして光が収まってユーニが再び目を開いた時、視界の先にあった建物は既に瓦礫と化していた。

 どうやら研究所の近くにいた人々は爆風の直撃で一人残らず薙ぎ倒されたらしく、街の喧騒が数瞬の静寂を挟んで悲鳴と叫び声へと変わった。


「爆発事故か?」


 疑問に答える者はいない。

 代わりに火災の赤い光が空を照らし始めた。


 続いて黒煙が次々と立ち上がった。




 後世の歴史書において、それはこう綴られている。


 『世界の傲慢な正義に対する、反逆の狼煙だった』

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