歴代で一番有能だったのに捨て石にされた戦士、魔王になって逆侵攻し勇者を裁く ~そして勇者パーティは全滅した~

刺菜化人/いらないひと

プロローグ:五年前の犠牲

――状況は既に敗走一色だった。


 燃え終わったような灰色の空の下、陰気な森の中を走る二人の男女がいた。


 男は青年というよりはもう中年に近いが、女の方はそれよりもずっと若く、まだ少女と呼べるぐらいの年齢だ。


 どちらも十分すぎるほど息が上がっているというのに、休憩を試みる気配はない。


 年の差を超えた恋の逃避行。

 もしもこれがそうであったならば、どれほど微笑ましかったことか。


「いたぞ! こっちだ!」


「撃て撃て!」


 二人の背後で男達の叫び声が上がった。

 その数は十や二十どころではない。


「こっちだ!」


 男は少女の手を引くと、近くにあった小さい洞窟へと走り込んだ。

 その入口は彼らの腰よりも低く、奥は数人が入れる程度の広さしかなかったが、隠れるにはむしろ好都合だ。


 物音を立てないように荒れた呼吸を慎重に落ち着けていくと、洞窟の外から追手の声が聞こえた。


「クレストさん……。わ、私が囮になります……」


「……静かにするんだ」


 クレストと呼ばれた男の視線は洞窟の外を向いていたが、彼はまだ握ったままになっていた手から少女の震えが伝わってくるのを感じとっていた。


「足を引っ張っているのは私です。私と離れれば、クレストさんだけは助かるかも……」


 少女は自分の手首に巻かれた藍色のリボンをぎゅっと握った。


「馬鹿を言うな。奴らの狙いはあくまでも姿を確認できた全員だ。その中には当然俺も入っている」


 そう答えた直後、クレストは自分自身の手も震えていることに気が付くと、慌てて腰の剣を握り、敵に備える振りをして誤魔化した。


「でも! このままじゃ私達二人とも!」


「大きな声を出すな。……敵に見つかる」


 クレストはそう言いながら、腰の水筒を少女に押し付けた。


「音が聞こえなくなったらすぐに出発するぞ。飲めるうちに飲んでおけ」


「でもこれ、クレストさんの分じゃ……」


「自分の分はもうないんだろう? ……心配するな。ここを切り抜けたら水代もきっちり上乗せして請求させてもらうさ」


 クレストはそこで発言を終えようとして、止めた。


「……そうだ、そのためには何が何でもお前に生き残ってもらう必要がある。俺は信用がないからな。報酬を貰うためにはお前の証言が必要だ。いいか、本当に俺のことを考えてくれているなら、何としてでも生き残ってくれ。ここまで命をかけたんだ、なんとしてでも報酬は貰う。絶対に忘れるんじゃないぞ? お前の命には俺の老後の生活も乗っかってるんだ」


 この男にしては珍しく饒舌で長い言葉。

 少女を見るクレストの目はまるでプロポーズのように熱を帯びていた。


「ふふっ。そうですね」


 リリアは小さく笑顔を作ったが、その目は全く笑っていない。

 クレストの言葉が額面通りでないことをしっかり理解しているのは明らかだったが、しかしそれをわざわざ口にするのは野暮というものだ。


「私にもお父さんがいたら……」


「ん?」


 その呟きは小さく、再び洞窟の外に意識を向けていたクレストまで届かなかった。


「いえ、クレストさんの老後のためにも私、頑張らないと」


「そういうことだ。帰ったら俺がしっかり仕事をしたと証言してくれ。それで国王相手に報奨金上乗せの交渉といこう」


 気休めに過ぎない約束をしてから、クレストはようやく沈黙した。

 その焦点は視界ではなく思考に合わさっている。


「……? クレストさん?」


「いや、なんでもない。ただ二手に分かれるのは悪い案じゃないと思っただけだ。……俺が囮になるならな」


 クレストは思わず大きな声を上げようとしたリリアの口を塞いだ。


 一旦はやり過ごすことに成功したとはいえ、まだ敵は近くにいる。

 少女の高い声はすぐに気が付かれてしまうだろう。


「ここに来るまででわかっただろう? 俺の方が適任だ。お前と違って、敵を撒くのは慣れてる」


 クレストはリリアの耳元で囁いた。


 彼らのパーティは当初六人いた。

 しかし他のメンバーは既に全員死亡している。


 異論を挟もうとするリリアに対し、クレストは「相手も手練だ。わざとらしい陽動はすぐに見抜かれる」と付け加えた。


 実際、ここまで逃げて来られたのは彼の経験によるところが大きいのは事実だ。 


「いいか、少し離れてから動きを起こす。騒がしくなったら”境界線”に向かって全力で走れ」


「また後で会おう」と一方的に言い残して、クレストは崖の隙間から外に出た。


 リリアがいる背後は振り向かない。

 腰にぶら下げた剣が音を立てないように片手で抑えながら、息と足音を殺して木々の隙間を縫うように移動していく。


 視線をバラ撒いてみても敵の姿は見当たらないが、しかし相手はこの辺りでクレスト達を見失ったはずだから、改めて周辺を探し始めるのも時間の問題だろう。


 そう考えたクレストはあるところで足を止めると、近くの木に張り付いた。


(いる……)


 耳を澄ませてみると、カチャカチャと金属のぶつかる音が聞こえてきた。


 ……間違いない、敵だ。


(二、三……、四人か?)


 どうやら敵は部隊を細かく分けてクレスト達を探しているようだ。

 騒ぎを起こしてリリアが逃げる時間を稼ぐには好都合である。


 もしも相手が大軍で動いていたとしたら、きっと見つかった直後に集中砲火を浴びて終わりだ。

 それでは囮の役目を果たせない。


 クレストは腰の袋に手を伸ばすと、煙幕玉の数を確認した。

 飴玉ぐらいの大きさのそれは、短時間ながら直径十メイルほどの範囲を白い煙で覆うことができるマジックアイテムだ。


 殺傷能力がないので若い冒険者達には不評だが、携行性に優れるため、トリッキーな戦いを好むクレストは必ずといっていいほど持ち歩いていた。


 ……残りは二個。


 クレストはその内の一つを取り出すと、静かに敵の背後に近づいた。

 煙幕玉の紐を引き抜いて集団の中央付近を狙って投げ、同時に走り出す。


 今までに何度も繰り返してきた奇襲のやり方だ。


 爆発は数秒後。

 そのタイミングは体が覚えている。


 あとは煙が晴れる前に仕留めるだけだ。


 ――その時、不自然な風が耳を掠めた。


 直後、クレストは近くに何かが落ちたのに気がついた。 


 大きさは人の頭部ほど。

 それがマジックボムだと理解した瞬間、彼の瞳孔は既に大きく開いていた。


(しまっ――!)


 ――爆音、そして爆風と衝撃。


 それらがクレストの全身を同時に叩き、彼の意識を即座に奪い去った。



 クレストは左腕の痛みと共に意識を取り戻した。

 周囲の空気は既に煙も立たないほど冷え切っている。


 意識を失ってから、いったいどれだけの時間が経ったのか。

 いや、そもそも自分の身に何が起こったのか。


 地面に倒れていた彼はゆっくりと体を起こしながら、意識を失う前の出来事を反芻した。


 マジックボムを受けた自分はどうしてまだ生きているのか。

 普通ならまず助からない距離だったはずだ。 


 それに意識を失っている間に攻撃された様子もない。

 端的に言って、クレストは混乱していた。


 それは肉体的ダメージの大きさのせいでもあるし、長く戦場に身を置いた者にとっては理解し難い状況のせいでもあった。


 この世界には死者蘇生はもちろん治癒魔法の類すら存在しないから、早めに手傷を負わせ、殺せる時に殺すのが常識である。


 ……周辺に人影はない。


 耳をすませてみても、自分以外に誰かがいそうな物音は聞こえなかった。

 いったい何が起こったのかをおぼろげながら理解できたのは、”境界線”に向けて移動を始めてからしばらくしてのことだ。


 森の中を抜け、クレストは戦闘があったばかりと思われる場所に出た。


 片側には崖が高い壁のように続いているが、それ以外に視界を遮る障害物はない。

 大地に残った生々しい傷跡から判断するに、戦いは終わった直後なのだろう。


 魔法が着弾した跡の中に、投げ槍を突き立てられた”何か”が転がっていた。


(これは……?)


 黒焦げの何か。

 クレストはそれが妙に気になった。


 近づいて確認してみると、それが全身を焼かれた人間の死体だと判別するのは簡単だった。

 正直言って、そういうのは見慣れている。


 体の大半は炭と化しているが、直撃を免れたその手首には半分焦げた藍色のリボンが巻き付いていた。


 ……そう、藍色のリボンだ。


 それが何かを理解したクレストの目が、本人の意思に反して大きく開いた。 

 旅立つときに無事を願う母親に貰ったと言っていたのは、他でもないリリアだった。


 ということはつまり、それを身に着けているこの死体は……。


「……」


 クレストが掴むと、燃えて結び目を半分ほど失っていたリボンはスルリとほどけた。


 ――心臓の鼓動が高鳴って収まらない。


 彼は無言のまま立ち尽くした。

 茫然自失、何をしていいか浮かんでこない。


 目を大きく見開き、呼吸を荒げ、混乱して視線を周囲に彷徨わせた彼は、悪寒を感じて動きを止めた。


 ――何者かに見られている。


 クレストは本能的にそう直感し、そして気がついた。


 流れ弾によって崩れた崖の肌。


 姿を表した抜身の剣が、そこから自分を見下ろしているのを。

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