昭が学校に拘る理由

「アラハバ? いいえ。覚えはないわね」


 目を細めながら南は答える。昭は念のため「亞羅刃罵」の字面を伝えてみることにした。読み方はわからなくてもスプレーでの落書きを見たことがあるかもしれないからだ。


 何しろ南の本業を考えれば、この頼み事の方がよほど望みはあると昭が考えても無理はない。

 しかし南は本当に知らなかった。


 何と言っても若頭代行である。それだけの地位にあるのに、いちいちヤンキーチームに興味を覚えてはいられないだろう。ましてや「亞羅刃罵」が木っ端チームだとすればなおさらだ。


 その辺りの事情に思い至った昭が、口元を押さえながら、


「……そうか。じゃあ仕方ないな」


 と、呟く。

 そんな昭の様子に南は危機感を覚えた。


「あ、あのね? 昭君が今更、そんなチームに喧嘩を売るなんてことは――」

「わあってるよ。俺からは仕掛けねぇ。ただそこにいる……ええと、何だったかな。とにかく新入りが俺を狙ってるんだと」

「はぁ!?」


 思わず南が大声を上げた。

 昭は改造されているのに、そんな無謀な! ――という驚きはすぐに筋違いであることに南は気付く。


 次いで昭が現在、地球を守る唯一の存在である、という状況に思い至った。

 どう考えても喧嘩に巻き込んで良い相手では無い。


 しかし、これもにもまた「跳ね返りのヤンキーどもがそんな事情を考えるはずはない」という真実にも思い至る。

 結果、確かにその可能性はあるかも、と納得しかかったが、問題はそこから先だ。


「……で、私はどうすればいいの? あ、待って。もしかしてアメリカあたりがちょっかい出してきてる可能性もあるのか」


 言いながら、南はその可能性に気付く。しかしそれは昭が通り過ぎた推測だった。そういう背景があるのなら「亞羅刃罵」というチームが巻き込まれる理由が思いつかない。


「でも、それで昭君がわざわざ……」

「だからそれは違うんだよ。ろくの、じゃあわかねぇか。六十苅むそがりが言うには文化祭に殴りこんでくるかもしれねぇって話でな。そうなるとその新顔だけ何とかすれば良いって話にもならねぇし」


 「亞羅刃罵」が集団で文化祭に乗り込んで来るなら、いかにも対処が難しい。

 迎撃するのは容易だが、そういったトラブルが起きた段階で文化祭の記憶に影を差すという考え方もあるからだ。


 昭が憂慮しているのは、そこだった。

 それは理解できた南だったが、そうなるとかねてからの疑問が頭をもたげてくる。


「ねぇ。昭君、そんなに学校に拘らなくても良いんじゃない? 演習場に居てくれた方が助かる、っていう私たちの都合でものを言っているのはわかってるんだけど」


 南はこの機会に思い切って尋ねてみよう、と決断した。今までも南は、昭には学校をやめて欲しいと思ったことが幾たびもあったのである。

 ただ昭の学校への拘りは伝わってくるので、それを言い出しづらかったのだ。


 何しろ直情型の昭だ。それでへそを曲げられては実に厄介な未来が想像できる。ただ今回は昭が南に貸しを作ることを「よし」としている状況であるので、そこまで酷くはならない、と判断したのだろう。


 そして南の判断は的を射ていた。昭は凶相を歪めながらポツリと呟く。


「……実は、昌子おばさんにずっと言われててな。『高校ぐらいは卒業しておきなさい』って」


 昌子とは、篁の母親である椋尾昌子のことだ。七津角親子がこれ以上ないほどお世話になっている人物である。実質的にあの「路傍文化アパート」の世話役と言っても過言ではないだろう。


 今はサヒフォンまでも、自然と敬意を払うような存在になっていた。


 その昌子についても矢立組はきちんと調べている。それによると昌子は中卒であった。まだ子供と言っても良い年齢の時に、質の悪い男に引っかかってしまい、そこから苦労を重ねている。


 そういう昌子が「高校ぐらいは卒業しなさい」と子供たちに伝えているとなると、理屈抜きで説得力が違う。


「でさ、『WORST』って漫画あるだろ?」


 いきなり昭の話が飛んだ。しかし「WORST」は南も知っているし全巻読破しているので、戸惑いながらもしっかりと頷くことが出来た。


「え、ええ……それが?」

「あれでさぁ、ほとんど終わりの方だけど『バカを売り物にするのは格好悪い』っていう台詞があっただろ?」


 その台詞は南も印象に残っていた。言った本人が「九九も怪しい」という状態なのであるが、本人はしっかりとそれに危機感を感じているところが何とも格好良いのである。


 南の知る限り、昭の学力はそこまで酷くはない。良い、とも言えないが成績のせいで留年という事にはならないだろう。


「俺、あれは正しいと思うんだよな。で、昌子おばさんからずっと言われていたこともあってさ。別々の場所から同じ事言われてるって事は、それは正しいんじゃないかって思ってさ」


 続けられた昭の説明は、どこか理屈が通っていない。通ってはいないがしかし、不思議な説得力があったことは確かだ。

 そう納得してしまった南は、それ以上昭を説得しようとは思えなくなっていた。


 ――今も何とかなっているのだし、これぐらいの昭の要望は叶えるべきなのだろう、と。

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