愛。もしくは思い出

 僕にとっては取るに足らない今日という日も、べつのだれかにとってはかけがえのない一日なのかもしれない。



 店先で古ぼけたランプがくるくる回転している喫茶店とレンタルビデオショップが両側にある国道の左側の歩道を歩いていた。ムシっとする水田のにおいがしていた。梅雨だ。道路の真ん中に転がった空き缶がトラックのタイヤにき潰されてペラペラになった。僕のフランス語もペラペラになった。


 僕は大学でフランス語を学んでいた。大学に入って最初の年、フランス語の授業で初めて出会ったその友人は23歳で、フリーターをやめて大学に入ったと言っていた。

 梅雨の時期のある木曜日、最後の講義が終わった後、それは倫理学の講義だったのだけれど(そして教授は「これはあくまで哲学の講義だ」と自称していた)、僕と23歳の友人はその日の講義のテーマを引きずって議論を続けていた。「僕がここにいれば酸素が減ってゆく。ろうそくをともしても酸素は減ってゆく。ある“なにか”は別の“なにか”と引き換えに存在している。僕も君も、あるいは若さも」「そうでないものもある」「たとえば?」「愛。もしくは思い出」


 本当にその通りだった。彼の言ったことは正しかった。僕は高校生の頃のことを考える。

 今日のように蒸し暑い日の夕方、剣道の防具を友達の自転車のカゴに乗せ、自転車を押す友達と2人並んで高校から駅までの道を歩いた。中途半端な田舎の町のメインストリートは水田のにおいがした。とりとめのない無駄な話は終わりなく続き、ありあまる若さを無駄なくらいにあふれさせながら、17歳のかけがえのない毎日は過ぎていった。


 山の稜線に隠れてゆく夕日を見て、何年も前の夕方の、そんな昔話を思い出したけれど、あの日の思い出はその年のその日のその時点に未来永劫えいごうとどまり続け、金輪際こんりんざい動くことはない。何を引き換えにしても、あの日の思い出はもう戻ってきてはくれない。

 たんぼの水面に映る夕焼けを眺めながら思う。



 僕にとっては取るに足らなかった今日という日も、べつのだれかにとってはかけがえのない一日だったかもしれない。

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短編集 森之熊惨 @sen1you3fu3

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