第112話 季節のお料理
春もそろそろ終わりの季節。
黒ポメラニアンことアイリは、カムロドゥヌムの町で楽しく暮らしていた。
最初はシロと同じように犬の姿で歩き回っていたのだが、すぐに飽きてしまったらしい。
いつの間にか幼い少女の姿になって、シロとユーリの後をついていった。
「あら? ユーリ、その子は誰?」
冒険者ギルドでティララに聞かれた。
ユーリは前もって用意していた言い訳を言う。
「アウレリウス様の遠縁の親戚の子で、しばらく預かることになったの」
アウレリウスの遠縁。何百年も前の先祖だから、嘘は言っていない。
「そうだったんですか」
と、ナナ。
「新婚さんなのに、小さい子を預かるなんて。大変ですね」
「たいへんじゃないもん!」
不満の声を上げたのはアイリだ。
「アイリはすっごく強いから、シロといっしょにパトロールをして、魔物をやっつけてるんだから! やくにたってるよ!」
その場にいる人間の頭の上に「?」が出る。
シロの正体が白竜であるのは、町の人であれば知っている。神々しく気高い獣であると。
そんなシロをペットのように言うのは、どういう了見か。
「あー、えっと、シロはアイリに懐いてるの。シロは優しい子だから、小さい子の相手もちゃんとしてくれるのよ」
少し苦しい言い訳を言いながら、ユーリはシロとアイリを連れて冒険者ギルドを出た。
「ねえ、アイリ。アイリがとっても強いのは、グラシアス家の人だけの秘密にしておかないとね」
ユーリが言うと、アイリは不満そうにほおをふくらませて「なんで?」と言った。
ぷくぷくのほっぺになったアイリを、シロは面白そうに見上げている。
ユーリは優しい口調で言い聞かせた。
「アイリは長い間、魔王竜の中にいたのよね。そしてこの町の人は、魔王竜をすごく怖がっている。もしもアイリと魔王竜の関係が表に出たら、恐怖のあまり嫌ってしまう人も出てくるかもしれない。せっかく仲良くなれても、怖がられては嫌でしょう?」
「……うん」
素直にうなずく幼子の髪をなでて、ユーリは続ける。
「騙すのはよくないことだけど、怖がらせてしまうくらいなら、秘密にしておいていいと思うの。今のアイリは、誰のことも傷つけたりしない。だからただのかわいいアイリとして、カムロドゥヌムの町で暮らしていけたらいいなと、私は考えてるわ」
「うん……分かった。魔王竜のことは言わない。わたしが大魔道なのも言わない。そしたら、みんなとなかよくなれる?」
「ええ、きっと」
実のところユーリとしては、この小さな魔物が今後どんな成長を遂げるか全く予想ができない状態だ。
かつての大人の姿と力を取り戻すのかもしれないし、ずっとこのままかもしれない。
アウレリウスと話し合った結果、もしも成長せずに幼いままでいるのなら、グラシアス家で責任を持って面倒を見ようという話になっている。
大きな力に対して未熟な精神のアンバランスさは、悪用される可能性すらある。
アウレリウスもユーリも、アイリを守ってあげたかった。
「あ! カレー食堂だ!」
アイリが声を上げて、ユーリもそちらを見た。
営業中のカレー食堂は、今日も賑わっている。雇いの子どもたちが忙しく働いているのが見えた。
「こんにちは、ユーリさん!」
「よお。ユーリ」
客や子どもたちから挨拶を受けて、ユーリも返す。
アイリも物怖じせずに手を振って挨拶をしていた。
ユーリは給仕を手伝い、アイリとシロはぐつぐつ煮立っている大鍋を覗き込んでいる。
やがて営業時間が終わって、片付けが始まる。
ユーリが石けんを取り出して大鍋を洗おうとしたら、アイリが言った。
「ねえねえユーリ。このお店はカレーしかないの?」
「うん、そうよ。カレーは材料がいっぱい必要で、作るのが大変でしょ? 作っているのも子どもたちだから、メニューを増やす余裕はないの」
「ふうん」
アイリは口を尖らせた。
「でもわたし、もっといろんなおりょうりが食べたい。まだちょっとさむいから、あつあつのグラタンとか食べたい」
「グラタン……」
鍋を洗う手を止めてユーリが言った。
「……いいかもしれないわね。バターは在庫に余裕があって、山羊乳もある。スパイス類とマカロニ以外は、カレーと同じ食材でいける」
ユーリはひとつうなずいた。
「とり肉、玉ねぎ、マシュルーム、バター、山羊乳、小麦粉、オリーブオイル。塩コショウ。チーズもあるわね。マカロニだけは作らないといけないけど、よし、やってみましょう!」
「ユーリ姐さんが、久々に新しいことやるってよ!」
ユーリの言葉に気づいたファルトが、嬉しそうに手を打っている。
こうしてグラタン作りが始まった。
グラタン作りは、カレー食堂がお休みの日を利用して決行された。
少し肌寒い曇りの日で、ちょうどいいグラタン日和(?)である。
ユーリの挑戦の話があちこちに漏れていたせいで、食堂は休みにも関わらず人が多い。
冒険者ギルドの面々に、アウレリウス、ドリファ軍団の一部の兵士たち。
「ユリウスが聞いたら悔しがるわね。彼、ユーリの作る料理が大好きだものね」
とは、ティララの言である。
「ここにいないやつを言っても仕方ねえよ。ああ、楽しみだ」
コッタとガルスなどは今からそわそわしている。
そんな彼らを横目に、ユーリは大鍋を取り出した。普段はカレーで使っているものだ。匂いが移らないよう、いつもより念入りに洗った。
まずは玉ねぎをスライスする。ユーリの他、いつも包丁を握っている年かさの少年が一緒にやってくれた。もうすっかり慣れた手つきである。
マッシュルームは一口大。
とり肉も一口大に切って塩コショウで下味をつけた。
マカロニは既製品がないので、手打ちパスタの要領で作った。中央に棒を刺して周囲に練った小麦粉をくっつけ、最後に棒を抜いて切り分ける。軽く茹でた。
次からがホワイトソースだ。とり肉、玉ねぎ、マッシュルームを入れて、火が回ったら小麦粉を加える。だまにならないよう振るい入れるのがコツだ。
さらにバターを加えて、溶けてきたら山羊乳を数回に分けて加える。
その後はかき混ぜならとろみが出るまで加熱する。
最後にマカロニを加えてチーズを載せ、グラタン皿に盛り付け、オーブンで焼く。
「……わあっ!」
焼き上がったあつあつのグラタンは、春とはいえまだ肌寒い北国の夕食にちょうどいい温かさである。
ユーリは集まった人々にグラタンを振る舞った。思ったより人が多かったので、二人で一皿になってしまったのはもう仕方がない。
「あち、あちっ! チーズがとろっとして、すげーうまいよ!」
ファルトがニコニコしながら食べている。
「はふ、はふ……。舌が焼ける熱さだけど、ミルクと玉ねぎの優しい味ですね」
これはナナだ。
ユーリとアウレリウスも一つの皿を分け合って食べた。アイリはシロと一緒に食べている。
「ただ温かい以上に、体が温まるな」
アウレリウスが言えば、ユーリがうなずいた。
「バターやチーズの脂肪分が、熱をしっかり保温してくれるの。今はもう春だけど、冬の夜長の定番メニューよ。火鉢や暖炉でゆっくり煮るの」
「なるほど。栄養バランスもなかなかいい。冬の軍団食に取り入れよう」
「気が早いわね」
ユーリがくすくす笑っていると、グラタンを完食したアイリが裾を引いた。
「あー、おいしかった! それでね、ユーリ。こんどは夏にいい冷たいたべものをかんがえない!?」
アイリはさすがは元日本人、季節の料理に貪欲である。
そしてユーリも日本人。夏の食べ物といえば、たくさん思いつく。
「いいわね! 週に一回、カレー食堂をスペシャルデーにして、季節のお料理を作りましょうか」
カレー食堂は去年から経営が軌道に乗っていて、拡大を考える頃合いだった。
ユピテル帝国の人々の反応を見ながら、新しい料理を披露するのも悪くないだろう。
「夏といえばやっぱり、ながしそうめんかな!」
アイリがウキウキと言えば、ユーリも笑顔になる。
「冷やしうどんもいいわよ。さっきの手打ちマカロニ、おいしかったもの」
「冷やしうどん! お野菜と天かす入れて、サラダうどんにしよう!」
楽しそうに話すユーリとアイリの周りを、シロが「ワン、ワン」と鳴きながら走っている。
彼女らのすぐ横では、少し苦笑したアウレリウスが立っている。
カムロドゥヌムの町は今日も賑やかで、楽しげな時間が続いていった。
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