第111話 小さいのがやって来た


 春も終わりのある朝のこと。

 ユーリは夫婦の寝室で二度寝をしていた。

 今日は冒険者ギルドのお休みの日。アウレリウスの仕事も午後からで、朝はゆっくりとできるのだ。

 傍らの夫の体温を感じながら、ユーリは幸せにウトウトとしている。


 ふと。

 そんな彼女の鼻先に、ふわふわの毛が触れた。くすぐるように行ったり来たりするものだから、ユーリはむずむずしてしまう。


「へくしょん!」


 思わずくしゃみが出た。その音で、アウレリウスも目を覚ましたようだ。


「どうした、ユーリ」


 寝起きの少しかすれた声で話しかけられて、ちょっとドキドキしながらユーリは答えた。


「シロが入ってきちゃったみたい。もう朝だから、起こしに来たのかも」


「追い出してしまえ。まだ時間はある」


「そうはいかないでしょ。そろそろ起きましょう」


 そうして起き上がったユーリは、シロを抱き上げようとして。

 朝陽の差し込む部屋の中、毛玉の正体を見つめて固まった。


 それは確かにシロに似ていた。ふわふわの毛の小犬は、大きさも形もポメラニアンにそっくりだ。

 けれども毛の色が違った。

 目の前の毛玉は、真っ黒な色をしていたのである。







 ユーリとアウレリウスは黒い小犬を連れて、リビングで腕を組んでいた。

 人間たちは長椅子に座り、犬は床に立っている。

 黒犬の隣にはシロもいる。シロは困った顔で、自分とそっくりな黒を眺めていた。


「鑑定の結果はどう?」


 ユーリが聞くと、アウレリウスは渋い表情になった。


「『犬』になっている。以前のシロと同じだな。だが明らかに偽装だ。『犬』の横に『何ならもっと調べてみれば~?』と出ている」


 なにそれ。と、ユーリは思った。

 鑑定スキルは対象の状態が文字で見えると聞いたが、そんなふざけた文が出るとは初耳である。


「……『調べないの? ほらほら』になった」


 どう考えてもからかわれている。

 ユーリが黒犬を見ると、目が合った。黒犬は嬉しそうにキャンと鳴いて、彼女の膝に飛び乗る。

 アウレリウスが追い払おうとしても、威嚇して近づけようとしない。


「ねえお前、どこから来たの?」


 黒い毛並みを撫でながら、ユーリが尋ねる。


「シロとこんなにそっくりで、鑑定までごまかせるなんて、アイリの使い魔なの?」


 黒犬はぱっと顔を上げた。『アイリ』という名前に反応したようだ。真っ黒な目がキラキラと輝いている。

 黒犬はユーリの膝の上で立ち上がった。

 そして――


 ぽん!

 軽やかなクラッカーのような音。


 少し立った煙が収まった後、ユーリの膝の上には。

 五歳程度と思える小さな女の子が、得意満面の笑みを浮かべていた。







 ユーリとアウレリウス、ついでにシロまでが驚きで動けない中、女の子はユーリに抱きついた。


「おねえさん! ユーリ! またあえたね。うれしー!」


 黒髪の小さな頭をぐりぐりと擦り付けてくる。

 そのきれいな艶のある髪に、ユーリははっとした。


「まさかあなた、アイリなの?」


「うん、そうだよ!」


 アイリはあっけらかんと答えた。


「『前』のわたしは魔力をつかいはたして、きえちゃったの。でも、ちょっとだけのこっていて、小さいわたしになったの。だからユーリに会いにきたの!」


「えええぇ……」


 そりゃあアイリとの別れのとき、いつかまた会えるようにと祈った。

 しかしずいぶんと早い再会である。アイリを除く全員が戸惑った。


「ワン!」


 シロも長椅子に飛び乗って、ユーリの隣に座った。

 アイリは小さい手を伸ばして、使い魔の頭を撫でてやる。


「シロも元気でよかったね。ユーリがだいじにしてくれたもんね」


「ワン、ワン!」


 本来の主にまた会えて、シロは嬉しそうだ。

 アイリ(もちもちほっぺの美幼女)とシロ(もふもふ)に挟まれて、ユーリもまんざらでもない。


 だが一人、不満を持つ者がいた。アウレリウスだ。

 彼は長椅子の端に追いやられて、愛する妻の横を奪われてしまった。


「……始祖アイリ」


 アウレリウスは低い声で言った。ユーリには分かる、あれは相当に機嫌が悪い声だ。


「貴女の帰還は、子孫として喜ばしい。だがどうしてユーリにべたべたとするのか。貴女は長い時を生きた大魔道にして、グラシアス家の始祖。もっと振る舞いに気をつけられよ」


 アイリはぽかんとした顔で彼を見て、ぷうっとほおをふくらませた。ユーリはまんまるのほっぺたを見て、焼き立てのパンを連想した。


「やだ! しらない! アウレリウスは、ずるいもん。わたし、見てたんだからね。毎日まいにち、ユーリにくっついて。だっこやちゅーして、それから、それから……」


「アイリ、ちょっと待ってね」


 なんだか雲行きが怪しくなってきたので、ユーリは慌てて少女の口をふさいだ。

 その手を振り払って、アイリは続けた。


「だから、わたしがユーリにくっつくのは、当たり前なの! だってユーリは、わたしのだいじな人だもん! アウレリウスばっかり、ずるいの!」


「ずるくない。私は彼女の夫だ。生活を共にするのは当然だろう」


 クソ真面目な口調で言い返されて、アイリはかんしゃくを起こした。


「ずるいもん!! わたしもいっぱい、ユーリにだっこしてもらうの! ほっぺにちゅーしてもらって、いっしょのベッドでねるの! アウレリウスは、いらない!」


「ふざけるな、同衾は夫たる私のみに許された行為……」


「ああもう、二人とも落ち着いて!」


 ユーリは頭を抱えたくなるのをこらえながら、叫んだ。


「アウレリウス、今のアイリはどう見ても見た目相応の精神状態だわ。頭ごなしに言うのではなく、ちゃんと言い分を聞いて、優しく伝えてあげて。……アイリも、私を好きだと言ってくれるのは嬉しいわ。でも、アウレリウスは私の夫で家族なの。いらないなんて言ってはだめ」


 叱られた二人はしょんぼりとした。

 そんな人間たちを、シロが困ったような呆れたような顔で交互に見上げている。


「いらないって言って、ごめんなさい」


 最初に口を開いたのは、アイリだった。大きな黒い目に涙をためながら、ユーリの手を握りしめている。


「私も大人げなかった。貴女の気持ちを考えれば、ユーリに甘えるのは当然だったろうに」


 アウレリウスもため息をついた。

 ユーリはうなずく。


「二人とも、分かってくれればいいの。……それでアイリ、あなたはこれからどうするの? 今の身体は、魔力でできているのよね。人間と一緒に暮らして大丈夫なのかしら。食べ物とか」


「だいじょうぶ。だから、このおうちに置いてほしくて、来たの」


「それは……」


 ユーリはアウレリウスを見た。

 彼女としては即答で「いいよ」と言いたいのだが、ここは彼の家でもある。それにかなり特殊な魔物であるアイリを、町なかに置いていいものか。


「構わない」


 と、アウレリウスが言った。


「もともとシロがいるわけだしな。今さら変わり種が増えた所で、どうということもあるまい」


「アウレリウス。ありがとう」


「きみに礼を言われることではない」


 彼はそう言いながら、微笑んだ。


「じゃあ、決まりね。我が家へようこそ、アイリ!」


「うん!」


「ワン!」


 アイリが満面の笑みを浮かべる。

 こうしてグラシアス家に、新しい家族が増えたのだった。







 たぶん続かない(笑)



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