第105話 暗がりの階段
長い長い階段を下りながら、アイリは話し始める。
「あの冬の日に、お姉さんに助けてもらって。わたし、警察に通報したの。だってまさか、異世界に行ってしまったなんて想像もしていなかったから」
現場に残されたユーリのバッグから、身元はすぐに分かった。
自宅におらず、一夜明けて会社に出勤をしなかったために行方不明扱いとなった。
アイリはあの夜の出来事を正直に話したが、「何かのショックで記憶が混乱している」と言われるだけで取り合ってもらえない。
「お姉さんのご両親に会いました。二人ともすごく心配して、やつれてしまっていた」
そう聞かされて、ユーリの心が痛む。
この国に来た当初はよく家族を思い出していたのに、いつしか間遠くなっていた。
「何度警察に掛け合っても、ろくな捜査をしてもらえなくて。かえってわたしを頭のおかしい子扱いして、カウンセリングを勧めてくる始末」
それでアイリは一人で調べ続けた。
事件の影響で志望の大学に落ちてしまったけど、気にしなかった。
同じような行方不明事件を調べては訪ね歩く。費用はアルバイトで稼いだ。
アイリの両親は娘の行動をやめさせようとしたので、途中で家を飛び出した。
「……そんな。あなたにそこまでの負担をかけていたなんて」
その話を聞いて、ユーリは心が潰れそうになる。
あの夜、ユーリはただ少女を助けたくて夢中で動いただけだった。その結果がこんなことになっていたとは。
アイリは振り向いて笑顔を見せた。
「いいんですよ。お姉さんが気にすることは、なんにもないの」
そうして五年以上を調査に費やしたが、収穫はなかった。
諦めが頭をちらつくようになった頃、変化が起きる。
「あの魔法陣が、また現れたんです」
季節はやはり冬の終わり。半月のかかる夜に、あのときの再現のように道に魔法陣が現れた。
アイリはもうためらわなかった。自らそれへ飛び込んでこの国へ、当時のユピテル共和国へやって来たのだ。
アイリはすぐにユーリを探した。
けれどもユーリの姿はどこにもなく、それどころか異世界転移者として名前すら残っていなかった。
「おかしいと思った。わたしは魔法と魔力の才能がずば抜けていて、大魔道なんて呼ばれる立場になったのに。他にも地球から来たと思われる人は、ちゃんと名前が残っていたのに。お姉さんだけ影も形もないんだもの。だから気づいたの。地球とこことは時間軸が違うんじゃないかって」
時間のずれはユーリも気づいていた。けれども過去と未来が逆転しているとまでは思っていなかった。
「わたしはずっとお姉さんを待っていたけど、ヤヌスの英雄が現れる周期は少なくとも百年単位。わたしが生きている間は無理かもしれないと思った。だから魔力だけを切り離して、魔の森に置いておいた。それがこのわたし」
アイリの黒髪が揺れる。
髪の隙間から覗く白い首筋を見ながら、ユーリは言った。
「そんな。それじゃあ、あなたは」
「人間としてのわたしは、とっくに寿命で死んでるよ。七十三歳だったかな、この世界としてはけっこう長生きしたほう」
魔力を切り離すにあたって、アイリは大規模な魔法を仕込んでいた。
いつかの未来にやって来るユーリを探し出して、もう一度会うために。
「この『わたし』は役割があってね。お姉さんを探しながら役割を果たすのは難しかった。だから使い魔を作ったの」
ユーリの足元に小さな気配が走ってくる。小犬の姿に戻ったシロだった。
シロはユーリを見上げてから、アイリの足元まで行く。アイリは小犬を抱き上げた。
「お姉さんが魔の森に来てくれて良かった。この子は単独では、あまり遠くまで行けないから」
「クゥン……」
シロの声を聞きながら、ユーリは疑問を口にする。
「もし私がブリタニカ属州以外の場所に行っていたら、どうするつもりだったの?」
「それは確信があった――というか、魔法で予知したから。わたしの子孫とお姉さんの存在が交差するってね」
肩越しに振り向いたアイリが、どこか複雑そうに笑っている。
「あの人の子供を産んだのは、そんなつもりじゃなかったけど。わたしの血がこの世界に根付いていく未来があったから、予知ができたんだ。皮肉だなあ……」
どういう意味だろうとユーリは思う。それを尋ねようとしたとき、アウレリウスが口を開いた。
「始祖アイリよ。貴女がどうしてここにいるのかは、おおむね承知した。だが一つ教えてほしい。なぜ魔王竜の体から出てきた?」
「あぁ、それは」
アイリは視線を前に戻して言った。
「わたしの魔力を核として、あの魔物を作ったから」
「何……?」
「これから行う大魔法には、大量の魔力が必要になる。大魔道と呼ばれたわたしの魔力でも、全く足りないほどの量。何百年も魔の森から魔力を吸い上げて、集めておかなければいけなかった。集めた魔力を魔物の形で固めて、地下に置いたの」
「お前が魔王竜を作っただと!?」
アウレリウスの声に明確な怒りと憎しみが混じった。
「あれのせいでどれほどの犠牲が出たと思っている! 我が父と伯父、それに兵士が三千人以上死んだ! どんな目的か知らないが、何ということをしたんだ!」
彼はユーリの肩を掴んだ。
「戻るぞ、ユーリ。こんな化け物の話は聞く価値もない。大魔法とやらもろくなものではないに決まっている!」
「決めつけないでくれる? その頭の固さ、誰に似たのよ」
アイリの冷たい声とともに、火花が飛んだ。
ユーリには何の影響もなかったが、アウレリウスの手に痛みと衝撃が走る。彼は舌打ちしてユーリから手を離した。
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