第99話 白き竜


「シロ、シロ、どうしたの?」


 ユーリの声が聞こえる。シロにとって大事な人。

 シロはずっと彼女を探していた。長い間を魔の森に潜んで、いつかやってくる彼女を待っていたのだ。


 そして同時に、魔の森の深部で漆黒が目覚めたのも知っていた。

 シロと黒とは因縁の深い存在。シロがユーリを見つけた以上、黒の目覚めは必然だった。


 ――本当なら。


 シロは思う。


 ――本当なら、黒のやりたいようにさせるべきだ。その方が『彼女』の願いに近づく。


 シロはあくまでユーリを守ればいい。他の人間にいくら被害が出ても知ったことではない。


 ――でも……。


 シロはためらった。カムロドゥヌムに来てからの半年が、思い出となって蘇る。

 ずっと孤独に過ごしていたシロにとって、人々の温かさは何物にも代えがたいものだった。


 アウレリウスとユリウスは当初シロを警戒していて、会う度に体を調べられて、くすぐったかった。

 そのうちに少し警戒がゆるんで、ユーリと一緒に頭をなでてくれるようになった。


 カレー食堂の子供たちとは、追いかけっこをして遊んだ。

 冒険者ギルドの職員たちは、おやつをこっそり分けてくれた。

 町の人もシロを見守ってくれて、毎日が楽しかった。


 ――そうだ。それに、アウレリウス。ユリウス。


 シロはユーリを見上げる。大切なユーリが心から愛する人と、大事な友人。

 彼らに万が一のことがあれば、彼女を悲しませてしまう。


 ――だったら。


 シロの心は決まった。いいやきっと、最初から決まっていたのだろう。


「ガルルルルルッ!」


 シロはぐっと四肢に力を込める。封じていた魔力を開放して、体中に巡らせた。

 純白の閃光がシロの小さい体を包んで、輪郭を溶かす。


「シロ!?」


 ユーリが驚きの声を上げている。

 光が膨張し、天に向かってほとばしった。

 辺りを覆う白い光の中で、一度は溶けた輪郭が再び形を取る。

 白くてふさふさの毛。巨大で長大な体躯。空よりも澄んで海よりも深い碧い瞳。


 一匹の白竜が巨躯きょくを地に伏せて、ユーリを見つめていた。







 シロだった竜は頭を地面につけて、ユーリをじっと見ている。

 ユーリは思わず深い瞳の色に見とれて、やがて我に返った。


「お前……シロなの?」


 白竜は答えず、ただ見つめてくる。

 大きな頭を擦り付けて、クゥルル……と小さく鳴いた。その甘えてくる動きは、シロにそっくりだった。

 太い手を差し出して、手招きのような動作をする。


「え、なに? まさか乗れって?」


 ユーリが言うと、白竜は嬉しそうに口をもごもごとさせた。

 彼女は恐る恐る、白竜の背中に手を伸ばす。するとスルスルと毛が伸びてきて、ユーリをしっかりと捕まえ背中に乗せた。


「ひゃああぁぁ――っ!」


 背中にユーリを乗せたまま、白竜は空へと舞い上がる。

 灰色の分厚い雲の中、そこだけ一点純白の光が灯ったようだ。

 白竜はそのまま高度を上げて、北の方角へ向かって飛んでいく。


「な、何が起きたの……」


 地上ではナナが尻もちをついて、呆然と空を見上げていた。







 白竜はぐんぐんと速度を上げて、あっという間に魔の森の手前までやって来た。

 眼下ではドリファ軍団と魔物たちが激しい戦いを繰り広げている。

 風の中に聞こえる剣戟、雪の白に点々と見える血の赤に、ユーリは心を強張らせた。


 上空から見る戦況は、ドリファ軍団が押されているように見えた。魔物の群れは隊列の中央に食らいついて、今にも破ってしまいそうだ。


「アウレリウス!」


 激戦の真っ只中に彼の姿を見つけて、ユーリは思わず叫んだ。声は寒風に吹き散らされて届かなかった――はずなのに、彼はふと空を見上げた。


「ユーリ!? それにその白い竜は、一体!」


 アウレリウスの声が聞こえる。白竜が高度を下げているのだ。


「この子はシロよ! 味方だから、攻撃しないで!」


 ユーリが必死で叫んで、アウレリウスは弓隊への射撃命令を取り下げた。

 白竜はさらに降下して、騎馬のアウレリウスにユーリをそっと降ろした。彼は彼女を抱きとめる。

 白竜は空中で身を巡らせて、ついでとばかりに尾の一撃で魔物の群れをなぎ倒した。

 それから再び上昇し、魔の森の中心部へと飛んでいった。


「なんだ、今のは!」


「魔物か? しかし魔物をなぎ払っていったぞ」


 兵士たちから混乱の声が上がっている。

 アウレリウスはユーリに確かめた。


「あの竜がシロだというんだな?」


「ええ。冒険者ギルドの敷地で変身して、私をここまで連れてきたの」


「よし」


 アウレリウスはうなずいて、声を張り上げた。


「戦友諸君! 今の白竜は味方だ。カムロドゥヌムの女神、ユーリの守護獣である! あれは我らの危機に対して、ドリファの聖霊が遣わした聖なる獣。神々は我らに味方している。必ずや勝利を!」


 オオオォ――と歓声が上がった。

 ユーリは今やあの町の有名人で、女神のように慕われている。食糧不足を改善して清潔をもたらし、病を減らした人だと。

 白竜が魔物をなぎ倒し、ユーリをアウレリウスに渡した場面は、多くの兵士たちが見ていた。

 だから兵士たちは、アウレリウスの言葉を素直に受け取った。苦しい戦いの中での希望を見出したのだ。


 兵士たちは士気をさらに高めて、もう一度戦いの場へと身を投じた。

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