第98話 苦境
魔の森の深部に向かって、ユリウスは走っていた。
魔物たちは後から後から湧き出るように現れて、いちいち相手にしていてはきりがない。
ロビンの索敵とヴィーの魔力感知を最大限に生かして、最小限の戦いで力を温存しながら進んだ。
Bランクはもちろん、Aランクの冒険者たちもとっくに脱落している。彼らは実力に見合った場所で、魔物の誘導や追撃に従事しているはずだ。
行く手を阻んだジャイアントスパイダーを斬り伏せた際、ヴィーが膝をついた。
「どうした。攻撃を受けたかい?」
ユリウスの言葉に、彼女は頭を押さえながら答えた。
「違う。この先は魔力が濃すぎて、感知ができない。無理に視ようとしたらめまいが」
ユリウスは先を見る。黒い魔力に侵された魔の森は、異様な気配に包まれていた。
「俺も索敵がうまくできない。殺気とか、そういうものが木や地面からも感じられるんだ」
と、ロビンが言う。
昼なお暗い森は陽光と降雪すらもさえぎって、むき出しの黒さをさらしている。
――標的が、魔王竜が近い。
その確信がユリウスの心を激しく燃え立たせた。
行こう、そう言いかけた彼の目の前に影が生まれた。
とっさに飛び退って抜刀、一閃。
崩れ落ちた影は黒い狼のもの。魔の森に出る中級魔物のブラックウルフによく似ているが、あまりにも魔力が濃すぎた。
その証拠にユリウスの一撃でさえ仕留めきれず、再度の斬撃でやっと絶命をした。
影は地面を這いずるように生まれて実体を持つ。見た目は他の魔物によく似ていたが、魔力の濃度と強度が違った。
「これはまた、ずいぶんなお出迎えだね」
三人は自然、互いに背を預けるように立つ。
次々と生まれる影の魔物は、じりじりと彼らに近寄っていく――。
魔の森の出口では、ドリファ軍団と魔物の群れの激しい戦闘が繰り広げられていた。
両者の間に距離はもはやない。
灰色熊の突進を数人がかりの盾で受け止める。勢いが止まった熊の体に何本もの剣が突き刺さり、悲鳴が上がった。
ゴブリン族の魔法使いが放った火球は、魔法兵たちの水の障壁が吹き飛ばした。無防備になったゴブリン族に弓矢と氷礫の魔法が襲いかかって殺した。
オーガ族の剛腕から繰り出される一撃をもろに受けて、兵士の一人が地を転がった。助けは間に合わない。彼はそのまま魔物たちに踏み潰され、命を落とした。
血の紅と雪の白が奇妙なコントラストを織りなす戦場のただ中で、アウレリウスは剣と魔法を振るいながら、戦いの
彼が剣を二度振ると、伝令係のラッパが鳴った。それを聞いた兵士たちのうち、中央にいる者たちが徐々に後退していく。
退いた分だけ魔物は前に出る。まるで兵士たちの列を食い破ろうとするように、魔物の勢いは衰えない。
三列体制のうち最前列は既に使い物にならず、若い中列とベテランの後詰めで戦線を支えていた。
彼らの背後にはウルピウスの防壁。
人々の心の支えにして、最後の防衛線。
万が一にもこの壁まで魔物が到達すれば、壁を超えてしまえば。
カムロドゥヌムまで僅かな距離があるのみ。城塞都市とはいえ市民しか残っていない町は、あっという間に蹂躙されるだろう。友人と家族は殺されて、無惨な死体の山が積まれるだろう。
だから誰もが必死に戦い、守ろうとしていた。ここが最後の戦場であると、心に刻んでいた。
けれど戦線はじわじわと下がっていく――。
冒険者ギルドの前、ユリウスを見送ったユーリたちは、その後も長い間を外に立ち尽くして無事を祈っていた。
雪の勢いは徐々に強まって、立っている人々の肩や頭に降り積もる。
「戻りましょう。これ以上は体が冷え切ってしまうわ」
ティララが言って、ナナもうなずいた。
「今のあたしたちにできることは、もう何もありませんから。皆さんが帰ってきたときに、出迎えができるように、体を温めておきましょう」
「ああ、ここで俺らが風邪を引いたら本末転倒だからな」
と、コッタ。
彼らはなんとか気持ちを切り替えて、後ろ髪を引かれる思いで建物の中に戻っていく。
「ユーリさん!」
それでも動こうとしないユーリに、ナナが駆け寄った。
ナナに肩を叩かれて、ユーリはようやく我に返る。気づけば体は冷えてしまっている。
「ああもう、こんなに手を冷たくして。さあ、行きますよ」
手袋越しでも分かるほど、指先が冷え切っていた。
心配は尽きなかったけど、できることは何もなかった。
北の方角からは、不気味な地響きが絶え間なく響いてくる。
と。
――オオオオオオォォオォォオォォォォ――!!
三たびの咆哮が空気を震わせた。
それは今までの二回と明らかに違う、敵意と憎しみに満ちたものだった。
(あれが、魔王竜……!)
戦うすべを持たないユーリは、それだけで心がすくみあがってしまう。
けれどもすぐに思い直した。アウレリウスが、ユリウスが、兵士と冒険者たちが必死で戦っているのだ。安全な場所にいる自分が怯えていてどうする、と。
「ナナ、ごめんね」
だから彼女は言った。
「私はもう少し、ここでお祈りをするわ。何もならないのは分かっているけど、そうしないではいられないの」
「ユーリさん……」
「ナナは戻っていて。私も本当に冷えてしまう前に、ちゃんと戻るから」
「いいえ。あたしも付き合います」
きっぱりと言いきったナナに、ユーリは少し困ったような微笑みを返した。
「じゃあ、あと少しだけ。シロ、お前も無理はしなくていいのよ。……シロ?」
ユーリは足元にいたシロを見る。
シロはじっと北の方を見て、微動だにしない。雪に半ば埋もれながら、否、白いオーラを放って雪を寄せ付けずに、ただ北を見る。
明らかに様子がおかしかった。
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