第91話 対峙


 朝一番で押しかけたユーリとユリウスを、アウレリウスはやや不審そうな態度で執務室に迎え入れた。

 ユリウスはいつもと変わらないが、ユーリは思い詰めた様子。目の下のくまも濃い。

 彼女へ気遣いの言葉を口にしようとした矢先、ユリウスが先手を取って言った。


「従兄殿。町の噂で属州総督の娘と婚約すると聞いたが、本当かい?」


「噂になっているのか」


 アウレリウスはあまり表情を変えず、軽く息を吐いた。

 ユリウスが答える。


「まだごく一部の噂ってとこだね。昨日、ロビンとヴィーに確認を取ってもらった」


 二人が言うには、まださほど噂は回っていないとのこと。ユーリのカレー食堂は人気スポットなので、いち早く新しい話が入りやすいのだ。

 アウレリウスが言う。


「分かった。噂の件は対処しよう。用はそれだけか?」


「おいおい、アウレリウス。話をそらすなよ。僕は婚約が本当かと聞いたんだ」


 ニコニコといつも通りの笑みを浮かべる従弟の瞳に殺気に似たものを見つけて、アウレリウスは内心で眉を寄せた。


「話が来ているのは本当だ」


「ふうん。で、受けるつもり?」


「……受けるのが妥当だと考えている」


 ぶわっ、とユリウスから殺気が放たれた。ユーリにもはっきりと分かるほどの濃度。


「妥当、妥当ねえ。それでユーリのことはどうするんだ?」


「…………」


 ――なぜそこで彼女の話が出る。

 そう言いかけて、アウレリウスは口に出せなかった。心の中でもやもやと掴みきれなかった感情が、だんだん輪郭を帯びてくる。


「言っておくが――」


 ユリウスが続けた。普段の彼からは想像もできないような低い声で。


「形ばかりの正妻を据えて、彼女を愛人にするなどと言うなよ。貴族としては正解だろうが、その常識が全てに通じると思うな。平民にとっても彼女とっても、受け入れられない考えだ。それを言うのであれば、僕がユーリをもらう」


「……なんだと」


 アウレリウスが目を上げた。その紫の瞳に明確な嫉妬の色を読み取って、ユリウスがあざ笑う。


「そんなに分かりやすく妬むくらいなら、もっと素直になりなよ。しがらみと立場とユーリのどれが大事か、しっかり考えろ」


 彼はそう言って、くるりときびすを返した。


「僕の言いたいことはそれだけだ。判断を間違うなよ」


「おい、待て!」


 制止の声を無視して、ユリウスはさっさと部屋を出た。

 ドアを閉めて少し歩いて、大きく息を吐く。


(あの朴念仁め、上手くいくといいんだけどなあ……)


 複雑な気持ちで見上げた空は、もうすっかり秋の色に染まっていた。







 執務室に残されたユーリは、勇気を振り絞って声を出す。

 最初はかすれてしまったけれど、どうにか言葉になった。


「アウレリウス様、ユリウスを責めないでください。彼は私のために骨を折ってくれました」


「……別に責めるつもりはないが」


 アウレリウスはそれだけ言って黙ってしまった。

 ユーリは心を叱咤して、重ねて言う。


「あなたの婚約の話を聞いて、私はとてもショックを受けました。でも同時に、どこか納得が行ったんです。

 私の故郷ではみんなが自由に恋愛結婚をして、それで問題がなかった。でも、この国は違います。私の理解の及ばない政治上や立場上の問題があると、承知しています。でも……それでも」


 心が揺れ動いて涙が出そうになる。ユーリは必死にこらえた。

 子供ではないのだから、泣いてごまかすような真似はしたくなかった。

 言わなくては。今言わなければ、きっと二度と言えない。


「アウレリウス様。あなたのことが好きです。ずっと一緒にいたいと願っています」


 まっすぐに前を見て言えば、彼が息を呑んだのが分かった。


「けど、ユリウスが言うように愛人では嫌なんです。あなたのことを独り占めできなければ、絶対に嫌!」


 一度口にしてしまえば、押し込めていた感情があふれてくる。

 一人で温めていた思い出が、大事にしまい込んでいた想いが次から次へと心をさらっていった。


「あの最初の夜に、私が仕事をするのを認めてくれたこと。倉庫で苦労していたときに、助けてくれたこと。この国や魔法について、たくさん教えてくれたこと……。町の事業についても、何度も話し合いましたね。

 それに、守ってくれると言ってもらったとき、とても嬉しかった。たった一人で異世界にやって来て、頑張ったけど、力が足りなくて。寂しいとき、苦しいときにあなたがどれほど力になってくれたか。

 ……こんなの、好きにならないはずがないです!」


 とうとう涙がこぼれてしまった。みっともないところを見せたくなくて、ユーリは必死に涙をこらえた。

 けれど視界がぼやけていく。彼の姿が見えなくなってしまう。


 ふと。

 彼女の頬に暖かなものが触れた。

 アウレリウスの手だった。彼はユーリの目尻に溜まった涙をぬぐってくれた。

 間近に見上げた彼の瞳は、輝くような喜びに満ちている。きらめく紫の瞳の色がユーリだけを見つめている。

 形のいい唇が動いて、長い沈黙を破った。


「きみにそんなに想われていたとは、私は幸せ者だ」


 ためらいがちにユーリの背に手を添えながら、彼は言った。


「そして、すまなかった……。私が不甲斐ないばかりに、いらぬ苦労をさせてしまった。ユーリとともにいる時間は、私にとってもかけがえのないもの。それがこれからも続いてくれるのなら、こんなに嬉しいことはない」


「で、でも。それは」


「立場だのしがらみだの、そんなものは二の次に考えればいい。優先順位を決めれば、おのずと対処の方法は変わる。――今回の婚約の話は、正式に断るとしよう」


「いいんですか」


 不安そうに見上げるユーリに、アウレリウスは微笑んでみせた。


「もちろん。この段階で属州総督と組む利は大きいが、デメリットも相応にある。ユリウスの日本刀などはその最たる例だな。私は彼こそが魔王竜を殺す力量の持ち主と見込んでいるが、総督はそうは思わないだろう」


 強大な魔物を倒す名声だけに気を取られて、ユリウスから武器を取り上げる可能性もある。下手に身近に総督の身内を置けば情報が漏れやすくなる。

 今までアウレリウスの裁量で行っていた諸々の事柄が滞って、結局はドリファ軍団の士気を下げ弱体化を招くケースも考えられた。そうなればこの町を守るという本来の目標から離れてしまう。

 そういった趣旨のことを、彼は説明した。


「それにユーリ。きみの存在もそうだ」

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