第78話 守るために


「きみはヤヌスの選定でやって来た、英雄だ。この件が公になれば当然、皇帝陛下も興味を持つ」


 アウレリウスの口調は淡々としていて、感情が薄い。

 それでもユーリは気づいている。彼はユーリを気遣ってくれている。

 今はそれだけでじゅうぶんだと、彼女は思った。


「英雄というか、雑学だけのハズレですけどね」


「もはやハズレと言う者はいるまい」


 アウレリウスは息を吐く。少し間をおいて続けた。


「きみの名が広がりすぎないように、手を打とう。手柄を横取りするようで気が引けるが、私の発案ということにしておけば、余計な手出しをする者は減る」


「横取りなんて、とんでもないですよ! だって、守ってくれるのでしょう」


 ユーリは思わず言って、それから顔を真っ赤にした。

 アウレリウスに守ってもらう。その言葉が心を沸騰させてしまった。


(やだ、なんでこんなに顔が赤くなるの! 守るって、言葉通りの意味だけよ。それ以上の意味は……)


 それでもユーリはつい思ってしまうのだ。

 たった一人で異世界にやって来て、ある程度は自分の力で切り開いた自負がある。けれどこうやって助けてくれる人がいて、安心できる場所があるからこそ頑張れたのだと。

 彼は今や彼女の心の拠り所。たとえ片思いでも感謝は変わらないと、ユーリは考えている。


 真っ赤になった彼女を不思議そうに眺めて、アウレリウスが続けた。


「とりあえずは海藻買付の商人を決めておこう。海藻は西の漁港だけに生えているわけではないが、現状ではあそこが一番調達しやすい。あまり人が入って混乱しないよう、専属の商人を決めておくといいと思ったが、ユーリはどうだ?」


「あ、はい、それでいいと思います。石けんの値段が仮定できたので、逆算して海藻の買い取りの値段を決めたいですね。今は乾燥させて、燃やして灰にするところまで漁港でやってもらっていますから、今後はどうするかも決めないと」


 実務的な話に入って、ユーリはようやく顔の赤さが引いていくのを感じた。


「今、海藻買付はいくつか取引の申込みがある。元々漁港と取引のあった魚商人や、荷馬車を多く持つ運送商会などだ。資料はここに」


「それでしたら……」


 二人はぴったりの呼吸で話を詰めていく。

 石けんにまつわる当面の問題を話し合って、解決していった。


「だいたいこんなところですね。またよろしくお願いします」


 一区切りがついたので、ユーリは執務室を出ようと戸口に向かった。アウレリウスはドアを開けてやる。


(そういえば、アウレリウス様はいつの間にかドアを開けてくれるようになったわね。見送りも。いつからだったかな……)


 そんなことを考えて、また顔が赤くなる。

 ユーリは軽く深呼吸して心を落ち着け、冒険者ギルドに帰っていった。







 執務室に戻ったアウレリウスは、ペトロニウスを呼んだ。忠実な首席百人隊長はすぐにやって来る。


「例の件は済んだか?」


 主の言葉にペトロニウスはうなずいた。


「はい。運送ギルドとスパイス商人たちには、カレーの発案者がユーリ殿である件を口止めしました。彼女に身近な冒険者ギルドにも」


「『噂』の方はどうだ?」


「順調です。『小鳥』たちが流した噂……カレーと石けんはアウレリウス様が考えて、ユーリ殿は手伝いをしただけと、そのような内容の話が主流になりつつあります」


「結構。引き続き市民や商人たちの制御を頼む」


「はっ。では、失礼いたします」


 ユーリに話す前から、アウレリウスは手を回していた。

 主だった者たちへの口止めと、事実を少し捻じ曲げた噂の流布。

 ユーリの名声はもう消し去るのは難しいレベルで高まっている。であれば、彼女はあくまで権力者のサポートをしただけと方向性を逸らす方が有効である。

 完全な嘘ではなく、真実を少しだけ混ぜた嘘を。それが最も信じられやすい。


 既にこの町でユーリの名が知れ渡った以上、一刻の猶予もないのは事実だった。

 女性の身で名声が高まりすぎれば、皇帝に仕える前に身体に危険が及ぶかもしれない。彼女の能力を欲する輩は多いのに、ユーリ自身は全くの非力であるから。

 けれど本当は、先にユーリの意向を確認すべきだったのだ。

 それをアウレリウスはあえてやらなかった。

 もしユーリがもっと名声を求めて皇帝に仕えるのを望んだ場合。彼は、自分がそれを許容できるか自信がなかった。彼女を快く送り出せるとは、とても思えなかったのである。


(我ながら卑劣な……)


 歪んだ独占欲を自覚して、アウレリウスは内心で自嘲する。

 だから今日ユーリがこの町に残りたいと言ったとき、彼は心の底から安堵した。

 同時にこのように卑劣な手を打つようでは、嫌われても仕方ないと思った。

 一時期、彼女は彼に対して少し距離を取ろうとしたことがあった。それはきっと、彼の浅ましさがバレてしまったからでは、と感じている。


 ユーリの願いを叶えてあげたい。けれど、手放したくない。

 彼女の身は必ず守らなければならない。けれど、それはただのエゴでは。


 相反する想いが心で澱をなす。こんなにも心がかき乱されたのは、八年前の事件以来だった。

 ここは彼の仕事場であり、苦労して作り上げた拠点であり、果たすべき責任に満ちた場所である。

 ここにいるからこそ、彼は厳格な軍団長でいられる。責任を放棄しないでいられる。


 アウレリウスは深く息を吐いた。まるで水中にいるかのような息苦しさを、どうにか切り替える。

 目の前の仕事に没頭すれば、ようやく苦しさがまぎれて消えていった。







++++


ここまでで第三章は終了です。第四章に続きます。

アウレリウスは十代まで色恋沙汰に興味なし→その後はそれどころじゃなくなる、で、アラサーにして初恋です。ユーリも似たようなものですが。

最近心が苦しいのは、「もしかしたら恋?25%」「本気でなんかの病気では?75%」くらいの割合で考えています。


さて先日、この小説を最後まで書き終わりました。多少の調節をするかもしれませんが、今のところ108話で終わる予定です。除夜の鐘、煩悩の数になってしまいました(笑)


完結保証もできましたので、もしよければフォローや★★★で応援してやってくださいね。既にくださっている方はありがとうございます!

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