第77話 お風呂プレゼン完了


「まあ。この石けん、お化粧もちゃんと落ちるのね」


 石けんで顔を洗っていた女性が言った。かなりの厚化粧だったが、たっぷり泡立てた石けんでだいぶ落ちている。


「お化粧をしたままだと、だんだんヨレたり汚れちゃって。肌も疲れてくるし、助かるわあ」


(うんうん。これは、クレンジングも作らないとね)


 ユーリは思った。オイルやコールドクリームをなじませるやり方なら、今ある各種の軟膏や香油を少し変えるだけでできるだろう。

 女性たちは丁寧に自分の体を洗い、髪を洗った。浴場に入る前に比べると、ぴかぴかと輝くような清潔さだ。

 彼女らはお互いに垢が落ちた肌を触ったり、メイクを落とした顔を見比べたりしている。とても楽しそうである。


「ユーリさん」


 呼ばれて振り返ると、冒険者ギルド職員のナナとティララがいる。彼女らは係員の手伝いをしてくれていた。


「そっちの様子はどう?」


 ユーリが聞くと、ナナはにっこり笑った。


「みなさん、楽しそうです。きれいになると、嬉しいですよね」


「そうそう。あたしも石けんを使わせてもらって、旦那に自慢してくるわ」


 と、ティララ。ユーリはうなずいた。


「お客さんがもう少しはけたら、二人ともお風呂に入っていってね」


「いいんですか?」


「助かるぅ! 暑い中で動き回ったから、汗かいちゃったのよ」


 二人は嬉しそうに笑って、もう少し働いてきますと言って去っていった。

 浴場の中では、女性たちの楽しそうな声が長いこと響いていた。







 こうして、二日に渡って行われた公衆浴場テルマエの無料開放と石けんの配布は、しっかりと成功を収めた。

 男女とも市民たちの口コミは町じゅうに広まって、商人たちも聞きつける。

 アウレリウスの元には早速、取引の申込みが何件もやって来た。


「当面の石けん販売は浴場と冒険者ギルドにしようと思っていたのですが、町なかのお店で販売してもいいですね」


 アウレリウスの執務室で、ユーリが言う。


「手洗いや食器洗いの習慣が根づけば、病気の予防になりますから」


 人々がなるべく健康に過ごすのは、ユーリの願いである。

 石けんはドリファ軍団にも取り入れられて、浴場での使用と料理番が料理をする際の手洗いが義務付けられた。

 軍団は兵士たちが密集して暮らしている。しばしば食中毒や流行り病が起こってアウレリウスを悩ませていたが、ユーリは改善されると見込んでいる。


「カレーのときもそうだったが。きみは利権を独り占めしようと思わないのだな」


 アウレリウスの言葉に、ユーリは微笑んだ。


「独り占めなんて、私の手には余ります。今でも忙しいのに、これ以上抱え込んだら目を回しちゃう!」


 彼女の言い方にアウレリウスはふと笑って、それから表情を改めた。


「そうか……。ただ、いくつか懸念はある。一つは西海岸の海藻が奪い合いにならないか」


 海藻は森に見えるくらい茂っているが、乱獲をすればどうなるか分からない。また、あの小さな漁港に多数の商人が入っていけば、問題も起きるだろう。


「次に、石けんがどこまで広がっていくかだ。先日の公衆浴場の反応を見るに、いずれ帝国全土で使われる可能性もある。そうなれば石けんの開発者として、きみは注目を浴びる。ましてやカレーの作り手でもあるのだから」


 カレーについては、アウレリウスは実は少し甘く見ていた。

 魔物肉のマズさは貧しい平民すら避ける味だった。それがまさか、平民のみならず貴族階級までカレーを歓迎するようになるとは。

 単純に廃棄物を有効利用できただけでなく、新しい名物が誕生してしまったのである。その功績は大きい。

 しかもユーリの言う通り、栄養バランスが考えられたカレーを食べるようになってから、体調が改善された者が増えた。

 しかし功績者である彼女は、軽く首をかしげた。


「私が注目、ですか。そんなことになるかしら?」


「当然なる。既にきみは、この町では有名人だ。名前がブリタニカ属州全体に、さらには帝国の広い地域に広がっていくとなると、皇帝陛下から召し抱える命令が来るかもしれん」


「皇帝陛下に? それは……避けたいです。私はこの町にいたいのに」


 ユーリは困って眉を寄せた。彼女はカムロドゥヌムでの暮らしが気に入っている。

 今さらこの町を離れたくないし、それに……アウレリウスのそばにいたい。

 その言葉は口には出せない。気恥ずかしいし、彼の心がどこまで本当にユーリに向いているのか確信が持てなかったので。

 それでも、そばにいたい気持ちはとても強かった。

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