第67話 洗剤とは


 アウレリウスの命令書簡を受け取ったガルスは、さっそくBランクの冒険者を複数人集めて、魔の森に出発させた。トマスも一緒である。

 トマスには、黄色マンドラゴラだけでなく毒マンドラゴラ――じゃがいもも取ってくるように頼んだ。

 じゃがいもは以前、ユーリが一株だけ採取して持ってきたものがある。こちらも一足先に植えてみることにした。

 黄色マンドラゴラはウコンとキョウオウの二種類があったが、どちらも確保を頼む。

 生け捕りにするだけでなく、どのように土に埋まっているのか、土の質はどのようなものを好んでいるのか、昼と夜では何が違うのか、生えている場所や周辺の植生など、できる限りの情報を書き留めてくるようにオーダーしてある。


 トマスは元農民で土や植物に詳しい。意外に絵心があったため、スケッチをしてもらうことにした。

 ただし彼は字の読み書きができない。Bランク冒険者の中に読み書きができる者がいたので、メモ書きなどは彼に頼んだ。







 マンドラゴラ生け捕り作戦の間、ユーリはいつもどおりカレーを作りながら待っていた。

 子供たちもだんだん料理に慣れてきたようで、手早く作るようになった。

 ただ、やはり手洗いの習慣がない。

 食器も洗剤がないので、水につけてこすり洗いをするだけだ。

 カレーは油分を使う料理だから、どうしても鍋や皿がベタついてしまう。でも、ユピテル帝国ではそれが当たり前のようで、子供たちも客も誰も気にしていなかった。


「衛生的に、だいぶマズいよねえ……」


 夕暮れ時、カレー食堂の営業が終わったあとの時間。

 冒険者ギルドの洗い場でユーリは腕を組む。シロは足元で彼女を見ている。するとファルトがやってきた。


「ユーリ姐さん、なにを悩んでるの?」


「カレーの鍋やお皿、水で洗うだけじゃすっきり汚れが落ちないじゃない? なんとかならないかなあって」


「水で洗えばじゅうぶんだとおもうけど」


「ううーん。石けん、洗剤……。あ、そうだ。ユピテルには洗濯屋さんがあるわよね。洗剤は何を使っているのかしら」


 するとファルトはニヤッと笑った。物知りのユーリに教えられるのが嬉しいらしく、ちょっともったいぶっている。


「もう、早く教えてよ」


 ユーリがファルトの頭をつつくと、彼は照れ笑いをして言った。


「オシッコだよ」


 暮れなずむ茜色の風景の中に、なんとも言えない沈黙が落ちた。

 どこか遠くでカラスがカァと鳴いている。夏風がさわさわとシロの毛並みを揺らして、カレーの残り香を――


「いやいやいや、そうじゃなくて! ファルト、今、なんて言ったの?」


「オシッコ」


 ファルトはごく普通の態度で繰り返した。挙動不審になっているユーリを不思議そうに見ている。


「洗濯屋さんの洗剤が、オシッコなの? 人間の?」


「そうだよ。公衆トイレやそのへんの酒場のオシッコを集めて、洗剤にしてる」


「そんな……」


「クゥン……?」


 ユーリは絶句し、次に思い当たった。人間の尿に含まれるアンモニアを利用しているのではないか?

 アンモニアは日本の洗濯洗剤にも配合されている。皮脂汚れを落とすのに最適なのだ。

 ユピテル帝国の科学水準で尿からアンモニアだけを上手に取り出せるとは思えないが、アンモニアがそれなりの濃度になっていれば洗濯洗剤として用を足すのだろう。

 ファルトが言った。


「オシッコ、そんなに気になる? じゃあ洗濯屋に見に行ってみる? 俺、寝泊まりしてる宿屋で洗濯物を持ってく手伝いもしているんだ。洗濯屋はすっげえ臭いけど……」


「……ごめん、やめとく」


 ユーリは好奇心旺盛な性格であるが、さすがにこの件は触らないでおこうと思った。


(やっぱり、絶対、何としても! 石けんが必要だわ!)


 ユーリは改めて夕焼け空に誓う。

 ユピテル帝国に、せめてカムロドゥヌムの町に、清潔と石けんを広めてみせよう、と。







 ユーリにとっての日常は、倉庫のシステム管理とカレー食堂の経営、カレーや携帯食の販売と開発である。

 試験的に始めた魔物分布の聞き取りも、協力する冒険者が増えたせいで徐々に精度が上がっている。

 さらにマンドラゴラ栽培計画の責任者でもあるので、なかなか多忙な日々を送っていた。


 黄色マンドラゴラとじゃがいもマンドラゴラは、サンプルが生け捕りにされてきた。ウルピウスの防壁の向こう側、兵士たちの見張り塔のすぐ近くに畑が作られて、頑丈な柵で囲まれた。

 トマスの手によって植えられたマンドラゴラは、今のところ大人しく土に埋まっている。

 今は夏の暑い時期。今まで森の木陰に生えていたマンドラゴラたちなので、トマスはこまめに水やりをしていた。

 そんな様子を兵士たちはちょっと呆れた顔で眺めている。


「こんにちは、トマス。マンドラゴラの様子はどう?」


「ワン、ワン!」


「あぁ、わざわざ来てくだすったんですね、ユーリさん。この暑さのせいか、ちょっと元気がないですねえ」


 ユーリとシロは柵の外からトマスに声を掛けた。マンドラゴラは弱いとはいえ魔物なので、柵の中に入るのは冒険者か兵士だけと決められている。

 トマスはバケツに水を入れ、ひしゃくで水撒きをしていた。

 マンドラゴラたちの葉っぱは、確かに森にいた頃よりも少ししなびている。


「枯れてしまうかしら……?」


 ユーリは心配そうに言ったが、トマスは首を横に振った。


「大丈夫でしょう。葉っぱの先はしおれているけれど、根本はしっかりしています。土が乾きすぎない程度に水やりをして、様子を見ますよ」


 トマスの他にも元農夫たちがいる。彼らに任せておけば大丈夫だろう。

 黄色マンドラゴラがターメリックと同じように育つのであれば、収穫後に株分けで増やしていける。

 まずは栽培方法を確立させるのが先決だとユーリは思った。





+++

豆知識:古代で人間の尿が洗剤に使われていたのは本当の話です。なんてこった。

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