第64話 夏とカレーと


 夏至祭が終わり、季節は本格的な夏となった。

 北国のブリタニカ属州では、真夏といえどさほど気温は上がらない。寝苦しい夜とは無縁の生活に、ユーリは毎日ぐっすりと眠っている。

 とはいえ、昼間はそれなりの暑さだ。

 それゆえにユーリは、シロを連れて朝早くから仕事を始める。


「さあさあ、みんな。集まったわね? おはよう!」


「おはよー!」


「おはよう、ユーリさん!」


「ワン!」


 冒険者ギルドの敷地の一角に、十数人ほどの子供たちが集まっている。年齢は下は八歳、上は十三歳くらいの少年少女である。

 ユーリは手始めに、冒険者の親を亡くした子供たちを働き手として採用した。八歳より小さい子は仕事をするのが難しそうだったので今回は保留とした。

 彼らは冒険者ギルドで最低限の衣食住の面倒を見たり、親の冒険者仲間が引き取ったりした子らだ。どの子も暮らしぶりは不安定で、いつ奴隷商人にさらわれてもおかしくない状況だった。


「今日もカレーを作ります。作り方は覚えてる?」


「覚えてる!」


 子供たちはさっそく持ち場につく。年齢の低い子は乳鉢と乳棒を持って、スパイス類をすりつぶしていく。魔物肉の漬け込みなども小さい子の役割だ。

 年齢の高い子は包丁や火を扱うことになっていた。


「よお、ユーリ。やってるな。今日の分のスパイスの納品、倉庫に入ってるから後で持っていってくれ」


 コッタが顔を出して知らせてくれた。

 事業としてカレー販売を行うことになったので、スパイスは市場に買いに行くのではなく、業者から納品してもらっている。今は素材倉庫の片隅を借りているけれど、いずれ専用の倉庫を準備した方がいいかもしれないとユーリは思っている。

 特に唐辛子などは袋から漏れたら大惨事である。取り扱い注意だ。


「ありがとう。じゃあ、今日の必要分を取ってきてね」


「はーい!」


 子供たちが二人ほど、袋を持って走っていった。

 解体された魔物肉もそろそろ準備される時間なので、係の子が受け取りに行く。


「あ! こら、お肉を触る前と後でちゃんと手を洗った?」


 八歳くらいの子がベタベタの手でスパイスを触ろうとしていたので、ユーリは声を上げた。

 その子は慌てて手を背中の後ろに隠す。


「怒っているわけじゃないの。ちゃんと手をきれいにしてからじゃないと、いいお料理が作れないのよ」


 衛生とか細菌とか食中毒などと言っても伝わるはずがない。ユーリはできるだけ言葉を選んで優しく言った。


「でも、めんどくさいよ。洗わなくてもなんともないよ」


 優しげなユーリに安心したのか、子供は文句を言った。

 その子の頭をぽかりと叩いたのは、ファルトである。


「バカ! ユーリ姐さんの言うことは、意味があるんだよ。俺らにわかんなくても、正しいんだから。聞いとけ!」


「ふぁい……」


 子供は少し目に涙を浮かべて、水場の方へ走っていった。


「ファルト。叩くのは良くないでしょ。ちゃんと言って聞かせなきゃ」


「いいんだよ。一度言って聞かねえ奴は、軽く小突いてやればいい」


 ユーリはため息をついた。ユピテル帝国の子供たちは、日本の子供たちよりもパワフルだ。生き延びるために必死だったのだと思う。

 彼らに言うことを聞かせるのは、多少強い言い方が必要だろう。ただ、叩くのはやはり良くないとユーリは思った。


(手洗いの有効性を説明出来ない以上は、ルーチン的な習慣にしちゃうしかないわね)


 ユーリは改めて、カレー作りの手順と分担を考えるのだった。







 お昼ごろになると、冒険者ギルドのカレー食堂に人が集まってくる。ギルド職員や冒険者、それに町の人たちだ。

 カレー食堂は夏至祭のときのものを拡張して、ちょっとした小屋になっている。裏手は調理場だ。

 カレーは安価でおいしい料理として、すっかりカムロドゥヌムの名物になっていた。

 スペルド小麦の麦粥とナンのようなパンが販売されている他、自前でパンの持ち込みも可能なので、みんな好きに食べている。


 ナンはユーリと子供たちの研究の結果、北の小麦と南の小麦を1:1で混ぜ合わせると上手に焼けると判明した。

 北は強力粉、南は薄力粉ではないかとユーリは予想している。

 ナンとスペルド小麦の麦粥はどちらも甲乙つけ難い人気。カレーの味は変わらずとも、食感が変わるので飽きずに食べている人もいるようだ。

 なお、ユーリは日本人としてお米に近いスペルド小麦に一票を入れている。


「俺、この辛いカレーにはまっちゃってさー」


 若い男性がそんなことを言いながら、顔を真赤にして食べている。唐辛子パウダーを入れたカレーだ。


「腹がぽかぽかするし、汗も出る。すっきりするよ」


「とはいえ食べすぎるとお腹を壊しますからね。ほどほどに」


 ユーリが釘を刺すと、みんなが笑った。


「ユーリさん、カレールウ二本ください。魔物肉用のスパイスも」


 冒険者に言われて、ユーリは布に包んだカレールウとスパイスを取り出した。

 ルウは小麦粉を練って固めることで作った。お湯に溶かせばカレーになるので、今では冒険者の携帯食として大人気である。

 栄養バーも人気だが、やはり温かい食べ物が好まれるようだ。


「はい、どうぞ。栄養のこともありますから、野菜を入れて下さいね。食べられる野草でもいいですよ」


「はい。遠征先でこそ、体が大事ですもんね」


 冒険者は笑ってうなずいた。

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