第32話 はじめてのカレー


 カレー。それは日本の国民食と言って差し支えないだろう。

 もともとはインドの料理だったのがイギリスに伝わり、日本に輸入された。そして日本人持ち前の魔改造の腕で、すっかり日本食となったのである。


「夕ご飯までまだ間があるわね。試作品を作って、みんなで試食しましょう」


 ユーリは言った。

 ファルトの七輪は火が入ったままになっていて、鍋をかけるのにちょうどいい具合だ。


「ユーリさん。カレーとは、どんなお料理ですか?」


 魔物肉の焼き肉でげんなりしてしまったナナが言った。


「いろんなスパイスを混ぜ合わせて作る、とても不思議でおいしいお料理よ。まあ、見てのお楽しみ」


 ユーリは腕まくりをした。久々のカレー作りに心が浮き立つのを感じる。

 まず、みんなで手を洗った。

 次に厨房から深さのあるフライパンを借りてくる。

 フライパンにバターを入れて、温める。

 バターはユピテル帝国では薬品の扱いだが、ユーリは料理に使うため確保しておいたのだ。

 次に数種類のスパイスを投入した。スパイスは砕いていない、サヤつきのそのままのものである。

 ローリエ、カルダモン、クミンシード、グローブ。本当はシナモンスティックも入れたかったのだが、店で見当たらなかったので諦めた。


「ファルト、手伝ってね。そこのスパイスをすり鉢で粉にするの」


「うん」


 ファルトはすり鉢と乳棒を借りてきて、ユーリに指示されたスパイスをすりつぶし始める。コリアンダーとナツメグ、マスタード、それにグローブだ。ゴリゴリという音と共に、香りが立ってくる。

 ユーリの鍋からも複雑でいい香りが立ち上っている。


「ナナは玉ねぎのみじん切りをお願い。今日は試食だから、量は少なくていいわ」


「はい、分かりました」


 ナナが玉ねぎを切っている間、ユーリは焦がさないように注意しながらスパイスを炒めた。

 やがてカルダモンが油を吸ってふっくらとしてくる。

 ユーリはナナから玉ねぎのみじん切りを受け取って、鍋に入れた。最初は炒めて、玉ねぎが透き通ってきたら軽く広げるようにする。焦げる少し前に混ぜるのを何度か繰り返した。

 玉ねぎがきつね色になってきたので、生姜とにんにくを加えてさらに炒める。ふわりとにんにくの香りが漂った。

 ユーリは呟いた。


「本当はここで、トマトを入れたかったんだけど」


 トマトも探したが売っていなかった。これは仕方ないだろう。

 ユーリが見るに、地球の新大陸で発見された農作物は全体的に存在していないようだった。


「さあ、ファルト。粉にしたスパイスをちょうだい」


「はいよ!」


 ファルトからすり鉢を受け取って、鍋に投入。


「わあ!」


 様々なスパイスの香りが押し寄せるように立って、隣で鍋をのぞき込んでいたファルトが声を上げた。

 ユーリは塩少々と水をコップ一杯分ばかり入れて、さらに炒めた。

 それから魔物肉を鍋に入れる。魔物肉は一応、一口大に切って塩とハーブで下味つけをした。先ほどの焼き肉の余りである。水につけて簡単な血抜きもしておいた。


「しばらく煮込むわ。その間に洗い物をしておきましょうか」


「はい」


 すり鉢や包丁を解体場の水道で洗った。カムロドゥヌムの町には水道橋で水が供給されており、冒険者ギルドのような公共施設では無料で水が使える。

 煮込んでいる間に時折、灰汁をすくう。ぽこぽこと弾力のある泡のような灰汁が山のように出るので、しっかりと取り除いた。


「おいしくなるかなぁ……」


 ファルトは不安そうだ。


「あのスパイス料理、カレー? でしたっけ。あれは美味しそうだったけど。お肉はどうでしょう……?」


 ナナも疑っているようだ。

 そうしているうちに時間になった。ユーリが鍋のふたをあけると、スパイスの匂いと肉の匂いがないまぜになって立ち上る。

 まだちょっと、肉の臭みがある感じだ。ユーリはコリアンダーの葉っぱを一束、鍋に入れた。ニンジンとざく切りの玉ねぎを加えて、もう少し煮込む。

 最後に味見をして、少々の塩を足す。


「……出来上がり!」


 ユーリが声を上げると、ファルトとナナはそろって鍋をのぞき込んだ。

 周囲にいた荷運び人や冒険者ギルドの職員たちも、何となく集まってくる。


「さっきから変わった匂いがしていたが、何を作ったんだ?」


 と、コッタ。彼は魔物肉の焼き肉をしていたときは絶対に近づいて来なかったのに、現金なものである。

 ユーリはにっこり笑って答えた。


「カレーよ。私の故郷の料理で、どんな具材にも合うすごいものなの」


「へえ。それで魔物肉を?」


「そう。まずは味見してみるわね」


 ユーリは皿にカレーをよそう。もちろん魔物の肉も入れた。ライスやパンはないが、少量の味見だ。このままでいいだろう。

 カレーソースを一口舐めてから、ぱくり。魔物肉を口に入れた。

 みんな、固唾を飲んでユーリを見守っている。


「……うん、なかなかいい感じ! スパイスとハーブの力で、お肉の臭みがずいぶん抜けたわ。お肉は相変わらず固いけど、焼くのよりはマシ」


「おぉ?」


「よっし、姐さん、俺にもくれよ。食べてみる!」


 ユーリはファルトの皿にカレーを盛ってやった。


「ほんとだ、うめえ! こんなうまい魔物肉、俺、初めて食べたよ。スパイスのおかげで腹がぽかぽかするし、パンがほしくなる」


「ユーリさん、あたしにも」


 ナナはちょっと遠慮がちに皿を差し出した。ユーリは笑顔で盛り付ける。


「わ、すごい。あの固くて臭くてひどかったお肉が、ちゃんと食べられる味になってる。臭みがかなりなくなって、スパイスとよく合う味です」


 目を丸くするナナとファルトの姿を見て、他の職員たちもざわざわとざわめき始めた。その中にはコッタもいる。


「魔物肉がうまいって、本当かよ」


「ユーリの作った料理か。気になるぜ」


「俺にもくれ」


「俺にも!」


 どやどやと押しかけた職員たちのおかげで、試食用カレーはあっという間になくなってしまった。


「いやあ、うまかった」


「ただ正直言えば、カレーとかいうソースはうまかったが、肉は微妙だな」


「まあな。あのくそマズイ魔物肉がここまで食える味になったのは驚きだけれども、肉だけならイマイチだわな」


「カレーだけならまた食べたい。でも肉はいらない」


 などという意見が飛び交っている。

 ユピテル帝国の平民たちは豊かとは言えず、日々の食事も質素だ。それでも魔物肉は食べたいものではないらしい。

 ユーリは腕を組んで考え込んだ。


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