第二章 魔物のお肉とカレー作り

第29話 焼き肉との出会い


 ブリタニカの六月は、初夏の爽やかな空気に包まれる。

 北国故に朝晩は冷えるがさすがに日中は暖かく、人々の足取りも軽い。

 ユピテル帝国の暦では、六月は女神ユーノの月である。出産と家庭を司るこの女神は、結婚の守り神としても名高い。それゆえに六月は結婚式のラッシュになる。


「あ。あそこでも結婚式をやっているわね」


 ある六月の日、ユーリはティララとナナと連れ立って街歩きに出ていた。

 ティララの指差す先には、花嫁と花婿衣装に身を包んだ男女が周囲の祝福を受けて幸せそうに寄り添っていた。


「結婚、憧れます。あたしも数年以内には、良い人を見つけないと」


 十七歳のナナがそんなことを言うので、二十七歳のユーリは内心でたいそう焦った。ついこんなことを口走る。


「ナナはまだいいんじゃない? ティララはどうかな?」


「えっ、あたし? 結婚してるけど?」


「えー!?」


 ユーリは驚きに声を上げた。


「でも、冒険者ギルドの宿舎で暮らしているじゃない! 旦那さんはどこにいるの?」


「旦那は冒険者よ。北の森に出ていることが多くて、町にはあまりいないの。で、今は一緒に暮らすアパートを借りるために貯金中」


 笑顔とともに言われたセリフに、ユーリはむなしく口を開け閉めした。


「知らなかった……。いい年して独身は、私だけかあ……」


「いい年って。ユーリさんは若いじゃないですか」


 ナナが言うが、ユーリは力なく笑った。

 ユピテル帝国では結婚は早い年齢が当たり前で、しかも日本より既婚率が高いようだ。

 まあ、ユピテルの価値観はともかく、ユーリは日本人として色んな生き方があるのを知っている。


「そりゃあ若いけど、ナナやティララほどじゃないよ。二十七歳」


「ええー!?」


 今度はナナとティララが声を上げた。


「嘘でしょ。二十歳そこそこだと思ってたわ。詐欺レベル!」


「あ、あたしも、十九歳くらいかなーって……」


 ユーリは思った。これはきっと、西洋人から見ると東洋人が若く幼く見えるあれだ。

 彼女は背丈は標準的だが、やや童顔でもある。そのせいもあるだろう。

 それにユーリは、数か月前までは日本で現代科学の結晶である化粧品を使っていた。デパコス未満の中級品だが、それでも古代を思わせるユピテル帝国のものとは比べ物にならない。お肌のハリが違う。

 そんなことを考えて遠い目になりながら、ユーリは言った。


「そういえば、倉庫の荷運び人たちが私を『お嬢ちゃん』と呼ぶんだけど、勘違いされてるかしら」


「されてる!」


「絶対、もっと若いと思われてます」


「あはは……」


 やけくそな笑いが出るユーリであった。







 ユーリたちが散歩を終えて戻ると、倉庫の近くに何人かの人が集まっていた。

 今日は冒険者ギルドの休日だ。

 素材の買い取りも魔物の解体も休みなのに、どうしたことだろう。


「どうしたんですか?」


 ユーリが声をかけると、コッタが振り向いた。


「よお、ユーリ。ちょっとな。この小僧っ子が、魔物の肉を売ってくれと言うんだ」


「魔物の肉を?」


 見れば人々の中心に、十二歳程度と思われる少年が立っている。彼の足元には小さくて粗末な荷車があって、七輪が二つほど載せられていた。

 少年が言う。


「なあ、売ってくれよ。お金はちゃんと用意した。なんでダメなんだよ!」


「そう言われてもなあ。魔物の肉は、一部を除いて使い道がない。全部捨ててるよ」


「だったら捨てる分を売ってくれ。それの何がいけないんだ」


 食い下がる少年にユーリは聞いてみた。


「魔物の肉を買ってどうするの?」


 すると少年は振り返る。得意そうに笑みを浮かべて言った。


「もちろん、食うのさ!」


「魔物の肉を? 気持ち悪い!」


 思わず、という調子で言ったのはナナである。少年はムッとした顔で言い返した。


「気持ち悪くなんかないよ! 俺の村じゃ、鶏や豚よりもよく食べる。狩人たちが狩ってきた魔物の肉で、飢え死にしないで済んだんだ!」


「そうだったのね……」


 ユーリは腕を組んだ。


「ねえ、コッタ。魔物の肉を食べるのは、普通のことなの?」


 問われてコッタは困ったように頭を掻いた。


「普通か普通じゃねえかと言われれば、普通じゃねえな。町に住んでる連中は、さっきのナナ嬢ちゃんみたいに『気持ち悪い』てのが普通だろうよ。だが、冒険者なら食うぜ。俺も現役の頃は食った。なんたってその場で狩って肉にできるのがデカい。食いもんを持ち運ぶ手間が省けるからな。ただ……」


「ただ?」


「魔物の肉は、クソまずい」


 コッタはげんなりした顔である。


「そんなにまずくないよ! そりゃあ、すごく美味くもないけど」


 少年がちょっと自信なさそうに抗議している。すぐに彼は気を取り直して語調を強めた。


「十分食える味だよ。だから俺、魔物の肉を焼いて屋台で売りたいんだ。どうせ捨てるんだろ。もったいないじゃんか。だったら俺が買い取って、売ってやる。この町の人たちも腹いっぱいになる。良いことだらけだ」


「小僧、馬鹿言うなよ。あんなクソまずいもんを売ったって、誰も買うもんか。無駄なことやってないで、故郷に帰れ」


 コッタは話は終わりだとばかりに手を振る。

 食ってかかろうとした少年を、ユーリが止める。


「魔物のお肉の味、ちょっと気になってきたわ」


「おいおい、ユーリ」


 期待で目を輝かせる少年に対して、コッタは呆れ顔だ。


「せっかくだもの、この機会に味見してみたい。私、魔物を見たことすらないの。だから倉庫係として、少しでも魔物に触れてみたくて」


「熱心ねえ。魔物肉のまずさは、あたしも旦那から聞いてるわ」


 ティララが苦笑している。


「念のため聞くけど、毒はないのよね? お腹を壊したりとか、長い間食べ続けたら体に害が出たりとか」


 ユーリが言うと、ファルトは肩を怒らせた。


「ないよ! 俺の村じゃあ、じいちゃんのそのまたじいちゃんの代から魔物肉を食ってるけど、誰も体を悪くなんてしてない。それどころか、魔物肉がなければ何度も飢え死にしてたときがあったって、父ちゃんが言ってたくらいだ」


「それじゃあ、ユーリのゲテモノ食いを応援してやるよ。ちょうど昨日、終業間際にホーンラビットとレッドボアが入荷してる。おい、あれ、解体はしたか?」


 コッタが解体係に聞くと、「まだだ。今すぐちゃちゃっとやるよ」という答えであった。

 言葉通りに一匹ずつの角ウサギと赤イノシシが捌かれて、肉と毛皮の塊になった。

 ユーリは眉尻を下げる。


「ごめんね。お休みの日に」


「いいって、いいって。こんな面白そうなこと、見逃す手はないからな」


 と、解体係は笑っていた。

 解体の間に、少年が荷台から七輪を降ろして火を付ける。しばらくして焼き網をかぶせた。


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