第28話 最後の仕上げ2
「今日は軍団長様に、冒険者ギルドの再建案を承認してもらうため、参上しました」
ガルスの口調が固い。緊張しているようだ。
ユーリはカバンから資料の巻物を取り出して、執務机に広げてみせた。
「まずこれをご覧ください。こちらの数字が、過去三年の冒険者ギルドの収支です」
巻物に視線を落としたアウレリウスは、微かに眉を寄せた。
「ひどいものだ。一般の工房や商会であれば、とっくに破産しているだろう。よくもまあ、ここまで隠し通せたと言っておこう」
「は、はい」
ガルスは冷や汗をかいている。ユーリは腹に力を入れて続けた。
「次にこちらを。カムロドゥヌムの町に拠点を置く商会やギルドから、取り付ける確約を得た資金です」
「……ふむ。確かにこれだけあれば、当面をしのぐには足りるだろう。しかし冒険者ギルドの体制が変わらなければ、結局は同じことの繰り返しになる」
「はい。ですので、今後のやり方を考えました」
ユーリはさらに巻物を取り出した。そこには彼女が考えた倉庫整理システムが図解されている。
「このように在庫と入出庫を正確に把握することで、素材の需要や適正な価格を算定します。冒険者ギルドは社会のセーフティネットでもありますから、在庫がダブついた素材をすぐに買い取り中止にはしません。急に中止したら、冒険者たちの手元に渡るお金が減ってしまいますので。けれど無駄をなくすことで、かなりのお金が節約できます」
ユーリは続ける。
「さらに、素材の入出庫状況から、魔物の出現比率をある程度推測もできます。『どこでどんな魔物を狩ったのか』と冒険者に聞き取りを強化すれば、魔物の生息域を絞り込んでいけるでしょう」
これは、倉庫整理をしている最中に思いついたことだった。そして再建案のキモでもある。
この世界には多種多様の魔物がいるが、その生態はほとんどが謎に包まれたまま。アウレリウスに借りた魔物図鑑でさえ、絵姿が想像であると付記されているものが少なくなかった。
「全ては基盤に素材のデータを置くことで成立します。そして、信頼性に足るデータを提供するためにも、この倉庫管理システムが必要と考えています。管理運営は冒険者ギルドが続行するのがベストでしょう。一度は破綻しかけましたが、冒険者や顧客たちのパイプやその他のノウハウの蓄積がありますから」
「頼みます、軍団長様! ユーリの言うことに間違いはない。この前倉庫をすっきりさせて以来、職員のやる気も上がっています。他に行き場のない奴らです。どうか仕事を取り上げないでください!」
ガルスが必死に頼み込むが、アウレリウスは軽く肩をすくめただけだった。
彼はしばらくユーリの資料を読んで、それから言った。
「素材を魔物のデータと紐づける。その発想はいいだろう。しかしそれを活かすには、正確なデータを提出しなければならない。このいい加減な冒険者ギルドに、それができるのか?」
ユーリは表情を引き締めてうなずいた。
「いきなり万全に……は、無理かもしれません。けれど可能な限り行います。また、手順を単純化・マニュアル化するなどしてミスを減らす仕組みも考えている最中です。今、倉庫が大きく変わってギルドの空気も変わりました。今なら新しいシステムを、受け入れてもらえるのです」
「…………」
アウレリウスは目を上げて、ユーリを見た。ユーリも負けじと見つめ返す。
(相変わらず、きれいな紫の瞳)
ユーリは思った。この紫によく似た浄化の魔道具に助けられてきた日々だった。あれがなければ、さしものユーリもくじけていたかもしれない。
真っ暗な倉庫の暗闇に、くるくると渦巻く金色の光を思い出す。あの光と紫の石の美しさに、どれほど励まされたことか。
そうしてどのくらい時間が経っただろうか。恐らくはほんの数秒ほどだったのだろうが、ユーリにはもっと長く感じられた。
「よかろう」
と、アウレリウスは言った。
「当面は試用という形で、素材から魔物の生態をつかむ作業をやってみるといい。赤字は顧客らの融資で補填し、確実に返還すること。定期的に私にレポートを提出すること。それからガルスの処遇だが――」
ちらりと視線を向けられて、ガルスは身を強張らせた。
「減給半年、三割だ」
「えっ。ギルド長をクビじゃなく、続けていいんですかい?」
「クビになりたかったのか?」
アウレリウスの言葉に、ガルスは必死で首を横に振った。
「とんでもない! もう一度チャンスをもらえるなら、今度こそギルドを立て直しますよ!」
「良かったですね、ガルスさん!」
拳を握りしめたガルスに、ユーリも笑みをこぼした。
大筋の話はまとまった。あとは補足的に細かな項目をユーリが説明する。
アウレリウスとガルスは、熱心に聞き入っていた。
そうして、全ての話が終わった後。
執務室を辞そうとしたガルスとユーリのうち、ユーリだけが呼び止められて残った。
「今回は、ご苦労だったな」
アウレリウスが言う。
「アウレリウス様は、冒険者ギルドがあんなにめちゃくちゃな状況だと知っていたんですか?」
この機会だと思って、ユーリは聞いてみた。
「予想はしていた」
平然と答える彼に、ユーリは呆れる。
「ひどくないですか! そんな場所に、右も左も分からない異世界人の私を放り込むなんて。仕事を紹介してくれるなら、もっとしっかりした場所のほうがいいと思わなかったんですか」
「さて。きみは他の場所のほうが良かったのか?」
「質問に質問で返すのは、ずるいですよ」
ユーリは渋い顔で言った。もちろん今となっては、冒険者ギルド以外で働くなど考えられない。
「きみは実際、予想以上の働きをしてくれた」
アウレリウスが静かに言ったので、ユーリも表情を改める。
「冒険者ギルドに関しては、きみを送り込んで様子を見る程度に思っていたが。ここまで見事な結果を出すとは」
「まだ結果は出ていません。これからです。システムは作るよりも健全に運用し続けるほうが大変なんですから」
「そのとおりだ。軍団に似ているな。兵士を集めるだけなら簡単でも、軍団として使うには長い訓練と柔軟な指揮が要る」
「はい。だから私、まだまだ仕事をします」
ユーリが言うと、アウレリウスは少しだけ表情を動かした。どうやら微笑んでいるらしい。鋭い目の光が和らいで、温かな光が揺れている。
整った顔に浮かんだかすかな笑みに、ユーリは見とれて、すぐに我に返った。
「見ていてください。私、頑張りますから。『雑学』しかないけれど、きっとみんなの役に立ってみせます」
顔が赤くなるのを自覚しながら、ユーリはやや早口で言った。
アウレリウスは表情を戻して、真面目な口調で答える。
「ああ、期待している。きみの雑学から次はどんなアイディアが飛び出すか、楽しみにしているよ」
「はい!」
ユーリは笑顔で答える。ひと仕事をやり終えた、充実の笑みで。
ユーリが出口に向かったので、アウレリウスは立ち上がって扉を開けてやった。
すぐ目の前を通り過ぎるユーリの黒髪が、目に鮮やかに焼き付けられる。
真っ黒な闇の色。艶のある夜の色。あの日、ヤヌス神殿で転移の光に包まれて浮かび上がった色。
今までのユーリの姿が彼の心によみがえる。
ロンディニウムからの旅の途中、不思議な白いシチューを作ってくれたこと。
必死に学んで短期間で文字を覚えたこと。
今回の冒険者ギルドの立て直し。到底無理だと思っていたのに、彼女はほとんど一人でやり遂げた。
そして――アウレリウスの魔道具を嬉しそうに身に着けていた姿。
知恵と好奇心と努力とが織り交ぜられて、ユーリという女性を彩っている。
「…………」
その黒髪に触れたいと思ったわけではない。けれど離れていく闇色を惜しんだのも、また確か。
不可解な心の動きに、彼は戸惑う。
結局、ふたをすることでやり過ごすことにして、彼はまた執務に戻ったのだった。
+++
ここまでお読みくださりありがとうございます。これにて第1章は終了です。
続いて第2章に入ります。今度は雑学っぽさがより生きる予定。……予定。
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