第23話 心も整理しましょう1


 ユーリが倉庫を出ると、もう夕暮れ時である。

 掃除道具を片付け、行き合う荷運び人たちに挨拶をする。


「お疲れ様です」


「……おう、お疲れさん」


 荷運び人たちに冷たく当たられたけれど、ユーリも無視を返していても仕方がない。挨拶くらいはしようと思ってのことだったが、最近は戸惑いながらも言葉を返してくれる人が増えてきた。

 どうせすぐに音を上げるだろうと思っていたのに、ユーリが意外と頑張るので反応に困っている感じだ。


 掃除で汚れた姿になったので、ユーリは今日は帰宅することにした。こんな格好で机に向かっても集中できないし、ナナも嫌がるだろう。

 事務所に入るとナナだけがぽつんと机に向かっていた。そういえば彼女はいつも一人だな、とユーリは思った。

 倉庫の事務員は彼女だけで、冒険者ギルドの宿舎でも孤立しがち。ティララなどとは部署が違うので、あまり接点がない様子だった。


「ナナさん、お疲れ様。私、お先に失礼しますね」


「…………」


 返事が聞こえないほど小声なのはいつものことなので、ユーリは気にせず帰り支度を始める。

 バッグを持って立ち上がろうとした時、いつの間にかナナが隣に立っているのに気づいた。


「わ、びっくりした。どうかした?」


「ユーリさんは……」


「ん?」


「ユーリさんは、どうしてそんなに頑張るんですか……」


 見上げたナナの若草色の瞳は、涙が溜まっていた。


「ナナさん、どうしたの! 何か嫌なことがあった!? 私、なんかしちゃった?」


 今にも泣き出しそうなナナに焦って、ユーリはわたわたと手を動かす。

 ナナは首を横に振って、小さな声で途切れ途切れに続けた。


「みんな、言ってました。ユーリさんはどうせすぐに諦めるって。でも、もう三週間にもなるのに、たった一人で頑張り続けてる。……どうしてですか」


「どうしてと言われても……?」


 ユーリは首をひねる。

 倉庫の掃除も整理も、正直言えばきつい。一人っきりでやっているせいで、愚痴を言える相手もいない。けれど止めるつもりはなく、続けている。


 これが仕事だから。

 仕事をしなければ、異世界で生きていけないから。

 倉庫があまりにひどい状況だったから、放っておけなかった。

 それから、馬鹿にされて悔しかったから?


 そのどれもが正解で、同時に少しだけ違和感を感じる。


(どうしてだろう……。私は異世界人で、言葉も習慣も何もかも違う世界に放り込まれて、それでも生きていかなくちゃならなくて)


 考え込んだユーリを、ナナはじっと見つめている。


「私ね、遠い国から来たの。うんと遠くて、もう帰れない場所」


 ユーリは言葉を選びながら話し始めた。


「故郷とここは、色んなことが違うわ。夜になると心細くて、泣いた日も多かった。でも、いつまでも泣いてばかりじゃいられなくて」


 ちらりとナナを見ると、彼女は先をうながすようにうなずいた。


「倉庫の整理は、大変だけど。親切にしてくれる人もいた。助けてくれる人もいたよ。だから私も、もう少し頑張ってみようと思ったの。私一人の力じゃ足りなくて、何も変えられないかもしれない。でも、変わるかもしれない。変えることで、みんなの役に立てるかもしれない。

 ……ここで生きていくために。ここで生きていて良いんだと思えるように、頑張りたいんだ」


 自信が欲しかった。ユーリはこの国でやっていける、生きていけるという自信が。


「そうだ。私は居場所が欲しかったの。誰も知らない国でたった一人でも、また仕事をして役に立って、友だちを作って、暮らしていける居場所が」


 言葉にしてみると、それはすとんとユーリの胸に落ちた。


「うん。だからこの職場で、頑張りたかったの。逃げ出さないでやり遂げて、自信をつけて、ここが私の新しい居場所だと思いたかったんだ」


 漠然としてつかみきれなかった感情が、すっきりと明確になる。ユーリは思わず微笑んだ。

 それまで黙っていたナナが、ぼそりと言った。


「ユーリさんは……強い人なんですね。あたしなんかと違って」


「え? どうだろ、そりゃ今回は必死で頑張ってるけど、そんなに強くもないよ。この国に来て以来、めそめそ泣いた時もいっぱいあったし」


 このカムロドゥヌムの町に移動してくる途中も、宿舎で部屋を割り当てられた後も。ユーリは何度か寂しさと心細さで泣いていた。誰にも気づかれないよう、声を押し殺して。

 ナナは首を振った。


「それでもです。あたしもユーリさんみたいだったら良かったのに。こんな、何にもできないのろまじゃなくて……」


 ナナの瞳から涙がこぼれた。

 ユーリはびっくりしてハンカチを差し出し、「駄目だ、これさっきまでマスクにしてたやつじゃん」とテンパリ、焦ってキョロキョロと周囲を見渡した。しかし役に立ちそうなものは何もなかった。


 ナナはそんなユーリを目を見開いて眺めていた。

 困りきったユーリが手近な巻物の紙を破って差し出したら、ナナはこらえきれずに笑い出した。


「いくらなんでも、そんな固い紙で涙は拭けないですよ! 顔、痛くなっちゃう」


「そ、そうだよね。ごめん」


「ううん。あたしこそ急に変なことを言って、すみません」


「いいよ、いいよ。何か困ってることがあったら、相談に乗るくらいはするから」


「はい……。それじゃあ、あたしの話を聞いてもらえますか?」


 二人はそのまま椅子に座って、少しずつ話をすることにした。

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