第21話 お風呂


 ユーリが一人で倉庫を掃除する日々は、それからも続いた。

 当然のように誰も手伝ってくれなかったが、唯一、ティララだけが「手伝おうか?」と言ってくれた。

 けれどユーリは首を横に振る。


「ううん、大丈夫。ティララは倉庫係じゃないもの。担当の仕事だけで忙しいでしょ」


「まあ、暇ではないけど……。本当に平気?」


「平気、平気!」


 ユーリが空元気で言えば、ティララもそれ以上は何も言わなかった。







 数日かけて掃除の範囲を広げたユーリは、いよいよ棚の整理に取り掛かった。

 奥にあるものは全て捨てていいとガルスの許可を取っている。何せ十年以上放置してきたのだから、当たり前だろう。

 鉱物類などは鑑定人に一応確認するとして、腐りかけのものは全て処分をした。

 倉庫の入口付近のようにみっちり詰まっているわけではないが、それでもそれなりの量だった。

 ユーリは魔法ランタンをいくつも借りて通路に設置し、ひたすら箱に入れた処分品を出口まで運んだ。毎日筋肉痛で大変だった。


 素材を処分した棚は雑巾で拭いてきれいにする。掃除と処分を繰り返しだ。

 汚いのも臭いのも腐っているのも虫も(!)気にしないことにしたが、一番困るのはホコリだった。ハンカチのマスクをしても目が痛いし、喉もイガイガする。鼻水もぐずぐずと出て、ずっと息苦しい。

 毎日朝から夕暮れまで掃除と整理を続けて、終わる頃にはユーリ自身が真っ黒に汚れている。

 ユピテル帝国にはお風呂文化があるので、汚れを公衆浴場で落とせるのだけが救いだった。


 片付けても片付けても終わりの見えない作業に、さすがのユーリも挫けそうになっていた。


 今日もひどく汚れてしまったので、ユーリは公衆浴場へ向かった。

 浴場は町の中に何箇所もあって、小銭で利用できる便利な施設である。

 ただ、ユピテル帝国に石けんが存在しない。垢すりはオイルや砂をまぶして擦り落とす。

 毎日ひどく汚れるユーリとしては、きちんと汚れをきれにしたいのだが、石けんがないとどうしても完全にとはいかない。

 それでも蒸し風呂でしっかり汗をかいて、大きなお風呂でお湯に浸かればだいぶさっぱりとする。

 ユーリが脱衣所から出てホールの方に行くと、アウレリウスと鉢合わせをした。


「アウレリウス様! どうしたんですか、こんなところで」


 ユーリは驚いた。ドリファ軍団の駐屯地には兵士専用の浴場がある。てっきり彼もそこを使っていると思っていたのだが。


「視察を兼ねて町の浴場を使っている。何か問題でも?」


 アウレリウスは当然という口調で言った。よく見れば、後ろにペトロニウスの姿もある。

 アウレリウスは軍団長の地位にある人物だが、このカムロドゥヌムの町の責任者を兼ねている。軍団が対魔物の安全保障、および犯罪取り締まりなどの治安維持をやっている以上、そうなって当たり前ということだった。

 ペトロニウスが言う。


「この町に限って言えば、数年で任期が終わる属州総督よりも、アウレリウス様の方が力を持っていますよ」


 アウレリウスは肩をすくめた後、ユーリを見て言った。


「風呂に入った割には、汚れが落ちきっていないようだが」


 ユーリは慌てて顔を触ってみる。ちゃんと洗ったつもりだったが、汚れがついていただろうか?

 すると彼は苦笑した。


「そうではない。精神的なリフレッシュができていないという意味だ。一日が終わった疲れは、最後に風呂で癒す。それがユピテル人の習いだからな」


「お風呂はいいですね。体を温めると疲れが取れます」


 ユーリはうなずいた。


「私の故郷もお風呂文化のある国でした。温泉がいっぱいあって、あちこちの温泉に旅行するのが趣味な人もいましたよ」


「ほう、温泉か。このブリタニカ属州にも数か所ある」


「そうなんですね。じゃあブリタニカにも火山があるんだ」


「火山? 火を吹く山のことか? それと温泉に何の関係が?」


「火山のマグマが地下水を温めます。その水が地表まで出てくると温泉になるんですよ。マグマのガス成分や地盤の成分が溶解したりして、温泉の泉質が変わったりもします」


「興味深い」


 そんな話をする。ペトロニウスが人数分の飲み物を持ってきてくれたので、ユーリはありがたく頂戴した。


「おいしいです」


 飲み物はぶどうを絞ったジュースだった。甘い果汁の風味が疲れた体に染み込むようだった。

 美味しそうにジュースを飲むユーリを見て、アウレリウスが言う。


「さて、引き止めてしまったな。体が冷える前に帰りなさい」


「はい。ジュース、ごちそうさまでした。それでは、また」


「ああ」


 ジュースを飲み終わったユーリは、浴場を出て宿舎へと歩き始める。

 久々にアウレリウスと話して、思った以上に気持ちが切り替えられた。いつもと変わらない彼の様子は、周囲に冷たくされてばかりのユーリを励ましてくれれた。

 また頑張ろう。自然とそう思えた。


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